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天空の標 第三十九話

第十二章 抜刀(三)

 通路はなだらかな弧を作りながら下方へ向かって伸びていた。向かっていく先は城の最南端。白亜の石灰石でできた壁に窓はなく、他の廊下に比べるとひんやりとした空気に満ちている。絨毯や布製の装飾が皆無のせいか、靴音が四方の壁にぶつかって反響を繰り返し、立体的な響きとなって狭い空間に広がる。
「先ほどは助けて頂いてありがとうございます」
 クルックスは落ち着きを取り戻したようだった。走りながらロスに顔を向け小さく頭を下げる。
「礼を言うのはこっちの方です。逃げ場の少ないあの部屋で、あれだけの数を相手にするのはさすがに疲れる」
 身動きの取りづらい部屋で八方塞がれた状況では守りで手一杯だ、とロスは苦笑した。
「しかし……近衛師団長とはね。嫌われてると思っていましたよ、僕は」
「ああ」
 クルックスはロスの意見を笑い混じりに受け止めた。
「あの人、いつもあんなしかめっ面してますから。誤解されても仕方がないです」
「それは、うちの大臣じーさんみたいだな」
 ロスの即答にクルックスは吹き出した。そしてしばらくくすくすと笑い続けると、崩れた息を整えてから、前を走るカエルムに声をかける。
「それはそうと、カエルム様ならこの道にお気づきになられると思っていました」
 カエルムは返事のつもりで微笑する。主人の代わりに口を開いたのはロスだ。
「気づいてるのはいいんですけどね。殿下、この通路のことが分かっていたならもっと早くに行動に移せば良かったじゃないですか」
 昨晩のようなことがあるのだ。いらぬ危険を呼ぶような真似はしないで欲しいと、日頃の行いも思い出してつい非難がましくなる。そんな従者の心境を知ってか知らずか、本人は悪びれた風もない。
「気づいていたとは言えない。初めは何かあると思っただけだ。この道が《《あそこ》》に続くと確信したのは昨晩だし」
「でも《《あの方》》がいると思っていたのでしょう」
「昨晩の時点ではただの勘だ」
 しれっと言うが、その類の勘が良くも悪くも当たりすぎるので、ロスからしてみると怖いのだ。「それに」とカエルムは続けた。
「テハイザ側の布陣も推測の域を出なかったからな。確認できたのは先ほどが初めてだ。あとは、状況からして王に何らかのお考えがあるのは確かだと思ったし。下手に動けばその計画をも崩しかねない。直属の招きがない限り」
 つまりは近衛師団長の一言が直属の招きというわけか。合点の行ったロスではあるが、やはりこちらの気苦労も考えて欲しいものだった。その身を案じていると口にすれば過保護と返事がきそうで、どうも直接本人に言いたくないが。
「やはり、思っていた通りの方でした」
 カエルムの説明を聞いていたクルックスは、目元を緩ませた。続けて、ロスも感じていた疑問を口にする。
「でも、先の扉はどうして開けられたのですか?」
 問いかける視線を二人から受けて、カエルムは、ああ、と手を挙げて指環を見せる。
いにしえの約束、とでも言うか……」
 右の薬指の上で、碧玉と珊瑚色の小さな珠粒が銀の輪を飾り、壁に掛かる燭台の灯を反射する。
「あれは間違いなく、シューザリエ大河上流に生息するシレアの白木だ。場所は妖精が護るという伝説がある聖域にあたる」
 その場所ならもちろんロスも知っている。同じような白木で作られたやしろが立つ場所で、祭儀などの折にも訪れる。
「現状はどうであれ、シレアとテハイザの関係は歴史が深い。その最初の記述を読んだのは昨日が初めてだったが……シレアの王族に代々受け継がれているのが双方の友好を証すものだとは両親から聞いていた」
「『天の標を持つ国、自らに与えられたもう海の美しき宝玉によって、類稀なる形をつくる。やはりこれを一の宝とす。』……」
 カエルムの言葉を聞いて思いついたように、クルックスが呟いた。ロスが怪訝な顔をする。
「何です、それ」
「テハイザの国事史にある記述です。かなり古い時代の話で……あぁそうか、これはシレア国との国交の始まりでしたね。確かその後に……」
 カエルムは頷いた。クルックスと二人同時に、記述の先を暗誦する。
「『天と時、ところを示し、流れを示す標を持つ両の国、その宝に託し、互いの信の証とす。ここに両の国の友交始まる』」
「それが、その指環だと? でもあんな不可思議な力があるとは……」
 先代のシレア王も身につけていた指環で、ロスも見慣れていたものだった。まさかただの装飾品ではなかったとは、長く王子に仕えていた身であっても知るところのない事実だ。驚嘆の眼差しに、カエルムははにかんだ。
「普通の理屈では説明できない現象だけれどな。シレアに伝わるところによれば、風雨を防ぐが如く木は護りの力を持ち、海の波が岩を削るように水には破壊の力がある。ただし、正反対に見える両者は互いに支え合う」
 指環の碧玉に視線を留める。
「天から降る雨は木を通して地面に至り、地底を伝ってやがて大海の一部となる。宥和する二つの力が両国を結び、護るようにと」
 吸い込まれそうな水の碧色の横に並ぶ薄紅色の珊瑚の粒は、海に育まれた生命の象徴。テハイザ王も、この至宝がシレアに伝わることを知っていたのだろう。
 通路の傾斜が無くなり、三人の周りの壁が陽の光に照らされ白さを増し始めた。そしてその壁づたいに、光の漏れる扉が見える。
 扉をくぐると、眼の前に白銀の粒が踊る碧い海が広がっていた。
 奥の壁一面が大きな硝子ガラス窓で覆われたその部屋は、半円形の造りが天球儀のある上階と等しく、窓の外に広がる冴え渡った青空とその下に引かれた水平線が、露台から見るものと同じである。
 そして、紺碧の絨毯が敷かれた室内の中央に立ち、三人を出迎えた人物がいた。

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