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note はじめ(させられ)ました

書けぬ。
どうしても書けぬ。テキストが書けぬ。文字が書けぬ。お話が書けぬ。

物心つき、思春期のあたりで脳と精神に治癒不能の大火傷を負ってしまい気づけば東京に飛び出し、紆余曲折、二転三転、右往左往。
やっとのことでゲームライターになれて、気づけば職歴30年近く。
いろいろ書いて、糊口をしのぎ生き延びて。はてさて、自分の書いたものはお客さんを愉快にさせているだろうか、と答えの見つからぬ自問自答。

そして昨今は――
書けぬ。
物書きの世界では、よくあることなのでしょう。よく見聞きすることです。
それが、自分の身に起こると これがもうセルフポンチ絵地獄絵図。
書けるときは、さらさらといつもながらにすすむのですが。
駄目なときは何をやっても だめ。何十年もこれ一本で生きてきた仕事が、物書きが出来なくなると……精神も追い詰められ、さらに書けない悪循環。
この「書けない」が、日記とかそういうのならまだ自業自得なのですが。
――請負仕事で、頂いたテキスト仕事で書けないと、ハマると。もう。

ここ数年のお仕事を頂いている取引先は、私の事情を汲んでくださってなんだかんだ待ってく頂いてばかり、私もご迷惑をおかけしっぱなしですが……さりとて、私が書けないと、私の収入はゼロなわけで。
作家が困窮するのは、明治大正の文豪たちの記録の中だけで充分だよー、とワイプ画面演出で泣きが入るくらいの有り様の、ここ数年の私でした。

それで見かねて、の進言。そして別の生き方のアドバイスが。ある日――
ある知人、仕事先のT氏が。ある日、私に。
「noteやれや」
「まんまと稼げるかもしれんぞ」
「稼げんでも、字ィ書くリハビリにでもなるやろ」
というのです。
――なるほど。今では。世間様ではそういうものもあるのか、などと。
最初は手書きの原稿用紙、ペラの手書きから始めて、途中でパソコンの普及、テキスト書きに我が身を矯正した私には、SNS文化も含めて
「そうか。今の時代はこういう発信の方法もあるのか」
などと感じ入って……いるひまは、なかったのです。

『でも、ページ作って書けなかったら エターナルしたら恥ずかしいし』
『誰も読みに来てくれなかったら、また落ち込んで逃避するかもだし』
などと、渋るロートルな私のケツを。T氏はあちら方面のお仕事テキストのアレなシーンのごとく、激しく前後にひっぱたいて――気づけば、noteのアカウント登録を強要。あれよあれよと、note機能と編集のやり方を強制座学。
『白い原稿用紙、白いテキスト画面 それよりnoteの空白ページこわい』
「おうおう 最初に自己紹介書くんだと」
「あとは日記でも書いとけ」
「オメェの中身を切り売りすんだよ」
『こんなおっさんの中身を切り身にしても、誰が読むんですかねえ』(正論)
「オレが読むんだよ。そら、書け」
人権とはなんでしょうか。書けない物書きには無いものですね。
あゝ、物書きは書いていないと物書きじゃなくなって、ただのアレ。
人権はなくなるのだなあ。無くなった。

書けたり書けなかったり。書いてもアレだったりする、物書きの物語り。
おたのしみいただければ幸いです。


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