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王の天守閣/サンテミリオン村歩き#19

https://www.youtube.com/watch?v=tiPM_ZO8nFs

「聖エミリオが暮らした洞窟を、大幅に改装改築拡張したのがオーブテール子爵ピエール・ド・カスティヨンPierre de Castillonだ」
「ふうん。・・でも、なぜカスティヨンはサンテミリオンをサンチャゴへの中継点にしたいと思ったの」
「自領の中に聖地を持つというのは、とても大きなステータスだったんだよ。聖エミリオが死んで300年、既に地元では聖地として取り扱われていたが、彼はこれをグローバルにしたいと考えたんだろうな。彼はカッパドキアを訪問していてね、同じようなものを領地の中に起こしたかったんだろう。実は、洞窟教会を二つ自領内で建立している。彼は聖エミリオが蟄居していたと云われるTroglodyteトログラドイトを中心に、採鉱跡を整備して地下回廊を作ったんだ。完成は200年くらいかかっている」
「すごい情熱ね」
「ん。その情熱が伝搬して4つの修道院がサンテミリオンに集まったんだが、エリノアールがフランス王室から出奔したことで村は否応なく戦火に晒されてしまうんだ。サンチャゴへの巡礼地どこじゃなくなってしまう。
おかげで戦争前・アキテーヌ公領時代に建立した教会/礼拝所はモノリス教会以外は、ほとんど残っていない。ましてやそれより旧い西ゴート国領だった頃のものやローマ帝国時代のものは殆どない。僕らが此処で出会える中世は、次の千年紀に入ってから作られたものだよ」
「ピエール・ド・カスティヨンPierre de Castillonの夢は戦火の中で霞んでしまったのね」
「そうだな」

僕らはマルシェ通りを抜けてくグランド・フォンテーヌ通りに入った。少し先にBoutique des Artisans Créateurs A Saint Emilion(4 Cour des Arts, 2 rue de la Grande Fontaine, 33330 Saint-Émilion)+33786007397という地元の工芸職人たちのワークショップがある。アートなお土産を買うなら此処が良い。小さな小物に秀でたものがある。
「ちょっと先に泉があるわね」イヤリングを選びながら嫁さんが言った。
Fontaine du Roi( 1 Escalette de la Grande Fontai, 33330 Saint-Émilion)だよ。長い間、サンテミリオンでは共同の洗濯場として使われてた場所だ。村の重要な湧き水が出るところだ。聖エミリオが亡くなった時に湧き出た水だと言われている。彼によって起きた奇跡の一つだ」

キャビウ広場Cabiouへはいる角にAUC Pieds de la Tour-PRODUCTEUR PEPINIERISTEという園芸品利店がある。小さな葡萄の木を鉢に飾って販売している。海外の観光客は国外へ持ち出せないが、フランス国内から訪れた人たちには素敵な記念品になるのだろう。
「サンテミリオン製の葡萄の木、うちで育てたいけどなぁ~ムリだな」
小さな鉢を見ながら僕が言うと、嫁さんが笑った。
名残惜しそうに振り返りながら歩いた。そして目の前にあるのがLa Tour du Roy(Passage de la Tour du Roy, 483A Rue du Château du Roy, 33330 Saint-Émilion)である。僕らはその足元にアントル・ドゥー・ヴェールAntre Deux Verres(Rue de la Prte Sainte-Marie, 33330 Saint-Émilion)というレストランに入った。
「今日は塔の中に入らないの?」と嫁さん。
「雨だしな。あそこの階段はキツい」
「ラ・トゥール・デュ・ロワLa Tour du Royって・・『王の天守閣』ということかしら。ここにお城が有ったの?」嫁さんテーブルに付くと、ガルソンが持ってきたワインリストからロゼを頼んだ。La Rosée de Pavieだった。2007で中々よろしい。僕も同じものにした。
https://www.wine-searcher.com/find/la+rose+de+pavie+bordeaux+france/1/japan
「サンテミリオンに領主の城はなかった。おそらくアンジュー帝国時代に作られた城壁の一部だろうな。監視用の展望台だったのかもしれない。記録がないからよくわからない。一部の研究家は1237年に建造されたと言い切っている。アキテーヌ王妃エリノアールの息子アンリ三世の命令で作られた・・とね。でも、確実な証拠はない」
「いまみたいに廃墟になったのは城壁の一部だったから?」
「ん。村が大きくなり始めるとね、ここも搗き壊されて村の住居の一部にされたんだ。逆に見れば、誰も所有者がない廃墟だった、ということだな。やはり使用されなくなった城壁の一部というのが、一番正確かもしれない」
「なるほどね。持ち主はいなかった・・ということね」
「とくに今みたいに大半が解体されて塔だけになったのは、パリ革命の時、マーケット広場に新市庁舎を作るため、ここの礎石を大量に持ち出したからなんだ。そして持ち出せないものだけが放置されて、今の形になった」

「あらあら、持ち出したのは一般市民だけじゃなかったのね」
「ん。ずっと放置されたままの廃墟だった。ここでジュラドの大きなイベントが開かれるようになって、ここが有名になったのはつい最近だ」
「ということは、ここも1100年以降に作られたもの・・なわけ?」
「ん。いま僕らが見るサンテミリオンの風景の大半はアンジュー帝国以降のものなんだよ。ローマ時代のもの、西ゴート王国時代のもの、アキテーヌ王領のものは殆ど残っていない。たしかにサンテミリオンはフランスより古い歴史を持っているだけど、ただのワイン生産地だった。今のような村として確立したのは1100年以降だ、と見るべきかもしれないね」
「ちょうどそのときにオーブテール子爵ピエール・ド・カスティヨンがサンテミリオンをサンチャゴの巡礼のための中継地にしようとしたわけね」
「ん」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました