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耳元で囁いてきたのが人間だったらよかったのに

人間じゃないです。

人格です。
人間より小さい単位でした。

女の子の声だったことは分かっていますが、誰かはわかりません

彼女のことを認識したのは、うつを発症する2ヶ月くらい前でした。

当時5年生の学年主任と担任をしていて、目まぐるしい毎日を送っていました。
ある朝、鍵を掴んでポケットに入れようとしたら、耳の後ろに、

「そんなところに入れたら無くすよ」
「え?だれ?」
振り返ってもそこにはだれもいません。
でも、何か正しい気もしたので、鍵はジャージのポケットじゃなくて、鞄のチャックの中にしまいました。

帰ってきて、鍵を開ける時
「あ、無くさなくてよかった」
と思ったのでした。

「幽霊みたいだけど、正しいこと言ってくれるし便利な声じゃん。」
発病前はこんなポジティブな人間でした。
いや、もうこの時には発病してたのかもしれませんね。

その後も、書類を片付ける時など
「そんなところに入れると無くすよ」
と事あるごとに教えてくれたので、その度に気を引き締めて片付けることができました。

でも、その年度、クラスで私が覚えてるのは断片的なクラスのざっくりした様子、子供のこと、倒れたきっかけくらいで、ほとんどのことを思い出せません。

学校にいられなくなったその日も、教室の机を片付けていたら、声が聞こえました。

「そんなところに入れたら、無くすよ」

あまり記憶がないんですが、私はその声を聞いた後帰ったと思うんです。

声は昔からいた

恐らくですが、声は昔からいました。
昔からいましたが、子供の頃の私は、

「うるさい!」

と心の中で声を一蹴していました。
うるさいとは思ってたけど、怖いとか思った事はないです。

何しろ脳内ではいつもいろんな音が鳴ってますから。
多分音楽かける係とかいると思うんです。
空調とか換気扇の面白い音だけ拾って流す係がいますし、ずっと喋り続けてる人もいますし。
そういうのが当たり前だったので不思議に思うことがなかったのですね。
脳内会議とか、面白い音楽についても今度記事にまとめてみたいです。

雑音の一部だと思ったのかもしれませんね。
逆に、声に耳を傾けてしまったから、解離が進んだ可能性もあるかなとは思います。
でも、当時解離という現象すら知らなくて、自分が精神疾患になってるとは思ってなかったのです。
虐待後遺症で解離することも、PTSDの症状の一つに解離があることも、もしかしたら自分は気づかないうちにバラバラになって生きてきたかもしれないことも。
声はその一つの証拠なのかもしれません。

今はさまざまな人格と脳内で喋りながら生活してるので、そのうちのだれが色々指示してくれてたかはわかりませんが、そのうちみんなに聞いてみようと思います。

解離性障害のみんなは、声聞こえてるのかな?
みたいな話でした。
おしまい


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