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夫婦で歩くシャンパニュー歴史散歩/シャンパンボトルの地を訪ねてアルゴンヌの森へ04

アルゴンヌ ガラス美術館は2時間くらいで十分と思ったので、ここからは昨日のVTC(ハイヤー)にpickupしてもらった。
Brabant-en-Argonne
https://www.service-vtc.com/page.php?rewriteLien=societe-de-vtc&ville_rewrite=brabant-en-argonne
ムーズTGVでパリ行きに乘るのは遅い時間を選んだので、もう一軒、アルゴンヌ博物館へ寄ってもらうつもりだった。
Musée de l'Argonne
2 Rue Louis XVI, 55270 Varennes-en-Argonne,
https://tourisme-argonne-meuse.fr/le-musee-dargonne/
GVCはラシャラード国立森林公園Forêt Domaniale de Lachaladeを見ながら北上する。


その車上。
「アルゴンヌの陶芸技術/ガラス技術が先行として無ければシャンパニューの発砲ワインはボトルにすることが出来なかった。その意味ではこの地区は極めて大きなエポックだったんだよ」
そのアルゴンヌとランスを結んだのは運河だった。1848年3月26日に開通している。これに合わせてシャンパンボトルのためのガラス工場がエーヌ・マルヌ運河沿いに3つ開業している。1854年にはロワールにガラス工場が、そして1861年にはヌーヴィレットに新しいガラス工場が立ち上がり、1875年にはクールシーにもガラス工場が設立された。
「これらは、すべてシャンパン用のボトルだけを作る工場だった」
「だった??戦争?」
「そうだ。第一次世界大戦でこれらの大半が灰燼と化し、第二次世界大戦で息の根を止められた。ひとつだけアイレット工場だけが1937年まで残ったがこれも今は廃業している。全滅だ。残念ながら戦後、ひとつも復興しなかった。いまは工場址の荒野だけが残っているだけになった」
「なぜ復興しなかったの? じゃ誰がシャンパンのボトルを作ったの?」
「英国だ。産業革命で英国の工業技術はシステム化されて、大量販売が出来るようになったんだ。つまり大量に作れるということは、価格は抑えられる。アルゴンヌが敗戦の傷跡を追いながら太刀打ちできる相手じゃなかった。そのため、シャンパーニューで作られる発砲ワインが使うボトルは産業革命と共に英国にマーケットが奪われたんだよ」
「哀しいわね」
「ん。ワインは生産者はフランス、仲介者は英国という文化が長かったからな。致し方ないのかもしれない。
・・ところでこの頃からシャンパンのボトルの内容量は750mlと制定されるようになったんだ」
「それが英国と関係があるの?」
「ワインはね、樽で輸出していたろ?英国はガロンを一単位として買ってたんだ。だからそれを基準にした。1ガロンは4.54609リットルだ。つまりボトルを750mlにすれば1ガロンで6本だ。半ダースだ。これに合わせて樽も225リットルが利用されたんだ。これは50ガロンだ。つまり樽一つで300本のワインになるという計算だ」
「わぁ、知らなかった。そんな理由でボトルの内容積は決まっていたのね」
「そう買い手の都合で、ボトルの形状は決まっていたんだよ。シャンパンはこれに準拠した。だからシャンパンもボトルは750mlなんだ。・・ただね、瓶で輸送されるから、この倍数で大きな瓶も使用されるようになった」
「ああそれが、マグナムとかジェロボアムなわけね」
「ん。Demiドゥミが375 ml。通常のBouteilleブテイユが750ml。Magnumマグナムが1.5l。Jeroboamジェロボアム が3l。Réhoboamレオボワームが4.5l。Mathusalemマチュザレムが6l。Salmanazarサルマナザールが9l。Balthazarバルタザールが12l。Nabuchodonosorナビュコドノゾールが15l。Salomonサロモンが18l。Souverainスヴランが26.25l。これは35本だ。そしてPrimatプリマが27l。Melchizédecメルキゼデックが30l。30本分だ」
「よくまあ、スラスラと言えるものねぇ」
「このほかに少し小さいサイズ、ほぼ1/4本と云うことでQuartカール200mlというのがでてきている」
「ああ、ペリエの小さいサイズみたいな感じでしょ?」
「そうだ」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました