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存在に支えられている話


とても大好きな青木真也選手のONEでの試合が決まりました。夏が終わる気配なのないのに、秋が楽しみになっています。

青木さんの試合が決まることがとても嬉しいです。
普段のnoteやVoicyの更新も嬉しいし、プロレスの試合の時も勿論嬉しいし、プロレスの時は今日どんないじわるするのかなあと心踊ったり体格が好みすぎるなあとか、本線から逸れた事を想ったりするのですが、やはりONEの試合が決まったときの青木さんの立ち居振る舞いは他のあれこれと比較にならないほど煌めき、ギラつきが強くなるので、ドキドキする時間と濃さが段違いです。突発的に煌ける人なんていないから、ここぞというときに抜群に光るのは普段の積み重ねあってこそだなと改めて感じます。いつもかっこいいもんね。色々なプロモーションが楽しみです。

勿論勝って欲しいし、自分が青木さんを応援する様になってからのここ2年で見たことのない景色を見たいと思う気持ちもあります。好きな人が闘う人だから当然ですし、私は過去の出来事に肌で触れていないから尚更かな。だけれど、私としては勝ち負けについての心の優先度は少し低くて、とにかくカッコよく、青木真也が青木真也で居てくださることが私にとって、私が生きるにあたって、何より大切だなと思っています。というのは、私は青木さんのかっこよさの力で立っていることが出来ている面があると感じているからです。応援している人がかっこよく在ることに支えられているという感覚。

青木さんは私の家や家族や米ではないから、青木さんがかっこよく在ることが私の暮らしに必須かというとそうではないのだけど、私が人としてちゃんとしなきゃ、背筋を伸ばさなきゃな、優しくいなきゃな、と思う時に意識の中で青木さんの存在が必要になっています。私の中のギリギリの部分を、青木さんの存在に支えてもらっている感じです。なんとも説明しがたいのですが、青木さんの生き方に触れているから人のカタチを保てている面がとても多いです。私は気を抜くとどんどん悪い面が溶け出していくし、山に行っちゃうけど、青木さんを好きでいることで人としての形を保っている様なところがあります。脆過ぎたところに出会えた大事な存在なんですよね。辿り着けて良かった。

なにか叶わなかったことや自分の出来ないこと、漠然と夢を青木さんに乗せているわけでもないし、ビジネス的な何かに青木さんの発信を活かしているわけでもないから、主なターゲット層のそれらとは違う応援の仕方、推し方のスタンスになっていることが時折なんとも申し訳ないなと思うことがあります。こんなに毎日色々発信してくださってる人を応援しているのに、自分はそんなに立派にはなれないなあとか。でも確実に青木さんの存在が私の生きる支えになっているし、青木さんの立ち居振る舞いで感じるドキドキは他に代え難い刺激で、この刺激に出会えたから生きていて良かったと思えるので、なんだか申し訳ないけれどこのままのスタンスで応援させていただけたらなあと思っています。隅っこの方できゃーきゃーさせていただきます。かっこいいからね。

10月の試合まで1ヶ月半くらい、また色々な発信を楽しみに、そして支えられながら暮らしていきます。
そして青木さんを応援している人であると言っている以上、恥ずかしくない様に私も少しでもかっこよく在るように過ごしたいなあと思います。

夏が無事に終わって、良い秋を迎えられます様に🍉でん

私がニコニコで暮らせます。