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3月10日の記憶/炎の雹塊、雪積む帝都に落つ#10

3月10日の石川手記を続ける。空襲明けた後を彼はこう書いている。・・正午少し前へ警視庁帰還した石川は、状況報告をしたのち、再度カメラを持って街へ出た。
「私は重い足をひきずるようにして菊川、森下町、人形町と歩き、見えない眼をひきあけてシャッターボタンを押した。
泥にまみれたライカを、ばんこくの怨みを呑んで死んでいった多くの死体に向けることは、眼に見えない霊から“こんなみじめな姿をとるな”と意されるような気がして、その手はふるえ,シヤッターを押す手はにぶった。然し与えられた使命を果たすためには、命のある限り撮り続けなければならないのだ。使命の前には非情にならざるを得なかった。写し終ると合掌してそこを立ち去った。
隅田川べりに立って焼けつくした江東地区を眺めた。同時間前になるだろう、あの漆黒の闇でまっ赤に染ったその烙の上へ憎い B 29 は悪魔の翼を羽聴かせて、いままでにない低空に舞いおり,繰り返し繰り返し投弾したのだ。地上のがカッと反射してあの大きい図体の胴体から4つの発動機,尾翼までが真っ赤に見えた。文字通りの悪魔の翼であった。その翼にぎりぎりと無念の歯がみをして戦ったわれわれ都民だったが、いま目の前に見るこの焦土——8万2千有余の同胞は怨みをのんでこの地に死んでいったのだと思うと、抑えきれない熱い憤りと口惜しさに胸は煮えたぎった。
現場は今朝と同じ惨状で,死屍累々として正視出来ない。その中を身内の姿を探し求める人,負傷して杖をついて歩いている人などが右往左往している。関東大震災では焼けなかった浅草観音堂も焼けており,東本願寺,浅草松屋も窓から白い煙が出ていた。」

燃え上がる業火は、攻撃するB29も翻弄した。機によっては機体が爆風で回転したものまで出た。あまりの振動で操縦は困難になり、炎の勢いで編隊は全く組めなかった。そして、地上の人肉が焼ける臭いは機内に充満した。
まさに地獄絵の戦いだったのだ。・・燃え仕切る東京の姿は、空中に控えていた偵察機が写真とスケッチで捉えていた。その偵察機が帰還し、スケッチをカーチスルメイに渡すと、かれは不遜に笑い満足げに「これで戦争は終結する。天皇さえ予想していなかっただろう」と嘯いたという。
実は、この二日後、ルメイは次の目標として大阪と名古屋の爆撃を、東京空襲と同じやり方を踏襲して実行しているが、ここではその惨状には触れないでおこう。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました