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猫田による猫田のための、誤解させるタイプの嘘をつく。

嘘は苦手だけれど、
ひとに嘘をつくこともあります。
真実と違うことをいうわけではなくて、
複数の解釈がある言葉でわざと話をする。
誤解させるタイプの嘘つきです。

真実と異なることを話すこと、
少なくとも私が認識する真実について、
異なることを話すことはほとんどありません。
とまで言い切ってしまうと違うかもしれない。

あえて話していないか、
ざっくりした言葉でまとめてしまうか。
そうすると聞き手はなんだか勝手に、
一番もっともらしい答えを考えて、
おのずと納得してくれる。

こういうやり方を嘘だと思っていなかった。
核心に触れていないだけで、
本当のことを言っているのだから。

ただとある縁で嘘についての本を読んだとき、
その著者はそれを嘘の一種だと、
分類分けをしてしまうのだった。
(しまうとは完了の意)

自分で自分を正直者だと思っていたけれど、
著者によればまごうことなき嘘つきなのだ。

この時嘘つきというレッテルが付いたことよりも、
自分も嘘をつくことが出来るという喜びの方が、
いくらか大きかった。

でなければ嘘についての著者の言葉は、
私にとって呪いとなっていただろうし、
覚えてすらなかっただろうし、
嬉々として話をすることもないだろうから。

著者の言葉で私は嘘をつけるようになった。
人狼ゲームで勝つことはできないけれど、
嘘つきのなかで最も正直者だけれど、
私も嘘つきになることができるのだ。

私の嘘つきは気楽で良い。
嘘を言っている意識はないのに、
状況が聞き手が勝手に嘘にしてしまうのだから。
私はなにも悪くない。
核心を突いた聞き方をしないのが悪い。
勝手に誤解した聞き手に責任がある。

だけど、
気楽だけれどなんだかとっても、
ずるいやつだなって思う。
誰かに言われた訳でない。
なんとなく自分でそう思う。

どういうことかというと、
こう、
嘘に誠実でない感じ。

せっかく嘘をつくのなら、
事実とは似て非なることを言いたいし、
ひとを騙す罪悪感ごと愛したいというか、
罪悪感ごと嘘というものだと思う。

息を吐くように嘘を吐きたい。
それで肺がつまる感覚、
手元がじとり汗ばむ感覚ごと、
自分の人間性に加えていきたい。

嘘をつくのにいちいち罪悪感とか、
すこし不快な気持ちがある時点で、
私はあまり嘘つきに向いていないだろうし、
嘘つき最弱のままがお似合いかな。

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