見出し画像

続・全てのヴィーガン(絶対菜食主義)に告ぐ

先日、「全てのヴィーガン(絶対菜食主義)に告ぐ」でヴィーガンへの強烈なメッセージを送りました。

これは彼らを攻撃するためではありません。ヒトの家に来たら「わずかな間は己の主義を緩めてもいいんじゃないの?」という素朴な提案です。

今回はドイツ人の女性でした。ドレスデンの友人のパートナーとして共にやってきた60代の方ですが、独自の世界をお持ちのようでした。

ドレスデンの友人はヴィーガンではないので、一緒に付いてくる彼女を拒否するわけにもいかず、3日間を過ごしました。


ヴィーガンに関しては、我が家にやって来るゲストからその数を年々増していることが分かります。欧州はもとより、南米、オーストラリア、米国・・・。不思議とアジアのゲストにはいません。

これはキリスト教的博愛主義が背景にあるのではないかと私は思います。


イスラムがハラールという食物に宗教的規制をかけていますが、これは理解できます。その宗教の成り立ちから、食べるなという食物は、その宗教が派生した当時のことを考えれば理解できます。また、赤道ベルト地帯に近いので、当然のことながら、豚は危険です。


仏教においても、僧侶は精進料理に代表される菜食主義を貫きます。在家の五戒に対して、僧侶は十戒と厳しく、殺生をしないとしていますが、仏教が肉食を全て禁じているわけではありません。

また仏教では野菜においても、五葷(ネギ科ネギ属などに属するにんにく、ねぎ、にら、たまねぎ、らっきょう)は禁忌とし、煩悩を刺激し食材の匂いも強いことから避けます。食事は修行の一環である仏教においては、菜食主義と一括りで言えない現実が見えます。

永平寺の僧侶が栄養失調に苦しむさまは、ネットで拾えます。それでも、僧侶ですから、修行ですから、苦行ですから、自らを発見するにはそれも良しだと思います。

しかし、一般人は違います。托鉢で食い扶持を賄うことは出来ません。


ドイツの友人とヴィーガンについて話し合っている中で、このヴィーガンという代物は「宗教」に近いという結論に至りました。だから、厳しくダメダメは「迫害」になり、よりその宗教色を強化し、頑として受け付けないという意固地な態度になりがちで、却って彼らを勇気づけることになってしまうので始末に負えません。

食については、例えば鯨食ニッポンを許さない、馬食ニッポンを許さない、というのはお隣の犬食の国を非難するニッポンと同じで、「あり得ない」から発する違和感がそうさせるのだと思います。

つまり倫理観や規範、社会通念を密接に結びついているゆえに、それを解き解すのが難しいのだと思います。


私は、外国人受け入れのプロフィールの中に「ヴィーガンお断り」を明記することにしました。お互い楽しい時間を過ごしたいのです。要らぬ気遣いはしたくありません。

サポートありがとうございます! 日々クリエイターの皆様に投げ銭しています サポート頂いたり、投稿購入いただいたお金は「全部」優れた記事やクリエイターさんに使わせていただきます