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リブリヌ02/サンテミリオン村歩き#26

リブリヌのホテルはLa Maison Mulatô(42 Cr Tourny, 33500 Libourne)にした。
http://www.lamaisonmulato.com/
リブリヌ駅Gare de Libouneはボルドー駅から約40分程度、サンテミリオン駅の一つ手前だ。駅は大きい。ホテルまでは約600mくらい。D670まで出て、あとは直進だから迷わずに辿り着ける。La Maison Mulatôは19世紀に建てられた邸宅を改装し所で、いくつかの部屋を提供している。僕らはGalant de nuitという明るい部屋を予約した。

荷物を置くと、一階レセプションでオーナーのご夫婦と談笑した。お薦めのレストランを教えてもらった。そして町へ出た。ティエール通りを歩いた。通りの入口の所にLa Renaissance Libourne(1 bis Pl. Joffre, 33500 Libourne)というレストランがあった。ここが近くではお薦めだそうで、散策前に夜の予約を入れた。
http://www.larenaissance-libourne.fr/
Douceurs et Créations(1 Rue Roudier, 33500 Libourne)を覗いた後に、これもお薦めのLe Paradis Libournais(56 Rue Jules Ferry, 33500 Libourne)に寄った。
http://www.le-paradis-libournais.com/
ワインも面白かったが、地元の食材Maison BarthouilのFoie grasやterrines。Maison LembertFのさまざまなsaucesやtartinables類。Maison Godardのterrinesやplats cuisinésが興味深かった。
「やっぱりフォアグラなのね!」嫁さんが言った。

そしていつものようにOffice de Tourisme du Libournais(40 Pl. Abel Surchamp, 33500 Libourne)に寄った後、Abel Surchamp広場へ出た。
http://www.tourisme-libournais.com/
「火曜日の朝は市場が開かれるそうだ。早起きして来てみよう」
嫁さんは終始ご機嫌だった。

広場のすぐ傍にBrasserie des Arcades(2 Pl. Abel Surchamp, 33500 Libourne)という休める店が有ったので寄った。白ワインを頼んだ。
「リブリヌはアキテーヌ一族のものだった。大きく栄えたのはアンジュー王国のものになってからだ。1268年5月25日にイングランド王エドワードが、ガスコーニュ地方の元老院長ジェハン・ド・グライリーにドルドーニュ川に新しい要塞を作るように指令したんだ」
「それはフランスとの戦いのため?}
「ん。そして英国との交易の拠点にするためだな。ガスコーニュの生産物を一か所に集めてドルドーニュ川からガロンヌを抜けて大西洋へノンストップで出すためだ。1269年11月24日、ロジェ・ド・レイバーンがリブリヌの要塞都市化を始めた。リブリヌの名前は彼から来ている。
ロジェ・ド・レイバーンは矩形の町としてリブリヌの町を再構築した。当時城郭都市は教会を中心に矩形の町がスタンダードだったんだよ。町の中心はクーヴェルト広場と呼ばれていた。それがこのアベル=シュルシャン広場Abel Surchampだ。リブリヌはこの広場から再構築されたんだよ」
時代と共に充実した町は1300年代前半のノワール公の時代には、厚い城壁、塔、8つの門からなる五角形の城壁で町は囲まれていたとある。城壁の高さは12~15メートルもあったそうだ」
「交易都市だったリブリヌは、戦略対象として戦火にぶつかったわけね」
「ん。この町を守ったのは、ロジェ・ド・レイバーンが建てた12~15メートルもあったという城壁だよ。
リブリヌは戦火に晒されながらも、1270年に英国から税関勅許を得ている」
「なに?税関勅許って」
「リブリヌを通過して運ばれる物資について、関税をかける許可さ」
「ワイン?」
「ん。それと塩だ。ブライから英国へ運び出される塩はリブリヌに集められた。そして船便で運び出された。リブリヌは塩の貿易を独占していたから、これが大きな税収入としてこの町を潤したんだよ」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました