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ちょっとフィクション/蛇口からオレンジジュース。

蛇口からオレンジジュースが出たらいいのにって、
考えていたあの頃を恨めしく思い返した。
奇しくもあの頃の夢が現実になってしまった。

この地の特産品はオレンジ。
オレンジしかない小さな地域だ。

市長か町長か村長か知らないが、
この辺の長の一存で各家庭にひとつ、
オレンジジュースの蛇口が設置された。
地域活性化のためとかなんとか言ってたか。

ばたばたと業者がやって来て一時間、
いともたやすく設置されて三ヶ月。
銀色のオレンジの蛇口はくすんだ輝きをまとって、
長い間沈黙を続けている。

流し台に近づくたびにそれはかすかな異臭を放って、
いるような気がする。
本当に匂っているのか。
それとも勘違いなのか。

家にいるほとんどの時間では、
コンビニで買った缶ビールを飲んでいる、
そういう人間だ。これまでもこれからも。

だから町の特産の甘いオレンジでできた、
甘いだけのジュースを飲むことなんてない。
それが破格の値段であったとしてもだ。

蛇口をひねったのは設置されてすぐの一度きり。
せっかくだからとビールの空き缶を軽くすすいで、
350ml満たしたのが最後。
それでさえ全部は飲み干さなかった。

だからきっと部屋の蛇口の中で、
オレンジジュースは得体のしれないものに、
液体なのか何なのかわからない代物に、
なってしまっているのだろうと予想をたてた。

カバンの中すらきれいに保てない人間に、
一日一回蛇口をひねるなんてめんどくさいこと、
できるはずがなかったのだ。

休みの日、
天気が良いのでめずらしく、
いつものコンビニまで散歩に行くことにした。

公園で子供らがはしゃぎまわっていて、
時々例の蛇口からオレンジジュースを、
それはそれはおいしそうに飲んでいるのが見えた。

きっと素晴らしい家庭で育っただろう。
こころにもない言葉が口の後ろまでやってきて、
口元がぎこちなくゆがむのを感じた。

あのいかにも幸福な蛇口も、
内部をたどれば自分の部屋の
静かに腐ってしまったあの蛇口へと、
きっとつながっているのだろう。

あの曇りひとつないピカピカの蛇口から、
迷いなく流れ出てくるオレンジ色には、
くすみきった腐りきった自分の部屋が、
微かに確実に溶け込んでいるだろう。

腐りかけの桃を齧った後みたいに、
罪と快楽との間とでもいうだろうか。
他になにとも言えない感覚が喉奥に広がって、
さらににやりと口元がゆがんだ。

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