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愛の魔法

こんにちわ。

誰にでも価値観、好きだな、苦手だな、得意、不得意があると思うのだが、今回は僕の個人的な映画愛について語っていく。
少し刺がある部分もあるが、暖かい目で見守ってくれると嬉しい。

ポンヌフの恋人 (1991)

映画って素敵だ

① 有限なものだから

僕にとっての映画とは「現実逃避」に近い。

勉強するわけでもなくなんとなく観ているから「芸術に触れているから」なんて偉そうなこと口が裂けても言えない。

映画とは造り手が存在する虚構の世界である。
愛や喜びを、時には恐怖を作り出す不思議な世界。
何のために虚構を作り出すのか、本当のところは造り手に聞いてみないと分からないだろう。
しかし、その謎を解くためのヒントは映画の中に散りばめられている。
与えられた謎解きが感情を高ぶらせてくれる。
主観的に観ることができたその瞬間、この魅惑の世界にのめり込むことができるのだ。

映画とは架空の世界に自分を投影し入り込める一種のアトラクションなのだろうか、そんな感覚に陥ることがよくある。
そこでの時間は永遠でもあり一瞬のようにも感じられる。

そしてふと気がついた時、現実に戻される。
この感覚こそ「映画」なのだ。
これが、僕にとっての映画だ。

僕の好きな映画にはどれも共通する部分がある。
「始まり」「終わり」、「現実」「虚構」、「生」「死」などの対比だ。
そしてこれらの対比には時間による制限が存在している。
始まりがあれば終わりがあると言われるように生き物に一生があれば、虚構にもいつか終わりが来る。
映画という虚構の世界の中であえて永遠に続かないものを表現することで現実と虚構が混ぜ合わされるのだ。
そして、そこには無限が広がっている。

「時間」という有限なものの中で無限を自由自在に操る様子が目の前で引き起こされる感動。
僕はこのような芸術家が無限を操り新しいものを作り出す瞬間が好きだ。
その瞬間を目撃した時、思わず涙が溢れるほどの感動を味わうことができるあの時間が好きだ。

虚構の世界における有限という要素で生み出されたリアリティが、過ぎ行く時間を感じさせてくれるのだろう。

先程、永遠でもあり一瞬と表現したがまさにこの通りであり、終わりがあるからこそ得られる感動がある。
そこで得た感動は永遠なのだ。

映画にとって最も大切なことは時間が過ぎゆくことを感じること。

映画にとって大切なことは「時間」ということが分かる。


② 映画、愛の魔法

産まれてからもう17年も経ってしまった。
いや、まだ17年しか経っていないのか。
そんな深いようで浅い僕が愛を一丁前に語ろうとするこの状況、はっきり言って気色悪い。

ここで語る「愛」とは恋愛感情などではなく、どちらかと言えば「関心」に近い。
特定の映画、と言うよりかは映画という娯楽・芸術文化に強い関心を持ち、惚れ込んでいる。

ピュア発想で説明すると、僕は映画の魔法に惑わされている。
わかりやすく言えば、映画の持つ様々な愛の側面に強く惹かれている。
映画からは、単純な「愛」という一言では片付けることのできない、様々な感情が伝わってくる。

ジュゼッペ・トルナトーレ監督作品『海の上のピアニスト』は現実では起きるはずのない自然の摂理に逆らった「映画の魔法」を使う演出が数多く存在する。
トルナトーレ監督の持つ独特の人生観や純粋さが時々生み出される残酷さへと繋がる。
この純粋さと残酷さの間を上手く取り持ってくれている「映画愛」が始まりと終わりのあるものを美しく描いている。

トルナトーレ監督の愛の力が見れる作品は『海の上のピアニスト』だけではない。
彼の代表作であり映画史に残る感動作とされる『ニュー・シネマ・パラダイス』でも彼が思う魔法と愛の持つ力が描かれている。

映画の魔法が起こす奇跡、愛の力が起こす奇跡、これらが目の前で起こる。
フィルムを繋ぎ合わせるように愛で人と人とを繋ぐ。
繋ぎ合わされた人それぞれが持つ愛の魔法が感動を運び届けてくれるのだ。

クエンティン・タランティーノ監督も「映画愛」に溢れた作品を作っていると言える。
彼はレンタルビデオ屋でバイトをするだだの映画オタクだった。それが今では映画界では欠かせない著名人のひとりとなっている。

彼の映画の魅力と言えば、様々なジャンルや名作のオマージュと彼独特の世界観が噛み合わさったクスッと笑えてほろりと泣ける作風だろう。
マカロニ・ウェスタンやアメリカン・ニューシネマ、日本のアニメーション、低予算映画… 名作からマイナーなものまでオマージュ元を挙げていたらキリがない。

これは彼がレンタルビデオ屋で働きながら膨大な量の映画を観ていたからなし得ることができたことだと言える。
芸術学校で学ぶこととは全く違うかもしれない。
ただ「楽しいから」「愛しているから」という純粋な気持ちからたくさんの作品に触れていた彼だからこそ作れた作品ばかりのように思える。

映画とは愛の結晶なのだ。


③ 繋がり

「映像で魅せてくる!」と言われる作品にはSFジャンルが多い。
『アバター』『ゼロ・グラビティ』『ジュラシック・パーク』等が当てはまるだろう。
ぶっちゃけてしまうと、『ゼロ・グラビティ』以外はつまらないと思っている(ゼロ・グラビティすら苦手)そもそも僕はSF作品が苦手だ。ただし、スター・ウォーズを除いて。笑

革新的な映像技術はもちろん素晴らしい。大画面で観た時の感動と迫力は忘れられないものだ。
しかし当時としては革新的手法であっても今では当たり前に使われている手法だ。
iPhoneがすぐに新作を出すように。

『アバター』はリアルタイムで映画館へ行き『ジュラシック・パーク シリーズ』は小さい頃よく観ていた。
実際もう少しで成人を迎える(気が早い)心も体もそれなりに成熟した状態でこれらの作品を観て「おもしろい!」とはなれないのだ。悲しくもあり、成長を感じれる。
信じられない。SFにワクワクできない日が来るなんて。

そろそろ本題に入ろう。

僕は言葉では語りきれない感情を画で表してくれる映画が好きだ。
派手な演技など無くても登場人物の感情がパッと画面に映し出された時の感動は凄まじいものである。
全てを言葉で語ってしまうのなら本でいい。

僕の最も尊敬する映画監督であるクシシュトフ・キェシロフスキ監督の代表作『トリコロール 三部作』を例に僕の解釈を混じえて説明してみる。

『トリコロール 三部作』とはフランス国旗・トリコロール🇫🇷の青・白・赤の各色に込められた「自由・平等・博愛」の意味に沿って物語が展開される。

そこで未視聴の人にもわかるように3作をざっくりと解説してみる。

名匠クシシュトフ・キェシロフスキ監督がフランス国旗トリコロールをモチーフに「青・白・赤」と、それぞれの色が意味する「自由・平等・博愛」をテーマにした美しくダイナミックな3本の愛の物語。

異なる意を持つ様々な愛の形を、美しい色彩の映像や叙情的な音楽などで繊細に描いている。

解放と再生を描く緊密な心理劇としての「青」。

「愛」に平等は存在し得るのかと問いかけてくる社会派コメディの「白」。

自由や平等にも勝る博愛の成り立ち難さを厳しく描きつつ、鮮やかに愛の居場所を見出していく「赤」。

うまくまとめられた。

では本題に戻る。
画で感情を表すとはどういうことなのだろうか。

トリコロール 青の愛 (1993)

『トリコロール 青の愛』の劇中シーンを用いて説明してみる。

「青」に込められた意味には「悲しみ」「ネガティブ」それらとは対の位置にある「自由」などがある。

このシーンにに映る女性・主人公ジュリーは事故で愛する夫と娘を失い、自分だけが生き残ってしまったことへの罪悪感から「拒絶」による「解放」を求め、全てを捨て新しい人生を始めようとする。
しかし全てを手放した先にあるものは「孤独」であり、どうにもならない心の痛みと過去が付きまとうのだった──

この画像のようにプールで泳ぐシーンは作中に何度か登場する。
たった1人で青い暗がりの中泳ぐ。
これは彼女が孤独であること、過去からの脱却ができずに揺らぐ不安定な心を表している。
ここでの青の意味は「悲しみ」「ネガティブ」。

しかしとあることがきっかけとなり彼女は過去からの脱却に成功し、解放される。
すると青の意味はトリコロール本来の意味である「自由」へと変化する。

さらにこのシーンで青の他に印象的な色と言えば「黒」がある。
周りを拒絶する「黒」、死や夜の闇の「黒」、信じる心を失った「黒」。
『トリコロール 三部作』ではテーマの色と黒の配色が多く見られる。
「青・白・赤」の3色全てに調和できる配色は「黒」以外にない。

鮮やかな色の裏には抱え込んだ黒がある。

美しい色彩は心の色の現れであると言える。

そして、『トリコール 三部作』以外にも画で語ってくれる映画は沢山ある。

とある人間の崩壊を描き定点カメラがだんだんとズレていくシャンタル・アケルマン監督の『ジャンヌ・ディエルマン』

「虚構」と「現実」の対比表現を主に、現代社会が強く依存する資本を独特の視点で描いたアレハンドロ・ホドロフスキー監督の『ホーリー・マウンテン』

デヴィッド・リンチ監督の初長編にして当時の彼の体験と不安が詰め込まれた『イレイザーヘッド』

鮮やかな色彩と美しい花々と共に「生」と「死」を描く北野武監督の『HANA-BI』

などなど挙げているとキリがない。

そしてこれらの作品はどれも監督の独自性が強い。
描きたいことを全力で描いているのだ。

監督の意思が画面に投影されそれが僕たちに伝わる、時代を超えて人と人とが繋がれる関係が大好きだ。
意思が強く伝わってきた時は涙が出るほど感動する。

これも映画の魔法の1つだと僕は考える。


④ 魔法に魅せられて

僕は今回のnoteで僕の考える映画の魔法を3つか4つほど書いた。
ぶっちゃけてしまうと下書きというか台本もなくただ何となく書き始めてしまったため全く筋の通っていない文章が完成してしまった。

本当はあと2つほど語る予定だったのだがキーボートを打つ手が限界を迎えたのでなんらかの形で近いうちに投稿しようと思う。

最後までご愛読ありがとうございました。

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