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女であるということ


「お茶だしは女性がしましょう」

という環境に、以前いたことがある。
私と同世代の女性が「この時代なのにね」と言っていた。私は決まりなら仕方ないと受け入れてしまいつつ、やれる人がやればいいだけだよなーと思っていた。


男だからとか女だからとか。

性別の話をするのは、時代の流れにそぐわないかもしれない。

ただ、ここ最近なんとなくこのテーマにアンテナが立っている。

とはいえ、こういったテーマの研究や本はたくさん存在していると思うし、さまざまな意見があると思う。そのうちほんの少ししか読めていない。そんな私が一丁前に自分の個人的な考えを書いてみたい。


私の前提として。

男だからどうとか、女だからこうとか、決めつけたり考えたりするのは好きではない。そもそも性別に限らず、見た目だったり、一つの行動だったり、一つの発言だったり。表面的なことしかわからない他者が、誰かのことをわかったように決めつけるという行動・状態は、私の価値観と合わない。

就職活動中、会社指定のエントリーシートがあった場合。性別欄が「男・女」となっている会社は、やっぱり受けるのやめようかな、と考え直す対象だった。性別欄が空白だったり、選択肢にその他が含まれていると書き進めることができた。(ちなみに少し脱線するが、障害者などについて記す場合の、「障害」の表記については、「障がい」とせずに「障害」のままで良いと思う派である。人それぞれ考え方は違うので思うように使ったらいいと思うけど、それくらい言葉にこだわりを持ってしまう、ということ。)


私自身は、というと、女として生まれ、自分を女として認識している。ただ、「女に生まれてよかったぁ〜」と思えていない。むしろ「女って大変だ」と思ってしまう。みんなそうなのか、そうじゃない人の方が少ないのか、世の中の女性がどう思っているのかはわからないけど。そしてもちろん、女性以外にもそれぞれの大変さは人の数だけあるのだろうけど。

いつからそう感じているだろうか。思い出せる限り遡ると、中学生や高校生の頃、生理痛がひどかった私は、学校で体調を崩したことが何度かあった。急に目の前が真っ暗になって座り込んでしまったり、体育で無理をして保健室で休んだり。皆勤賞をとりたかったけど、生理痛が酷すぎて保健室で定期テストを受けたものの結局トイレで戻してしまったり。(それなのに終業式の日、皆勤賞の生徒の発表で自分の名前が呼ばれず、確認したら、「保健室登校は、登校扱いにならないですよ〜」と言われ、あの苦労はなんだったんだと愕然とした。)


受験のときも日程が被ったらどうしようと不安だったし、前後で心身ともに体調がおかしくなる。周りに迷惑をかけている自覚があってもどうしようもできない。薬に頼ったり病院を受診したり。成長するにつれ少しずつ改善した部分もあるが、いまだに振り回されていると感じてしまう。



それ以外でも。自分が女であるが故に嫌な思いをしたと記憶していることが色々思い出されてしまう。人間関係とか身体のこととか。自分が仲良くしたいと思う人と仲良くしていたら陰で何か言われたり、与えられた役割を全うしようとしているだけなのに調子に乗っていると思われたり。ありのままの見た目でいたら容姿をからかわれたり。

ここまで振り返って気づくのは結局自分はいつも受け身で、嫌な思いを「させられた」と思っているということ。自分が良いと思って自分で決めてそうしているのだからこれで良い、と信じきれない私の弱さは、結局自分は「女性らしい女性」に敵うことはないのだと飛躍した信念に変わり、いつからか私に何かを諦めさせることに役立ち続けた。


社会的なことを言えば、結婚や出産や仕事を考えると、やはり女って大変だよと思う。やりたいことを追い求めているうちに気づけば30代が近づき、周りが結婚、出産していく中で、自分はこれでいいのかと悩む。人と比較しないとしても。自分の幸せの一つに出産があるとしたら、時期は男性と比べて考慮しなければならない要素になるだろう。そう今の私は思ってしまう。もちろん色々な選択肢がある。人生なんてどうなるかわからない。なるようになるのだろうけど。それも含めて、そこに身を委ねられるほどの余裕が今の私にはあまりない。


正直に言ってしまえば、女性であることを楽しんでいる人が羨ましい。そう見える人が羨ましいのだ。もっと自由に、自分が自分であることを受け入れたいし、自分を構成している要素の一つを嫌いでいると、いつまでも「なんかすみません」と申し訳なさそうな小人(女)を心に飼っているような気持ちになってしまっていたたまれない。でも今の私は、「いいんだよ、いいんだよ。そこに座っててね」と言うことはできそうだけど、「何を言ってるの!むしろ大歓迎よ!一緒に楽しみましょう!」なんて歓迎できる余白を持ち合わせていない。


ありのままでいる自分は女性らしくない
欠点を補い続けないと自分は女性でいられない

自分にとって女性であるということは知らず知らずのうちにプレッシャーになり、ありのままの自分でいることにNOを出し続けていたのかもしれない。

全部手放して何にも無くなった自分がいるとして。そこに自分自身で価値を感じることができれば、自分がどんな見た目とか、どんな性別とか、そんなのは関係なくなる気がする。
誰かに何かを言われたとかはやっぱり関係なくて。他でもない自分が自分をこれでいいと思えたら、自分を構成する要素丸ごと好きになれるのかもしれない。

自分がこれから何をして生きていくか。どこを目指していつ動き出すか。そういうのは全部自分で決めていいんだと最近気づいた。自分のことは自分で決められるとわかった。

でも決められないものもある。どうしようもないもの。持って生まれたもの。これをどう扱っていくかは、自分で決められるとも言えるかもしれない。
大歓迎はできないかもしれないが、お茶くらい出してあげたらちょっと喜んでくれるかもしれないのかなぁとは思う。




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