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ゴミ拾い1ヶ月チャレンジをやってみた in 博多

野球の大谷翔平選手がゴミ拾いをするのは有名なお話ですね。

筆者も母親の影響で昔からたまにゴミを拾ってはいたのですが、博多に住むようになってあまりにも落ちているゴミが多いことに気がつきました。

さすがに用事の最中に拾いきれないということで、「もう、ゴミを拾うために外に出ればいいんじゃね?」と思いつくようになります。

ということで今回は、ビニール袋を持って1ヶ月ゴミ拾いをしに外に出た体験を1ヶ月ほどかけて書いてみたいと思います。

見込みがありそうな効果

まず、ゴミ拾いという名の戦場に出かける前にゴミ拾いをすることでどんな効果があるかの予想を書いてみようと思います。

・近所がちょっと綺麗になる?

・綺麗にしてやったぜという自信がつく?

・他者貢献ということで自分に価値を見出す?

・歩くので運動になり気持ちが前向きになる?

・見られまくるので人の視線が気になる?


… と書いている中で気づきましたが、近所が綺麗になるということ以外は自分の気持ちの問題ばかりです。
こればかりは実際にやってみないとわからないではないか!

ということで実際にやってみましょう。

ゴミを拾うのちょっと恥ずい初日

8月20日18時ごろ。
いざゴミ袋を持ちゴミを拾っているとなんとなく恥ずかしい気持ちになります。良いことしてる感を出してる自分になんか恥ずかしくなるのでしょうか?
不思議なものです。

今回訪れたのは山王公園という近所の公園ですが、散歩ついでにゴミを拾うというのも目的があって良い感じです。
ゴミ拾い旅行みたいな感じで毎日違うところを訪れるのもいいですね。

最初に発見したのはこのバット。
これはゴミか?落とし物か?
未来の大谷翔平の忘れ物かもしれないのでとりあえずスルーです。

その先の方にも何やらゴミのようなものが!?

なんか未使用の粉末スープが色々と入ってるスーツケースです。
これもゴミなのか?
初日にいきなりトリッキーなものが続きますね。
こちらも持って行けないのでスルーしましょう。

こうして公園を1周するのですが、まぁ予想通りたくさんのゴミが落ちているわけですな。

特にベンチや人が座る場所の周りは飲食物関係のゴミがたくさん落ちています。

さあ、ということで30分ほどで公園を一周してみたのですが、新しく袋付きのゴミも仲間に加わりこんな感じの仕上がりになりました。

拾いながら帰った際に駐車場を通ったので、まさに満タンといったところでしょうか。ちょっと達成感があります。

初日に気づいたことなんですが、スマホではなく一眼のカメラを持ってゴミの写真を撮りながら拾っていると調査員的な気持ちになって恥ずかしさがあまりなくなりました。
カメラを持つと恥ずかしさが減る… これはどういう心理なのでしょうか?

確かに芸人さんとかカメラ前だと恥ずかしいこともやる人はいますが、何か精神的に割り切るものがあると恥ずかしいという気持ちを乗り越えられるのかもしれません。

数値化するとゲーム性が加わる

4日目にふとゴミをいくつ拾っているのか数えてみようと思い立ちました。
するとこれがゲームっぽくなって面白いんですね。
しかも数を数えているので無心になれます。

昔の偉い人は「一日一善」と言ったそうですが、4日目に108個のゴミを拾った私は一日百八善と言うわけです。
ちなみに拾うゴミの単位を”個”から”善”に変えるとテンションが上がるのでオススメです。
例文:「今日はゴミを53個拾った」→「今日は53善した。」

そうすると一日一善の人に比べると徳を積んでいる気がしてなんか優越感というか気分が良くなってくるではないですか。
ゴミだらけの公園を見かけた際には一気に数を稼げると少しテンションが上がっていたりしました。

ゴミ拾いコミュニティに参加する


ゴミ拾いしていることを投稿するのはなんだか良い人に見られるので苦手だなーと思っていたところ、ゴミ拾いコミュニティになら投稿しても良いだろうということでコミュニティを探してみました。

そうするとFacebookグループがあったのでとりあえず参加して印象に残ったゴミの写真を投稿してみることにしました。

たまにリアクションとかコメントが来るので一人でゴミ拾いをして心細い人とかはグループに参加するのも良いかもしれませんね。
海外旅行した際に拾ったゴミをアップする人とかいると面白そうですね。

またゴミに関する情報としてゴミ清掃員でもあるマシンガンズの滝沢さんのツイートも眺めるようにもなりましたね。。。

よく通る道が綺麗になる

それこそ初日あたりには自分の住む場所の周辺ではゴミをちらほら見かけましたが、何日もすると落ちてるゴミを見つけることが難しいほど道が綺麗になっていたりしました。

環境は人を作るが、その環境を作っている俺、すごくね??
と、他にもゴミ拾いをしている人がいるかもしれないのに思い込むことができます。

また、「割れ窓理論」というものがあり、割れた窓を放置している地域は治安が悪くなるようですが、自分の地域は多少治安が向上したと考えると空き巣とかに合わないので実際に得をしているのかもしれませんね。

とはいえ雨とか用事で数日できてない時がありましたが、元通りゴミが増えていたので無力感でいっぱいになりました。。。

ゴミ拾いが社会貢献になるという意識が芽生える

ゴミを拾ってみて考えるようになった良いことと悪いことがあります。
悪いことは後ほど書くとして、良いこととしての自己肯定感の向上を書いてみます。

途中でこんな本を見つけたので参考にしてたりします。

ゴミを拾うことは社会の役に立っています。

例えばゴミの中でも新しいゴミと、捨てられて何日も何十日も経ったであろう古いゴミがあります。
古いゴミというのは私が拾わなければ今後も残り続けたと考えると、自分ならではの役割だったと感じることになりますね。
自分にしかできなかったことなのでこれまた自己肯定感アップです。

また、ゴミ拾いは生命を救うことにもなります。
個人的に海に泳ぎに行った際に海の底に落ちてるゴミを拾い上げてたりしましたが時間的な効率がとても悪いです。
実はこうしたゴミというのも陸から海へと流れてるんですね。
なので陸でゴミを拾うことで河川や海に流れるゴミを減らせるので立派な社会貢献と言えるでしょう。
うむ、自己肯定感が上がっておるぞよ。

気にしない力

ゴミ拾いをする時って意外と躊躇うんですよね。
例えば向かいから人がやってきている時にゴミが落ちているとそれを拾うのがなんか恥ずかしい。
しかし、これが慣れてしまうと別に向かいから来てる人なんて知らねぇし!
と気にせずに自分のやるべきゴミ拾いを行えます。

他にも最初は「何でゴミなんて捨てるんだよ」と思っていたにもかかわらず、慣れてくると別に気にせずに拾えるようになります。
これは普段日常生活で何か嫌なことを言われたとしても「何でそんなこと言うんだよ」と言う不満ではなく、気にせず自分の人生を生きるための気にしない力を発揮することができるかもしれません。

ゴミ拾いと宗教

ここまで拾ってきて考えたことですが、ゴミ拾いに絶対的に良いも悪いもないと思いました。
もし海外でゴミ拾いをしていたら「俺の仕事を奪うな!」と清掃員の人に怒られるかもしれません。(実際に筆者はシンガポールの飲食店で注意された。)

環境や人によって考えは違うので、自分が良いと思うなら自分でやって勝手に気分が良くなればいいのですが、それを他人に強制したり絶対的な善悪を決めてしまう場合はタチの悪い宗教に近いものがあるのかもしれません。

この記事では「ゴミ拾い良かったぜ」「面白いもの見つかるぜ」と個人的に思うことを書いてますが、それが良いと信じる人たちがゴミ拾い教の信者として勝手に拾って幸せになるのが良いのでしょう。

ゴミ拾いをしてて「なんで捨てるんだ!」みたいに怒りや不幸が湧くタイプの人間はしない方が良いかもしれませんね。

印象に残ったゴミども

・飲みかけのコーヒー

途中で半分ほど飲みかけのコーヒーを道路の脇で見つけました。
最初は中身を適当に捨てて持って帰ろうと思ったのですが、先に紹介した本でも落ちてるものを食べる話があったため、「これまだ飲めるんじゃね?」という考えが浮かびます。
おっさんがレロレロしたかもしれないので一応煮沸してから豆乳に混ぜていただきました。

・靴下

草むらに靴下が5日ほど放置されてましたが、雨でビシャビシャになって可哀想だったので貰い受けることにしました。
ちなみに落とし物を持ち帰るのは占有離脱物横領罪や遺失物横領罪などの犯罪になる可能性があるので注意が必要です。

・競馬で負けた爺さん

ある時、公園に行くとすごい数のゴミが散乱していました。

その数拾ってみると106善、15Lの袋がここだけでいっぱいになり、そして薬などからご年配ではないかとプロファイリングしました。

そして紙に小倉競馬とあったので調べてみると前日の8月27日に競馬があったそうで、競馬に負けたからやけになって散らかしたのでしょうか。

こうして誰かが失った運を私が拾ったと考えると得したと考えると同時に、ゴミを散らかすなどヤケクソになって衝動的に行動をすることで運を失うのではないかなど考えていました。

・傘

ビニール傘も捨てられてることがありますが、そこそこ大きいので持って帰るのが面倒です。
ちなみにこちらはボロボロで半分ほどしか開かないですがいまだに雨が小降りくらいなら使ってたりします。

・ハンカチ

意外とハンカチも落ちていて、写真のハンカチは道路脇で砂まみれになって落ちていたので持って帰ってテーブルを拭く布巾として使っています。

この1ヶ月で4枚のハンカチを拾いましたが、そういえば筆者もハンカチやタオルを落としたことが何度かあるので不思議ではないですね。

・汚物系

これは汚いので写真は載せないですが、蓋付きの缶の中身を捨てようと思い空けてみるとそこには小便が入っていたことがありました。
他にも使用済みのティッシュが袋に入って大量に捨てられていたなど、汚物系は臭いなども含め拾うのに躊躇してしまいます。

個人的に思ったのがゴミ拾いで気分を下げてはいけないということです。怒りや不快を感じるのであればすぐにやめた方がいいです。
汚いものほど自分の機嫌は自分でとるということを試されていると思えば汚物でもありがたく思えるものです。

そうしたことを踏まえた上でゴミ拾いを続けるのは精神的な成長を導いてくれるのではないでしょうか。

ゴミ拾いをするデメリット

ゴミ拾いの良いことばかり書くのもアレなので、悪いところも書いていきます。

・荷物が増える

まず初日に思ったのが、ゴミ拾いをすると荷物が増えるので一度家に帰る必要があるのでお店に寄りづらくなります。
車があればいいのでしょうが。

特に雨上がりのゴミ拾いというのは水分を吸って重くなっていたり、ゴミを焼却するのに水分が含まれると燃焼効率が悪く逆に環境に良くなかったりするので注意が必要ですね。

・コスパで考えると良くないかも
コストパフォーマンスで見ると良くはないかもしれません。
ゴミを拾うにも時間がかかるわけですし、ゴミ袋などもタダではありません。
もちろん運動量が増えるので健康的になって医療費が減るなどはあるかもしれません。
まぁ、ゴミ拾いする時間で稼げる人であればガッツリ稼いで納税した方が社会のためにもなるかもしれません。

・競争がない世界
厳しい言い方をすれば、「ゴミ拾いをしてます」これ自体は多くの人から褒められることが見え透いているので逃げ道になり得ます。
つまり、本業や本来ならやることがあるにも関わらず評価されるか不安なため、良い評価を得たいがためにゴミ拾いへと逃げるということも考えられるわけです。

確かにビジネスの世界だと競争がありますし、学問でも結果が出るまでに時間がかかったり、クリエイティブの世界でも苦労して作っても評価が全くない場合も多々あります。
そんな時に「ゴミ拾い」というのが本来やることの言い訳になってしまわないように注意が必要です。

結論: それなりに面倒… でも発見もある

正直ここまでやった結果… 筆者は飽きました。
面白い発見があればいいのですが、ゴミ袋を準備して外に出て拾って帰るというのが途中で単純作業になってしまい飽きがきました。

こういうのは嫌々やっても仕方がないので、苦にならない範疇で落ちてるゴミに気づいたらたまに拾うくらいのことを今後も続けてみようかなと思います。

とはいえこれまでに気づかなかったゴミに対する視点など新しいことの発見はあったので一度やってみても良いかもしれませんね。
そういえば小学生の時に大分市でゴミ拾いのギネス記録に登録するみたいなのに参加したことがありますが、そういうイベントはコミュニケーションも生まれるので市町村で定期的にやると面白いのではないでしょうか?

一緒にゴミ拾いできる仲間がいる人とかなら是非とも外で拾ってみてはいかがでしょうか?

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