Mika Sakai

アメリカでの生活が自分の人生の半分以上になってしまいました。自分のアイデンティティの模…

Mika Sakai

アメリカでの生活が自分の人生の半分以上になってしまいました。自分のアイデンティティの模索もある程度落ち着いて、今はもうこれでイイのかなと思いながら生活をしています。このスペースは自分への問いかけ、そしてもし一緒に考えてくれる人がいるのなら、一緒に考える場と思っています。

最近の記事

なぜまだ大学で授業を取っているのか?の続編

2つのうちの一つのレポート(まだドラフト)を10枚程書き上げた。後はもう一度、二度見直して完成させ提出する。と同時に5-6枚程のもう一つのレポートに今取り掛かっているが、自分の本当の専門ではないので、何だか何をどう書いていいものか頭を悩ましている。書けるのか?自分?ってここ何日か寝ても覚めても”女形”のことを考えている。あああ、どうして私はこのクラスを取ったのか?いや、結構、学びは多かった。今の私なら日本の伝統芸能について語ることができる。有難う、教授。 が、それとこれとは

    • なぜ私はまだ大学で授業を取っているのか?

      と自問したくなる時期です。後2つ程レポート?(日本語ではレポートでしょうか)を1週間で書き上げなくてはならず、やはり第二外国語で書くのはなかなか時間がかかります。毎日書く練習をすれば良いようですが、書きたいという気持ちを保ち続けるのは簡単ではありません。 書かなくては、、気持ちを脳の上まで持ち上げなくては、、変な表現ですが、英語で書く時の感覚はそんな感じです。 英語で書く時には自分の表現力の限界をいつも感じながら、悶々としながら書いています。

      • 死について

        最近よく考えるのが、死について。自殺願望ではない。哲学専攻ではないので詳しい知識はないが、Prof. Shelly Kaganの講義を動画で見たりと、学ぼうとはしているが、これがなかなか進まない。 クラブハウスで哲学クラブを見つけたが、私の求めているものではないことに最近気づいて、もう聞くこともない。 哲学の本でも読もうか、プラトンの対話の本でも読もうかとか、でもそんな時間は今はない。 ダライ・マラと話してみたいな、とか思ったり。 ううううん。

      なぜまだ大学で授業を取っているのか?の続編