マガジンのカバー画像

東京散歩

213
色々なったって、都内ばかりが多いんだけど、昔のこと今のこと色々取り混ぜてしゃべってます。
運営しているクリエイター

記事一覧

東京島嶼まぼろし散歩#29/伊豆諸島09

八丈一蹴道路をしばらく走ってクルマは横路地へ入った。 道路は舗装されていたから生活につか…

勝鬨美樹
8か月前
7

江戸と東京をめぐる無駄話#44/おつもり#04

1858年に諸外国と交わされた安政五カ国条約を違勅と騒ぐ攘夷派の躍動に、幕府は条約の実効を危…

勝鬨美樹
2年前
3

東京ことば散歩1-2/民主的な首都圏語?#02

ただ言語的には・・我々の使っているアルタイ語系言語は、口語文語いずれも貴賎・主従・尊蔑を…

勝鬨美樹
1年前
1

東京ことば散歩1-2/民主的な首都圏語?

そしてこの新しい東京語である「首都圏語」を見つめていると、もう一つとても大きな特徴がある…

勝鬨美樹
1年前
1

東京ことば散歩#1-1/始まりは軍事特需から02

この首都圏ともいうべき言葉が成立する過程を追うと、ひとつなるほどと気が付くことがある。・…

勝鬨美樹
1年前
2

東京ことば散歩#1-1/始まりは軍事特需から01

朝鮮戦争とベトナム戦争の軍事特需は、日本国に急速な高度成長時代をもたらした。その猛烈な経…

勝鬨美樹
1年前
2

上野浅草話欄外書き散らかし/地域資料室という宝の山

台東区中央図書館の2階に、郷土・資料調査室がある。ここは宝の山なんだが・・大半が禁帯で閲覧は出来るが借りだせない。おお~い、見るだけじゃ、私的な資料としてアーカイブできないんだよぉ~もっとデジタルアーカイブを進めてくれぇ~というのが、ワタクシの魂の叫びでございます。 https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/1310615100 ちなみにここの髙相嘉男コレクションが面白い。見ているだけでドキドキする。こういう財宝は我が中央区にもある

東京散歩・本郷小石川#25/支配者が替わっても地元実力者は変わらない

江戸氏が源氏と共に関東を去ったのち、一時圧倒的に支配地を広げた豊嶋氏も、智者太田道灌の前…

勝鬨美樹
1年前
5

東京散歩・本郷小石川#24/豊嶋氏の没落

毎日3万人のコロナ発症者と毎日30℃越えの猛暑に晒されたままの東京で、熱射病と間欠性跛行と…

勝鬨美樹
1年前
2

東京散歩・本郷小石川#23/本郷坂道夏散歩#03

嫁さんと娘が二人で出かけちゃった。だから今日の坂道夏散歩は僕独りとなる。 雨が消えて、少…

勝鬨美樹
1年前
1

東京散歩・本郷小石川#22/本郷坂道夏散歩#02

昼はふらりと、その辺にあった店に入った。揚げ物と焼き魚しかない店。スタンダードな日本らし…

勝鬨美樹
1年前
1

東京散歩・本郷小石川#21/本郷坂道夏散歩#01

前回、ふと思い立って白山にある「八百屋お七の墓」を訪ねた。そしてそのまま本郷通りへ出て右…

勝鬨美樹
1年前
2

東京散歩・本郷小石川#20/白山花街の話

白山花街の話をするには、R.A.A.の常務理事だった秋本平十郎の話をするしかない。 R.A.A.は、…

勝鬨美樹
1年前
4

東京散歩・本郷小石川#19/三菱村だった駒込の大和郷

六義園を残した柳澤吉保は武川衆の裔だ。甲斐国北西部の在郷武士団だった武川衆は武田氏が滅ぶことで、その一部が徳川の幕臣として取り込まれた。彼は小人症(ISS: idiopathic short stature)だった。そのことで無為な差別を受けることが多々あったが、生来の聡明さと学識の深さで第5代将軍徳川綱吉は、彼を重用した。それを「綱吉への諂い」とも揶揄されたが、元禄時の頃には大老格にまで昇進している。しかし綱吉死去後は幕政から隠居し、江戸本駒込(東京都文京区本駒込6丁目)へ