半殺し思考
1.はじめに
最近ビートたけしさんの間抜けの構造という本を読みました。ビートたけしさんらしく、ウィットに富んだ文章で、真面目な内容でも楽しく読むことができました。
その中で、"半殺し"という表現が出てきて、最近は聞かない言葉だなぁと思いました。聞くとすれば、おはぎとかの"皆殺し"と"半殺し"くらいでしょうか。
文脈としては、ある間抜けな弟子に対して、真剣な中で間抜けをしているから面白く、本気でやっているのなら"半殺し"にするという内容でした。
これ、最近の文章なら"ぶっ殺す"と書くような気がするんですよね。
ビートたけしさんの時代は、体罰てきな暴力も許容されてきた時代でしょうし、映画の世界でもハードな描写がよく見られます。
だからこそ、"ぶっ殺す"とは冗談でも書くことができず、"半殺し"という表現をしたのかなと思いました。
"半殺し"にすることも立派な暴力行為であり、今の社会で「半殺しにするぞ!」などと言ったら、一発でコンプライアンス違反でしょう。
それでも、この"半殺し"という表現には、最近忘れがちな重要な思想が含まれていると思うのです。
ーールールに書かれていなくても、自分で考えなさいよ
という点です。
2.自分で考えるということ
ーールールに書かれていなくても、自分で考える
最近だと、「ルールに書かれてないからいけない」よりも「ルールに書かれていないからオッケー」が多い気がします。
転売目的に限定品の買い占めを行い、「個数制限なんてない」と言い張る人。
高速バスで1人の利用予定にも関わらず隣の席を予約し、直前でキャンセルする人
どちらもルール的にはOKですが、どうかと思います。
後者の例でバス会社が対抗するとしたら、キャンセル料金発生の日付を前倒しすることですが、それで不便を被るのは善良な利用者です。
最近で一番顕著なのは、東京都知事選のポスター問題でしょうか。確かにルール上は許容されるのでしょうが、選挙の場が広告の場として利用されることに違和感を覚える方は多いと思います。
3.全てルールに書くのは今風?
ルールに書かれていなければ何でもOKというのは、非常に今風に感じます。
コミュニティの多様化が進んでいるので、郷に入っては郷に従えという感覚が通じず、異文化の排除が認められない部分もあります。そのあたりの歪みを強引に押さえるには、何らかのルールを作るしかありません。
裏を返せば、どんなにルールが不完全でも、ルール違反をしなければOKです。
また、デジタルとかコンピュータ的とか、そんな印象も受けます。
コンピュータの思考回路も基本的にはYES or NOですし、融通が効かない感じも似ています。
このあたり、いろいろな意味で余裕が無くなっていることに起因する気がします。
当たり前と言えば当たり前で、社会全体で効率化が叫ばれているため、余裕は削られていくわけです。
薄々、それだけではどうにかならないことに気がついている方が多いとしてもです。
4.東京都知事選の補足
先ほど東京都知事選のポスターの話題を出しましたが、活動の中心にいる立花さんをどう見るか? というのは難しいです。
個人的には、あまり批判をする気はおきません。
良くないことをしているのは微塵も否定しませんが、確信犯的な動きに見えます。
ーーここまでやらないと、政治はどうにもならない
そんな思いで行っている行為だと信じておきたいです。
国政にも進出している政治屋が、この程度の分別もつかなくなっていると考えたら、絶望的な気分になりますからね。
私も語る資格はないかもしれませんが、立花さんが世の中を変えようと活動しているのは、黙って選挙にも行かない人間よりは立派な姿勢に見えます。
5.おわりに
ルールで決められていないことをよく考えて判断する。
本来、小学校の道徳の授業で考えさせられ、その後の国語の授業でも何回も考える機会がある話だと思います。
例えば森鴎外の高瀬舟の授業は道徳の意味合いも強いと思います。
成人する前に学んだことを、成人がまったくできない・・・・・・。さらに、そのような大人が子供を育ててしまう。
この循環が続いたら、ルールに無いことはなんでも有りになってしまいます。
"衣食足りて礼節を知る"という言葉もありますが、現代の供給能力を考えれば衣食など十分足りているはずなのです。
冒頭の"半殺し"という言葉も、自分で考える機会が必要になると思います。
誰からも殴られたことが無い人は、殴られる痛みもわかりません。自分が殴ったときに、どの程度の痛みになるかもわかりません。
"半殺し"ではなく、"ぶっ殺し"てしまいます。
痛みを知るという意味では、最近では危険とされる遊具での遊びもそうですし、そもそも子供の遊びは自分でルールを考える良い機会でもありました。
限りのある公園のスペースで、どうやっていろいろな遊びをするかなんて、一番良いルールを考える機会ですよね。
ビートたけしさんなんかは、このあたりを良く分かっているのだと思います。
今後を生きていく私たちも、このような時代を生きた人がいる間に、よく考える必要があるのかなと思います。
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