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天空の標 第九話
第三章 偵知(三)
テハイザの城は広い。至る所で廊下と廊下がぶつかり、上にも下にも階段がやたらと多い。一人で歩けばすぐに迷子になりそうだ。
廊下の装飾は様々で美しい。そこに並ぶ部屋の機能によって装飾の種類も分けられているのだと、青年が説明した。そう言われて注意して観察すれば、なるほど、手摺の金属や窓枠の細工模様など、廊下ごとに統一されているようだ。あるところでは平等を示す天秤の絵が、あるところでは測量と幾何を示す定規が、また別のところでは船と錨が、というように、主だった意匠が変わっていく。
「この廊下は?」
ロスと別れていくつか角を曲がると、それまで見たものとは少し趣きが異なる廊下に出た。
「石や貝細工が中心かと思いましたが、木も使うのですね」
その廊下は、壁や柱は他の廊下と大差ない石造りだったが、部屋へ続く扉や窓枠が美しい白地の木で出来ていた。扉の周りには、精緻な彫刻で植物模様が象られている。
「確かにそうかもしれませんね。ここは城の中央に近いんです。だから他から分けて、特別にしているのかもしれません」
「貴方が案内したいところというのは?」
城の内部の見事な造りに見惚れていたのもあるが、監視が無いかどうか、歩きながら四方に注意を向けていたため、カエルムはそういえば肝心なことを聞いていなかったと今更ながらに尋ねた。青年はその質問に、誇らしげに破顔する。
「城の南端です。外が見えるところへ。海が実に美しいから」
青年についてかなり上層まで階段を昇り、廊下が突き当たるところまで来た。廊の端には糸巻貝型の取手がついた扉がある。どうぞ、と勧められて扉の先へ進むと、そこは海側にせり出した露台だった。
夜の海が眼下に広がり、白い月がその姿を海面に映し出す。砕けて白く泡立つ波の音が耳の奥を低く震わす。視界を百八十度巡らせば、どこにも遮るものはない。街の灯は真反対になるのだろう。視界の端、遠く陸が伸びた先に灯台の光が見えた。
「素晴らしい眺めでしょう。僕は、この城でここが一番好きです」
「これは圧巻ですね。確かにいくらでも見ていたくなるな。城勤めは長いのですか」
「それなりに」
「お会いした中で貴方ほどの歳の方があまり見ないけれど、年配ばかりに囲まれるのも疲れるのでは?」
ここだけの話、と冗談めかして言うカエルムに、青年は小さく吹き出した。
「まあ、他愛ない話ができないのはちょっと退屈ですね。前には幼馴染がいたんだけど……」
そこで青年は言葉を切り、俯きがちになって目を伏せた。
「へぇ……そういえばうちの城にも居ますよ、妹に近い年齢のが。貴方くらいかな」
「そうですか……そいつは、よくやってますか……?」
カエルムではなく、海を見たままに青年が問う。
「まずもって機敏。それから、よく働く」
「城の皆様にも、好かれてますか? ……えっと、ほら、テハイザ宮は、こんなだから」
「なかなか気持ちいい人物だと思っています。あと恐らく、奴は強い。元気な好青年ですね」
そうですか、と青年はもう一度呟き、どこか、ほっと安堵したように息を吐いた。立ち入るべきか迷ったが、カエルムも話を変えることにし、辺りを見回す。
すると、淡く円形に白んだものが真下に見えた。水に浮かんでいるようだが、その部分だけ、海側に面した一辺を除いて三方を壁が囲んでいる。
「あれは?」
暗さを増していく海の中でそこだけが光り、周りの景色から浮かび上がる。それは得体の知れない不気味さよりも、神聖さすら感じさせた。
白く光る水面を見遣った青年は、肩を竦めた。
「ああ、あれはよくわからないんですけど……夜になると光りだすんです」
「水中に発光体でも?」
「分かりません。古くからの伝説なんかもありますけれど……でも、あれが光ってくれてるおかげで、船乗りは夜の航路であっても、この国に帰って来られるとか」
海の波は絶えず寄せているのに、その白く光る水面には、遠目から見ても一筋の波紋も見えない。新月前の細い月より明るく、水面に映った真昼の太陽のように、静かに光を湛えている。自国に伝わる宝を思いつつ、カエルムはその妙なる輝きに魅入られていた。
その光を受け、闇夜の中に寄せる波が僅かに煌めき、水面を飾る。
どのくらいか分からないが、共に黙したまま海面を眺めていたところ、やや黄色の入った別の光が空を照らした。階下の部屋だ。
その明かりに気づいた青年は、急いで城内へと身体を返した。
「あまり夜の海風に当たってはお身体が冷えます。こちらへ」
——何か、ある。
カエルムはそう確信した。
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