見出し画像

変化した価値観に自分の仕事や周りがついていかない

みなさんが考える「正しいこと」や「普通のこと」を教えてもらったのはどこですか?

私が正しいことを教えてもらったのは、家庭ではなく、学校でした。学校と、大学生になってから友だちや教授たちとの関わり、それからバイト先、就職後の学校です。残念ながら、家庭でも、「うそをつかないこと」や「ぬすみをしないこと」を教えようとしていましたが、その教えは中途半端で、条件付きのものでした。

私は学校で、子どもたちに正しいことを教える時は、他人に教えてもらったこと思い出して教えていきます。

今まで学んできたことは、30歳くらいまではとても正しいと自身が持てました。お陰で堂々と教員の仕事をし続けることができました。30歳までは。

でも、私の価値観は、精神疾患になり、発達障害の診断を受け、変わってしまいました。

死とか自殺に対して思考停止している人たちがたくさんいる

まず「死」や「自殺」への考え方が変わりました。もちろん、普通の家庭で育っていないからもともと希死念慮はあったほうだと思います。

私が理解できなくなったのは「自殺はいけない」「死ぬのは悪いこと」といった凝り固まった考え方です。

え?なんでですか?っておもっちゃう。

この人たち死んだことがないから、そんなに簡単に死ぬなんてできないなんて考えないんだろうな〜と。思考停止してる感じが凄く伝わってきます。

私は何度も死んでみましたが、

「生きるのも死ぬのも結構難しいんだ」

という結論に達しました。

確かに、生きるのはとても難しいけど、死ぬのも意外と難しかったりするから、ダラダラとでも良いから生きるほうが死ぬより楽だったりするんです。生活保護とかとったりしてね。

家族愛…ケッって感じ

家族愛について、道徳の授業で一年に一回ほど行いますし、母の日とか父の日とか、親への感謝の手紙とか…

親や家族に感謝したり繋がりを感じたりする学習がたくさんあります。私はそれら全てに対して批判的な考えを持っています。なぜなら、私は親を大切にしてきたけど、親から殺されかけたからです。私は自殺しても死なないし、首をしめられても死なない不死身?みたいに死なない人間だと証明されたわけなんですが、そんな人が、親に感謝することはあるでしょうか?

この世界には、子供を道具のように扱ったり、腹いせに殴ったり、強姦をしたりと、感謝されるに値しない親がたくさん存在しています。それでも、産んでくれたことを感謝すべきでしょうか?

私は親に「お前は勝手に生まれてきた。いらなかった」と言われました。何度も「お前を産まなきゃよかった」と言われました。親も産むことを望んではいないのです。このように言葉や物理的に暴力を行う一方で、私の親は子供を親代わりにし、精神的な世話を求められました。

子供は素直で、親が求めているなら頑張って答えようとするのです。今となっては簡単に虐待だとわかりますが、当時わかるはずもなかったのです。いつか親から愛をもらえると無駄な期待をし続け、毎日尽くし続けるのです。

感謝するに値しない親に対し、無理やり感謝させるようにもっていく、学校教育にはうんざりです。自分で授業をしていても具合が悪くなってきます。

こんなふうに考え方が変わりすぎてしまって、学校で行う普通のことが私にはすごいストレスになっています。自分の考えていることがぶっ飛びすぎていてい周りが驚いてしまうと思うし、それを言うことはもちろんできないのです。今は、自分自身の裁量の中で学校の授業を変えたりすることはできていますが、細かく毎日のように吸い取られ今フラフラになっています。

どうしたら自分が楽になっていくんだろう?仕事を変えても同じように悩んで、倒れそうになるのかな。そろそろ自分は社会に適合しないと認めなくちゃならないのかな、なんて考えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?