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ハーレムのなおみとひろしのこと#01

訃報をもらった旧い友の話をしたい。もう誰にも迷惑がいかないだろうから、書き残したい。
彼は「ひろし」という、僕とほぼ同世代だ。元弁護士だ。ハーレムの奥まった老朽アパートで生涯を終えた。
彼の伴侶は「なおみ」という。看護婦だった。彼女が亡くなったのは20年ほど前だ。
二人は高校時代からのカップルだった。
「ひろし」の母は、僕の母と同世代だ。彼女は東京で黒人兵である「ひろし」の父と出会って結婚し、渡米した。
「ひろし」の母にとって、アメリカは黄金の夢の国だったに違いない。しかし結婚して移り住んだのはNYCの北の外れハーレムだった。彼女は差別という塗炭の苦しみを味わった。そして「ひろし」がまだ10代の初めのころ、彼女は彼を連れて日本へ逃げ帰った。・・しかし、日本へ戻ってくると・・今度は「ひろし」が苦しむことになった。父に似て「ひろし」は黒人の血が濃かったのだ。
彼は徹底的に周囲から疎外された。だから彼は勉学に逃れた。高校大学と常に主席だったのは、その孤立をバネにしていたからだ。
そのころ「ひろし」は「なおみ」に出会った。二人の交際は国立大学時代まで続いた。
その大学時代に母が亡くなった。そのとき「ひろし」は決断した。NYCへ帰ろう!と。
「ひろし」はアメリカ生まれである。21歳までなら国籍は日米どちらでも選べる。「ひろし」は米国籍を選んだ。そして大学へ申し入れしてNYCへ転校を図ると共に渡米した。・・父は健在だった。住まいは、相変わらずハーレムだった。
「ひろし」は、父のもとから大学へ通い、最後は弁護士資格まで取得した。
僕が、彼と出会ったのはその頃だ。旅行代理店をやってたFの紹介だった。いまでも忘れない。Fは「黒色の日本男子がいるよ」と言ったのだ。「ひろし」はまさに、古い時代の日本男子そのものだったのだ。

彼はオフィスをハーレムに構え、仕事の2/3がフラボノ(無料)という弁護士をしていた。
「支払いが溜まったら、金になる仕事をするのさ」と彼が笑いながら言ったことがある。
その「ひろし」が「なおみ」に出会った。出会ったのは留置所で、だった。
「なおみ」はジャンキーだった。捕まって日本へ強制送還されるところだった。強制送還されれば、成田で待ち構えていた警官に再逮捕されてそのまま刑務所送りになる。
「ひろし」はそんな事態を何としても阻止するつもりになった。ハーレムの教会を使った。自分自身も持てるコネすべてを動員した。そしてまずハーレムの病院へ身柄を移し、各所に手を回して、最終的には彼自身が身元引受人になって、最後は・・結婚した。

僕はその顛末をリアルタイムで見ていた。全力で奔走する「ひろし」も大変だったが・・実は薬から抜け出そうとする「なおみ」の格闘もすさまじかった。その戦いには教会が全面協力した。・・そして一年あまりの闘病を経て「なおみ」は薬の呪縛から抜け出ることができた。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました