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これもHSP・INFPあるある?

最近、対人関係においてショックだったことがあった。

いつもなら悲しみや怒りでおいおい泣いて終わっていたであろうところだが、今回は、「ハテ、私はこの出来事からどんな感情を感じようとしているのだろう」と少しだけ冷静になってみることにした。

悲しみに浸ってみる。
自分が何を感じているのかよく耳を澄ませる。

すると、「結局自分はいつもこうだ」という諦めに似た思いが浮かんだ。いつもっていつだろうかと過去を振り返ると、それはそれはたくさんの似た出来事が出てきた。

繰り返すってことはきっと、自分が向き合えていない感情がまだあるんだろうなと思う。この時点でだいぶしんどいが、もう少し考えてみる。


似た出来事に共通している点というのは、端的にいうと、1)自分だけ誘われないとか、自分だけ声をかけられていないとか、そういうやつ。しかも、2)自分も参加者たちと全く同じ属性・条件であるのにも関わらず、という状況。その上、3)その情報を自分から知りに行っているわけではないのに、悪気がない感じで当事者から知らされてしまうということ。これが多分ポイントで、悪気がないということはつまり本当に悪い意図はないだろうということで、それなのに私の受け取り方がいつも、勝手に悪気になってしまっているということだ。

そしてこの対象が自分ではない場合もあった。つまり同じ条件の誰かを誘わない側になりそうになったということ。これに異を唱えてうまくいかなかったことがある。

正直ずっと、なんでみんな平等に声をかけないんだろうかと思っていた。自分だけ誘ってもらえないということは自分に非があるのかもしれないとはもちろん何度も考えた。考えても本当の答えはわからないのでその属性から距離を置いたりもしてみた。素直に気持ちを伝えたこともある。「そういうの来たくないだろうなと思ったから」「忙しいだろうなと思って」本当かはわからないけど似たような答えがいつもかえってきた。

どんな理由があれ、同じ条件の場合、みんな平等に声をかけるなんて当たり前のことだと思っていた。
とはいえ、例えば仲が良い10人グループがあるとして、そのうちの数人で遊ぶとか、そういうのはよくあるだろうと思う。
私がうーんと思ってしまうのは、「〇〇チームのご飯会!」と言っているのにそのチームの誰かだけ呼ばないとか、そういうの。


これって自分がおかしいのかなーと思う。

自分だけが変なのかなーって。

そんなとき。


これは私の特性かもしれない、と少しだけ思った。


HSPとかINFPとか、数年前から話題になっている。


正直、こういった類の分類に当てはめすぎることには注意が必要かもと思いつつも、世の中で話題になっているものには触れてみたいという思いからネットで簡易的な質問に答えてみると、見事にHSPでありINFPであった。


色々調べてみると、HSPもINFPも、不平等であることが嫌いで、平等・公平を求める傾向にあるらしい。(みんなそうじゃないんだ…)


今回の出来事を通して自分は、誰もが平等であることは当たり前と考え、それを大切な価値観として持っていることに気づいた。

そしてそれは誰しもがそうなわけではなく、逆に自分だけが変とか気にしすぎとかでもなく、そういう傾向の人も一定数いる、という程度のことであろうことが、ネットの情報からなんとなくわかった。


そういう性質を持っているから仕方ない、と考えてしまうのでは勿体無いとは思っている。起こる出来事は同じであっても、そこから感じる感情は人それぞれだと思うし、そこから得られるもの、向き合うべき課題は個人個人で異なると思う。
そんな中、どうしても自分を責めそうになってしまうとき、なんで自分はここにこだわりを持ってしまうんだろうかと思ったとき、そういう性質なのかもと捉えることで、自分に責任を負わせすぎることは減るのかもしれない。とはいえそれが根本的な解決になるとは言い切れないところではあるので、あくまでも物事を中立で捉えるための第一歩として、そうした考え方も持っておくと、一旦気持ちは楽になるのかもしれない。

***

そういえば大学2年生の頃に授業で、「あなたの原動力はなんですか?」と聞かれたことがあった。そのとき私は「不平等とか理不尽に対する怒り」と答えたのを覚えている。(ちなみにそのとき、「あなたにとっての幸せは?」との問いもあり、「愛を与えられることと、愛を与えること」と自分で答えながら、その理想と現実のギャップに耐えられずに授業中にも関わらず泣き出して、みんなを混乱させたのもよく覚えている)

それから数年経ち、不平等に対する怒りは無くなったと思っていた。世の中の大抵のことは不平等で、理不尽だ。コントロールできることばかりではない。そこに怒りを感じていても仕方ないと、諦めていたつもりだった。でも本当は、大事にしたいものは変わっていなかったのかもしれない。大事にしたいものは人それぞれで、それに変とかダメとか無理とかはない。平等を私ほど重視していない人は、その分大事にしたいものが他にあったのだろう。それに気づくために、自分にとっては平等が大事だ!!と思える出来事が起こっていたのかもしれない。

疲れてしまうこともあるので出来事全てに意味を持たせることはほどほどにしつつ、感情に気づいて向き合っていくことは、これからも継続していこうと思う。



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