見出し画像

現生人類以外のヒトは何故全滅したか?

50万年前誕生した裸のサル「ルーシー」の子らは、さまざまな亜種を生み出しました。そのなかの一つがホモ・サピエンス・イダルトゥ( Homo sapiens idaltu)。日本語ではヘルト人と呼ばれる、現生人類の直系始祖です。彼らはエチオピアのアファール低地 (Afar Depression) にあるアワッシュ川中流域 に生活していた。20万年昔の話です。
当時、地球は四回目の長い氷河期に包まれていました。生存環境は厳しく、ヘルト人は一時2000人まで激減し、絶滅の危機に晒されました。彼らが同地を離れ東へ、そしてアフリカからアラビア半島を抜けて、世界へ散らばっていったのは、間違いなくより安寧な土地を求めての旅だったわけです。

現在、遺伝子学の研究で、アフリカの地を去り全世界へ広がっていったヘルト人は40系統有ることが分かっています。現存しているのは2系統のみ。あとはすべて絶滅しました。
アジア系・ヨーロッパ系・中東系など、分化したのは7万年前ころ。アフリカ系だけは15万年くらいまで辿ることができます。

この拡散ですが。現生人類の祖先であるヘルト人が最初ではありません。「ルーシー」の子供たち。その沢山の亜種は、全時代を通して北へ北へと進み、ヨーロッパ大陸に広く広く拡散しているのです。ヘルト人が渡った先には、どこにも彼らの近縁種である旧人たちがいたのです。ヘルト人は、ネアンデルタール人を含む旧人たちと、各地で共存したわけです。もちろん諍いはあったはずです。しかし雑交も相当数あり、現生人類のDNAの中に彼ら旧人たちのものも取り込まれています。

しかし、猿人・原人・旧人、そして新人も、現生人類であるホモ・サピエンス・サピエンス以外はすべて絶滅してしまいます。
大いなる母「裸のサル・ルーシー」の子らは、さまざまなバリエーションを生み、種を残す可能性を模索し続け、最後には現生人類、ただ一種に収斂していきました。
では、なぜ現生人類以外のヒトは、すべて滅んでしまったのでしょうか?
有力な説として有るのは、脳肥大化説です。ヒト類は世代を重ねると脳が巨大化する傾向にある。
しかし巨大化した脳の胎児は、母の骨盤の間を抜けることが出来ません。ここで引っかかってしまう。死産になります。それはそのまま母の死に直結する。ある種族の中に、かなりの確率で発達した脳の子供が胎児に現れた場合、その種族は滅びます。これがヒト族の滅亡の原因だったと考えられています。
では、現生種はなぜ滅びなかったか。
通常、サルを含め類人の妊娠期間は18か月です。これを現生種は10か月で産む。つまり超未熟児として、胎児が骨盤の間を通れるうちに産んでしまうのです。突然変異による自己防衛ですね。現生種はそうして種の絶滅を逃れたのです。そんなウルトラC な突然変異を起こせなかった他のヒト類はすべて絶滅してしまった。

しかし、この超未熟児として10か月で体外に出る乳児は、きわめて過酷な状況に晒されます。母の、そして父の絶対的な加護が無ければ、20時間程度で死亡します。
つまり現生ヒト類は、体外胎児である我が子を、死なせない生活様式を確立した種族だったわけです。これは正に、ヒト類に革命的な生活様式の変革をもたらしたはずです。起きたであろう、最も大きな変革は、雑婚的な多夫多妻的な群の構成から、一夫一妻制をベースとした群れの構成への変化だと思われます。
一夫一妻制を取ると子供の生存率は飛躍的に高まります。体外胎児を生き残らせるには男と女の共同子育て作業が絶対に必須だったはずです。それには個体間の「愛」というものが必要です。ヒトの間に「愛」という理念が生まれたのは、きっとその時期からかもしれません。
こうしてヒト類の文化も生活様式も、体外胎児を生き残らせるということを中心に整備されていったのでは。。

さて。ここからは僕の想像です。
まず初めに突然変異で赤ん坊が10か月で産まれてくるようになります。うまれてきた赤ん坊は超未熟児ですから、次から次に死んでしまう。ヘルトじんの個体数は激減します。しかし死産は無くなるので母体は守られる。そんな中で様々な試行錯誤を重ねて、体外胎児を生き残すための工夫がされたのではないか。そしてそれが成功した家族が、現代にまで繋がるヒトの祖形になったのではないか。そう想像してしまいます。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました