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映像制作の未来

YouTubeを代表する動画編集スキルの価値がどんどん高くなっておりそこでお金を稼ぐ人もかなり増えてきました。
かといって「動画編集スキルで手に職をつければ食いっぱぐれなくなる!」かというと少し怪しい気がします。

ということでテクノロジーなどについても色々と考察することが好きな映像制作者である筆者がここで映像制作の未来について考えていこうかと思います。

歴史上初めての予測できない時代

昭和の時代までは20年後、30年後の未来を予測してマイホームを構えたり一生の仕事を決めていましたが、現代は歴史上はじめて20年後、30年後の予測が難しい時代に突入しました。

確かに昔でも「誰が次の首相になるか」という具体的な予想はできませんでしたが、大方の仕事や時代の流れはある程度読むことができました。

なのでその時の価値観を持った人の「将来どんな仕事に就くの?」「3年後の自分はどうなってると思いますか?」なんて質問は意味をなさなくなります。

なぜならYouTubeやゲームで数十億を稼ぐ業界になると考える人は10年前には少数派でしたし、これからその速度が速くなると数年で業界の盛衰は激しくなります。

今の時代は変化が起きる分野があまりに世界同時多発的で情報が多すぎて誰もその全貌を把握することができないのです。なので、今後はAR市場が伸びる!とか、音声市場が伸びる!とかはたまた時代の揺れ戻しで「アートと哲学を伸ばすルネサンスだ!」といろんな情報が飛び交っています。

先ほど触れたマイホームに関しても、家を買っても今後は事実婚や離婚のハードルが低くなったり、少子高齢化によって一夫多妻に似たような制度ができたとしたら人生100歳時代のロングスパンで考えると収容人数を変更できないマイホームは現実的とはいえないでしょう。

つまり予測できないからこそ変化やわからない事に反発するのではなく、そこを一旦離れた視点で捉えて受け入れてから自分の行動を変える必要があるかと思います。

動画”編集”スキルは食えるか

そして「動画編集スキルさえあれば食いっぱぐれない!」というのも予測できない数十年先を考えている時点でちょっと危ないということです。

もしかしたら視聴者の気持ちに合わせて勝手に編集されて視聴者ごとに違う映像を見せられるかもしれません。アンパン君はアンパンが好きだからアンパンの映像を少し長めに見せようとか、バイキン君はアンパンが嫌いだからアンパンの映像はカットしようとか自動で手を加えられたりするかもしれません。

デバイスで脳波を測定したり動画の離脱率を計測して視聴者の再生時間が伸びる最適な映像クリップに入れ替えてくれるようになります。

「いや、そんなの未来の話で来ないかもしれないじゃん」と思うかもしれませんが、今もすでにFacebookは自動で編集された映像を作って「あなたとOOさんのストーリーをシェアしてみよう」みたいに出してきますがあの進化版です。私を含め皆さんはコツコツとデータを提供している状態です。

写真ではAnimotoというサービスは自動でスライドショーを作ってくれるので、実は私もかなり昔ですがAnimotoで格安で大量にスライドショーを秒で作って納品してたことがありました。(200枚の写真スライドとかも5分くらいで作れた。)

これは映像だけでなく、音楽などはまさしく音が数値化されているものなので、聞いている人の表情や声、心拍数や脳波を読み取ってその感情に合わせて「悲しいからまずは同情する音楽、次は徐々にBPMを上げた励ましの音楽、最後はやる気を出すための音楽」という風に音楽の順番を自動で選択するのは簡単でしょう。映像編集でもこれは可能な気がします。

動画”撮影”スキルは食えるか

では編集ではなくて撮影スキルは重要なのかというとそれも微妙です。

「いや、本人がカメラの前で話したりするのは機械では無理だよ」

と思うかもしれませんが、すでにディープフェイクやパフォーマンスキャプチャーといったテクノロジーで映画は作られてたりします。ちなみにテクノロジーはポルノで普及しますがすでに芸能人の顔で作られたディープフェイクポルノは大量に存在するほど一般の人でもフェイク映像は作れたりするのです。

食品CMの撮影とかではカメラを完全に機械で動かして撮影するものがあったり、陸空海用それぞれのドローンを使えば大方の景色や街並みは撮影できるでしょう。スマホを手で持ったブレブレの動画は素人くさく感じますが、逆にドローンのようなスムーズな動きの方が人は見ていて気持ちがいいと思うようです。

何のスキルが食えるか

予測できない時代に突入したからこそ、その都度自分が使えるリソースの中で環境に適応できる能力を使っていくか、もしくはその都度学習する能力のどちらかが必要になる気がします。

つまり「今、自分には映像制作スキルがあるからもう安心」というのではなく、死ぬまで学び続ける必要はあるでしょう。

編集もしっかりとストーリーラインやニュアンスを考えた上で作るものは今後とも代替するのが難しいでしょうし、撮影に関しても理屈でわからないけどエモいと感じるものやフェイクの難しい高度なものは代替が難しいかと思います。問題はすでに機械でもできるスキルを永遠と抱きしめて離そうとしないことなので、わからない事に対して不安になるのではなく知ろうとする事から始めるといいかと思います。

正直、ここまでテクノロジーが進化すれば将来的にはそこまで生活コストはかからなくなるかベーシックインカム的な補助制度ができると思っていて、食うために働く概念すらなくなっていくかと思います。

そうするとやはりアートや哲学といったものに従事したり、自分のファンを作っていける人が成り上がって行くのでしょう。

個人的にはそろそろ「みんながいいね」と評価をする大衆迎合主義から「人からは理解されないけど自分がいいと思う」ことを突き詰めていける人が増えていくといいなと思ってたりするんですけどね。。

ゲームばかりやってたりカメラの前で変なことをしている人が数十億を稼ぐことが予測できなかったように、もしかしたらあなたも自分がいいと思うことを突き詰めれば将来激変した未来では活躍しているかもしれない、、と考えると少し希望が持てませんか?

いつも応援ありがとうございます! すごく嬉しいのでお気軽にリアクションしていただければと思いますm(_ _)m