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天空の標 第二十五話

第九章 波瀾(一)

 廊下に出ると、スピカは一歩一歩、上下に跳ねんばかりに意気揚々と歩き出した。首だけロスの方に振り返って大真面目に注意する。
「このお城は広いから、案内してあげる人がなくちゃすぐに迷っちゃうの。きちんとあたしについて来てね」
「分かった。じゃあ取り敢えず、あの兄さんと殿下が言っていた露台に連れて行ってくれるかな」
「近道がいい? 遠回りがいい?」
 小さな子供が目を輝かせて期待いっぱいに言うと、それは頭で考えるよりも抗い難い力を発揮する。当然のことながら真っ直ぐに目的地に向かった方が時間の短縮にはなるのだが、まだ夜までは余裕があるし、城の内部構造を頭に入れて来いと言う指令もある。ロスはスピカが顔に露わにした要望に応えてやることにした。
「ちょっと回り道して行こうか。君がよく通るところとか、見て面白そうなところとか」
 案の定、ロスの返答にスピカの瞳は一層明るくなり、「じゃあこっちよ」とロスの袖がぐいと引かれる。小走りになって二人は長い廊下を進んだ。

 ***

 低層階に位置する書庫からすぐの階段を一階昇ると、階段脇に細い渡り廊下があった。天井は長身のロスより頭二つ分ほど高いくらい、幅は人二人が並んで通れるほどで、これまで通った廊下と比べると狭い。左右の壁に窓は無く、採光の代わりに銀の燭台が掛かっていた。薄い空色の壁紙を背景にして灯る蝋燭の火が、天を照らす月のようだ。
「城の北の塔と南の塔を繋ぐ渡り廊下よ。南が海に面してるの」
 通路は大して長くない。向こうの出口とその先の廊下も、手前からしっかり見える位置にある。南北に塔が分かれているとは言え、大した距離ではないのだろう。
「渡り廊下ということは、この下に何かあるのだろう?」
 二つの塔を別々に作り、後から繋いだということも考えられるが、昨日今日に訪れた部屋の印象では、両方の建物に建設年代の差は感じられなかった。
「海よ。物語とか読んでるとね、この塔は二つとも古くに建てられたんですって。海に一番近いところに建てたから、そんなに横におっきなお城を建てるほど土地が広くなかったみたいって。十分横にもおっきいけどね。でも縦の方が長いわ」

 ならもう少し内陸を選べば良かったのではないか。それを問うと、スピカに言わせれば、海が一番よく見え、海に一番近いところが、民族の心が「ほっとする」のに重要なんだと力説する。大洋の向こうから移住してきた彼らの祖先にとっては、自分たちの出自や歴史との結びつきの方が優先されたのかもしれない。
 そうこう話している間に二人は北の塔へ渡り終え、スピカの先導で城の奥——海に近い方のはずだ——へ廊下を進んでいった。スピカに遠回りを許したため、こっちの角で曲がったかと思えば、向こうの階段を上り下りする、という具合に城内を散策しながらであるが。
 行きすがら、ロスは城の階ごと、廊下ごとに壁紙の色や模様、使われている建築材の種類や扉の装飾が異なることに気がついた。先ほど、渡り廊下を抜けたばかりのところは水色の壁紙に波打つような模様の壁紙だったと思ったが、今通っているところは草色の壁紙であり、扉には植物の蔦や葉、木の実や花々の彫刻があしらわれている。
「この城の中の部屋って、別々の時代に作ったりしたものなのかい」
 作られた時代が違えば使われた技術も芸術様式も異なるはずであり、それに応じて出来上がる造形も異なる。ロスはそう推測したのだが、スピカは首を横にふり、よくよく事情を知ったような口で答えた。
「ううん、これはね、お城のお部屋ごとの役割を表しているのよ。このあたりは農作物について色々やるところだから、果物とかお花とか、そういうの。さっきの書庫では本の形の飾りがあったでしょう。あそこは本がたくさんあるからなの。次の角を曲がったら、大工さんとかのお仕事を決めるところよ」
 言いながら突き当たりを右に折れると、スピカの言う通り装飾が変わった。並んでいる部屋の扉の上には、定規や工具と思われる意匠が凝らされている。測量器と思えるものもあった。恐らく、国の土木建築に関する業務を担っているのだろう。
 そう言われて左右を見ながら進むと、ある場所では天秤(公正を示す。つまり法を司る機関であることは間違いない)、ある場所は帆船(海洋や貿易か)、そしてある場所は剣(正義の象徴だが、恐らく軍務だろう)といったように、政府機関各省庁がどこにあるか、視覚的に分かるような内装になっていた。
「こうしてあると、装飾を見るだけで行きたい部屋が見つけられそうだな」
 ロスの感心した声に、またもスピカは自分のことのように自慢げだ。
「こういうの、『機能的』って言うのよ。これだけ広いお城だもの。新しく働きに来た人が場所を覚えるのにも便利でしょ。飾りがない部屋だってあるし、ぱっと見て分からない模様でも、お城で働いていればそこが何か教えてもらえるわ」
「へーぇ……模様でわからない部屋っていうのはどんな種類の……」
「こぉら」
 何気ない風を装ったロスの問いは、途中で遮られた。
「聞き出そうったって乗らないわよ。あたしは口が硬いんだもん」
 スピカは勝ち誇って腕を組み、ロスを見上げる。口が硬いかは疑わしいが、本人が言う通り簡単には流されない用心深さがあることは確かなようだ。口の端を僅かに上げ、ロスは首の付け根を掻いた。
 ——この子はもう少し口数少なく慎重になれば、確かに姫様に似てくるかもしれない。
 王族らしからぬ御転婆だが聡い自国の姫をスピカに重ね、ロスは目の前の小さな娘の行く末が楽しみでもあり、彼女の面倒を見るだろうその兄とクルックスに同情も感じた。

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