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ちょっとフィクション/タンブラーの秘密。

家でドリップコーヒーを入れて、
一応温めておいたタンブラーに注ぎ入れる。
琥珀色の液体を大さじ一杯程度加えて、
しっかりとふたを閉めた。
子供にも知らない大人にも知らせてはいけない、
私だけの秘密だ。

今日はとても天気が良い。
あいにくとっても天気が良い。
日の当たらない室内になんていないで、
光り輝く外へと出ておいでよ。
太陽光はそうやって私を外へと誘い出す。

誘い出されるまでもなく、
外に出て行く運命にあるのだから余計なことはしないでほしい。
お前は私に出て来てほしいんじゃなくて、
とにかく人がたくさん出てくることが目的なのだろう?

いつものかばんにマスタード色のタンブラーと、
積読のうちの二冊をつっこんで、
河原へと向かった。

今使っているタンブラーは、
珈琲焙煎所旅の音さんのオリジナルタンブラー
私がmamebacoというコーヒースタンドで購入した時には、
マスタードカラーもあったのだけど今は
取り扱っていないのかもしれない。

水筒の注ぎ口飲み口の、
こまごまとした細かいパーツとか、
スポンジを入れる気のない隙間が苦手です。
ちゃんと洗わせてほしい洗った実感が欲しい。
水筒の飲み口はそういうものに無頓着だ。

それだから数年前に買った水筒のふたは、
カビだかなんだかわからない黒い汚れが取れなくなったのだ。
蓋だ本体だとはっきりした作りにしてくれませんか。

そういう時に見つけたのがmamebacoさんのタンブラーで、
これだと気づいて私のものにしました。
作りは簡単だけど密閉できてかばんに入れられる。
隙間は多少あれど嫌になるほどじゃない。

まだ一年ちょっとしか経っていないけれど、
そこから同じタンブラーを使い続けて今に至っている。

やはりお前は余計なことをしてくれたようだ。
河原にはひとがたくさん、
それはもうたくさん、
陽気な太陽光に誘い出されていた。

なんて迷惑な話なんだ。
いつもの一人の休日の一つ選択肢として、
河原で積読を解消したいだけだったのに。
ちょうどいい気温とキラキラの太陽光と、
特別な連休が人々を河原へ連れ出してしまった。

そうなると、
もうちょうどいいベンチも空いていない。
ひとを陽気にするしか能のない、
あいつにばれないように内心でガッカリとした。

仕方ない。
硬い護岸の石に座り込んで、
積読のうちの一冊をとり出した。
おっと、タンブラーも忘れてはならない。

積読を解消するには河原に限る。
横に珈琲と甘いものを置くに限る。
実は家からここまでの間に、
美味しそうなクッキーを仕入れておいたのだ。
タンブラーの横にクッキーを置く。

本を開くよりも前に、
クッキーの封を開けて、
二枚まとめて放り込む。
かすかではないが露骨でもない、
ちょうど良いメープルの香りが口の中に広がる。

サクサクのクッキーに吸われた水分を補うようにして、
中煎りの珈琲を一口含む。
珈琲の味に慣れてしまった私の舌は、
苦いとも新鮮とも思わなくなってしまって、
ただ美味しいと脳に信号を伝える。

ああだけど今日の珈琲は特別製なのだ。
思い出したとたん、
生理的な反応とは別に気分が高揚した。
私は深く深くため息を吐いた。

不穏な気配がした。
小さな子供がじっと見つめていた。
私のすぐ近くまで転がったボールを、
取りに来ていたみたいだ。
私の大満足な呼吸を聞かれてしまったのだろうか。

何もなかったことにして視線をそらして、
私は置いていた本を右手で開いた。

そう、
これは感づかれてしまっては終わりなのだ。
ばれてしまえば社会とかいうよくわからないものに、
糾弾されておしまい。

二十歳を超えた悪い大人にしかできない、
秘密のあそび秘密の楽しみ。
鼻の奥から罪深い香りがした。

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