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小説特殊慰安施設協会

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#アーニーパイル劇場

ぎんざものがたり1-8/アーニーパイル劇場08

1946年2月25日。朝から不機嫌だったバーガー中尉は、顔を合わせる連中全員を怒鳴り散らしてい…

勝鬨美樹
7か月前
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ぎんざものがたり1-7/アーニーパイル劇場07

ステージは翌日朝から練習が始まった。ステージの横にアップライトが置かれ、紙恭輔が座った。…

勝鬨美樹
7か月前
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ぎんざものがたり1-6/アーニーパイル劇場06

米兵向けの舞台を作ってほしいと米八軍民政担当から依頼されたとき、伊藤道郎が一番最初に考え…

勝鬨美樹
7か月前
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ぎんざものがたり1-5/アーニーパイル劇場05

日本のUSO(The United Service Organizations)米慰問協会オフィスは横須賀にあった。東京宝塚…

勝鬨美樹
7か月前
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ぎんざものがたり1-4/アーニーパイル劇場04

1946年よりアーニーパイル劇場舞台総監督に就任した伊藤道郎は、高長身の目から鼻に抜けるよう…

勝鬨美樹
7か月前
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僕の日比谷・僕のアーニーパイル劇場#02

拙書「小説特殊慰安施設協会」から引用する。 萬田千鶴子と小美代、ゲンが『東宝芸能祭り』を…

勝鬨美樹
2年前
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僕の日比谷・僕のアーニーパイル劇場#01

僕がアーニーパイル劇場に魅せられたのは、小林一三が昭和55年に書いた「アーニイ・パイルの前に立ちて/宝塚漫筆」を読んでからである。 アーニーパイル劇場とはなにかを書く前に長いけど転筆する。 ●ネオンの中に明滅する追憶 私は、「アーニイ・パイル」の横文字が、淡い、うす緑の五線紙型ネオンサインの色彩の中に明滅するのを、ジッと見詰めていた。眼がしらが熱くうるおいそめて、にじみ出して湧いてこぼれて来る涙を拭く気にもなれない。誰れも見て居らない、泣けるだけ泣いてやれ、という心持ちであ