母の日の奇跡〜子どもとしての母の日〜
母の日の今日、心の底から嬉しいことがありました。それは、私が母から嫌われてなかったんだと、わかったこと。
きっかけは昨日のことでした。私はいつものように電話で母の話と話していました。母の話はとにかく長く、切れ目なく一方的で、ひたすら聞くしかない状態が延々と続きます。ひとりで人と話す機会が減り、他の人に気兼ねしてしまう母の性格を考えると、私に対してこれだけ話をするのも仕方がないと思っていましたが、母の電話を切った後はどっと疲れが出るのが常で、最近は電話をしたくないと思う日もありました。
けれど、昨日は税務署からの書類のことで、どうしても話したいことがあり、母の話に割り込んで話をしたところ、ひょんなことから意見が分かれ、2人ともちょっとした興奮状態になってしまったのです。
「その考え方、あんたはやっぱり、お父さんに似てるわ。」
「どうしてそんな風に育ってしまったかねぇ。」
何気なくつぶやいたであろう母の言葉を聞いて、私は「もういい!」とカッとなって、電話を切ってしまったのです。
この半年間、何のために忙しい仕事の合間にこんなに色々やってきたのか。本来なら母がやるべきことをしているのに、なんでこんなに文句を言われなければならないの?そう思ったら母に対して猛烈に怒りが湧いてきて、無性に悲しくなってしまったのです。
なんでこんなに悲しいのか。怒っている時はよくわからなかったのですが、しばらくして、ふとこんなことが思い浮かんできました。
ワタシハ チチニ ニテルカラ ハハハ ワタシガ キライナンダ
そう、母が言う通り、私は父に似ています。小さい頃は怖い父でしたが、自分でものを考えるようになってからは、父の考えに同意できることが多く、好きなものも似ていました。世代や男女の違いはあったけれど、2人の間には共通の話題が多くて、楽しく話ができたし、意見が異なる部分やデリケートな話題には不用意に触れないという暗黙の了解がありました。
そして何より父は、私のことをとても可愛がってくれました。誰よりも、私のことを大事に想い、愛してくれました。それが子ども心にわかりやすく、自信を持って言えました。
けれど、母にとっては羨ましく、妬ましいことだったのだと思います。
「あんたはいいね。お父さんに可愛がってもらえて。」
「あんたは子どもだから可愛いんだね。お母さんは奴隷なのに。」
そんなことを聞いて育ってきました。
母の考えには同意できることが少なく、子どもながらにどうしてこの人は、文句ばかり言って、自分では何ひとつ改善しようとしないのだろう。
あんなに文句があるのに、夫には従うフリをして、なぜ子どもの私にだけ愚痴をこぼすのか。そんなことを言われても、私にはどうすることもできないし、母が言うことに同意も否定もできず、黙って話を聞くしかなかった。
母の口から出てくる言葉は、いつも父のことばかりで、私は母の子どもだけれど、母に甘えたり、愛してもらった実感が持てないでいました。
一方父は、母のことを「俺がいなければ、ひとりでは何もできないヤツ」と、どこか馬鹿にしているようなところがありました。父が理路整然と無駄なく話を進める一方で、感覚派の母は思いついた時に思いついたままポンポンと話をします。主語述語も脈絡もない母の話はとてもわかりにくく、聞くのにコツがいるので、父にとってはイライラの元となっていました。
私は考え方は父と似ていますが、話し方は母と似ています。だから、どちらのこともわかるのです。けれども父と仲良くすると、母が一人ぼっちに感じてしまう。母の味方をすると、父は不満に思う。そんな中で公正中立な立ち位置を見つけて、2人のまん中でバランスを取ろうと、頑張っていました。
そして父と母は、母が自分を抑えて父のいいなりでいることで夫婦のバランスを取っていました。
それが崩れたのは父の病気がわかってからです。
父が病の苦しさ、辛さから、母に今までよりもさらに強く当たるようになりました。ものや罵声が飛んでくる中で、母の精神はどんどん追い詰められていきました。私にも毎日、父の悪口の電話が来るようになりました。
これは父の辛さもわかる、父が大好きな私には、とても辛いことでした。
でも母の辛さもわかるから、我慢していました。
父が亡くなった時も、母は葬儀の場で、自分がどれほど辛かったかをずっと人に訴えていました。母にとってはたとえそうだったとしても、父が亡くなった今、なぜ言わなければならないのか。
お願いだから今だけでも、そんな風に言わないでほしい。
静かに父を悼みたい私には、地獄のような時間でした。息子が母を別室に連れ出して話を聞いていてくれなければ、あの時私は、母に怒りをぶつけてしまっていたかもしれません。
ワタシハ チチニ ニテルカラ ハハハ ワタシガ キライナンダ
私と父はまるきり一緒というわけではないけれど、私が私らしく振舞うと、母とは合わなくなるのです。私が私でいればいるほど、お互い喧嘩になるのです。
それがわかっていたから、母とは深い話をしてこなかった。
それがわかっていたから、母の前ではなるべく自分を消していたのだと気づきました。
そしたら私は、母の前では嘘の自分でいないといけなくなってしまう。
それでは私がいなくなってしまう。
そんなの嫌だ、と、思ったのです。
そして母の日の今日。思いきって母に尋ねてみました。
「お母さんは昨日、私のことお父さんに似ているって言ったよね。お母さんがあんなに悪く言ってたお父さんに似ているって。
お母さんが私のことお父さんに似てるって言う時、私はお母さんから、あんたのことも嫌いだって言われているように聞こえる。
それがすごく悲しい。」
すると母はビックリした顔で言いました。
「あんた、そんなこと思ってたの?そんなわけないじゃない。私とあんたは性格も全然違うし、考え方も合わないけど、なんで自分の腹を痛めて産んだ我が子を好きじゃないなんて思うの。
大事に決まってるじゃない!
ただ、お母さんは、今、あんたのお荷物になっているのが辛いの。毎日忙しく働いているのに、私のことでこんなに手をわずらわせて。それが申し訳なくて、辛いの。」
これを聞いて、力がふっと抜けました。
母が私のことを大事だと言ってくれた。
親なんだから当たり前と思うかもしれないけれど、私には実感がなくて、ずっと不安に思っていたのだと、今わかりました。
そして、私は私のままでもいいんだ。
これからもきっと喧嘩にはなるけれど、イコール「嫌い」ではないんだ。
違うことは、理解しにくいけれど、イコール「嫌い」ではないんだ。
だって私もお母さんにそう思っている。
こんなに違う、こんなに理解し合えない、それでも大切な人。
母も同じように思っていてくれたんだ。
私自身がそう思えたことが、大切で、意味深くて、ありがたいこと。
うれしくて、安心できて、涙がでました。
母の前で自分を見せて泣くのも、はじめてじゃないかな?
そして母にプレゼントを渡してきました。
パジャマとお出かけ用のアンサンブル。
パジャマは絶対に母が選ばない柄のもの。
アンサンブルはきれいなピンクと花柄ので、絶対に母に似合うもの。
母の誕生日の頃にも着れるアンサンブルで、この服を着て、一緒に外で美味しいものを食べようねという願いを込めて。
お手紙は、母と行った函館の絵葉書と、枕元に飾れるよう、写真立ても一緒に入れて。
さっき母から弾んだ声で電話が来ました。
自分の部屋で、パジャマと服をとっかえひっかえ何度も着たようです(笑)
「今日からこのパジャマを着て寝る」と言っていました。
これを着てゆっくり休んでほしいです。
そして、外出できる日を待ちましょう。
今年の母の日は、こんなにうれしい一日となりました。
これが私の「子どもとしての」母の日です。
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