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物事に取り掛かるまでの障壁

 人にとって始まりというのは酷なものである。
 それは、あなたもきっと経験したことがあるだろう。
 勉強しなければならないのに、重い腰が上がらない。
 人に頼みごとがあるのに、思うように口が開かない。
 誰しもがそうである。
 定められたように人間は物事を始めようとすることを忌避する傾向にある。それは、人というのは現状維持を好む種類の生物だからである。

 安定思考という名のオブラートに包まれた、薄暗い逃避行動への欲求に縛り付けられているのが人間であり、あなたであり、私である。
 喉元過ぎれば熱さを忘れるとは簡単に言えるが、一歩を踏み出すのが億劫である。
 仕事は取り掛かれば9割が終わっているというが、取り掛かるのに人は労力を使う。
 私も例にもれず前述の通り、人間の抱える最も深い沼の一つにはまったばかりである。
 このブログを開設するにあたって、大きな障壁が何個もあった。
 以下にそれを述べていこうと思う。

 まず第一にパソコンを開くこと、これがしんどい。
 ノートパソコンという箱は充電ケーブルを刺さないと機能してくれない。
 パソコンの左隅についてる小さな穴に端子に差し、コンセントにプラグを差す。
 この作業許せないものがある。
 こういう小さなストレッサーが私たちの健康寿命を縮めている真犯人とみて間違いないのである。
 部屋を出るときには電気を消して環境に配慮しようとか、地球のために小さな節約を積み重ねようとする動き、これは非常に大切な心掛けである。
 しかし、同じように対価として私たちのストレスも積み重ねられているのである。
 ちりつもで蓄えられた負債が、先にあふれて爆発するのか、地球と個人の人間どちらが早いのかは明白である。
 こういうジョイントパーツを接続する生活のアーキテクチャに今すぐレッドカードを出すべきであると私は考える。

 次に立ち現れる第二の困難はパスワードを打ってからの不愉快な間である。
 電子機器はなんでもそうだが、立ち上げた後謎のロードが入る。
 こちらとしても、寝起きの私が、時間が無い中寝ぼけた顔でコーンフレークを貪るしか能がないのと同様に、起動後にフルパワーを発揮する為には時間を要するのは十分承知しているのである。
 人間は起きてから2時間経ってやっと脳が一番覚醒した状態になると聞いたことがあるが、だいたい平均して数分ほどで性能を発揮できる目の前の電子箱に敬意を表すほかないだろう。
 惜しむらくは私の存在である。
 現代社会に毒された人類、みな、時間に切羽詰まっているのである。
 特に私のような貧乏人は心に余裕もないから、ロードにいらいらする。
 日本人という電車の遅延も許さない狭量な人種である私は殊更である。
 ロード、これは非常にフラストレーションの溜まる時間である。
 特に、今からさあ自分が扱おうと思っているものが言うことを聞かないのもそれを助長させている。
 言うなれば、勉強しろと言っても子供が遊んでばかりな親の気持ちであろうか。
 或いは、操作性の悪いゲームをプレイしているあの感覚と言えばいいだろうか。
 ロードなんて数秒で終わるはずだが、それが永遠と長く感じる。
 退屈な授業を早く終われと思って時計を見るも全く時間が進んでいかないあの気持ちである。

 第三の障壁に誘惑というものがある。
 デスクトップに鎮座しているsteam君が僕を開いてくださいと囁いている。
 文章を書くにしても、タスクバーに居るWord君が一夜を共にしたがっている。
 chrome君を開いてもそうだ、ネット上にある箸にも棒にも掛からない謎のゲームをしないか?と提案してくる。
 驚くべきことに私のchromeを開くとまず初めにテトリスのサイトが開くようになっている。
 余りにも魔性すぎると言わざるを得ない。
 私にはこの欲望に逆らう術はない。
 自我を保てるのもあと数分である。
 今タブバーの一番左に居座っている彼のもとに、これを書き終わったら私は行くのだろう。
 なんか、だんだんと、テトリスを見ていたら、この文章を早く締めたくなってきたので、駆け足でいこうじゃないか。

 最後に私が最も言いたい困難がある。
 それは会員登録である。
 私はこのnoteのアカウントを開設するにあたって、Googleアカウントの作成、それだけに飽き足らず普段使わないメールソフトの設定をさせられた。  
 本来必要ないお使いイベントをやらされたのである。
 確かに現代社会において情報管理は必要であり、その保持に心血を注がなければならないのはわかる。
 ただ、あまりにもこの世の中、不必要な工程が多すぎないか?
 私はそう言いたいのである。
 私のような物書きは一瞬の思い付きから、内容が頭の中で即座に形成されて、衝動的に文章を書こうと思い至る。
 しかし、上記の過程の数々を見ただろうか?
 そんな衝動なんて書くころにはとっくに消えているに決まっているだろう。
 記事を書くまっさらなページを開いたその時、私の頭にはあの時の一瞬のインスピレーションなんぞとうの昔に消え去っていた。
 そして、代わりに私はメールを設定したことにより発生する、鬱陶しい通知を消す設定を調べないとなという悩みに支配されていた。
 あとこの手の話でもう1つ、より一層許せないことがある。
 これは特に電子化が進んだチェーン店などで起こるのだが、ポイントカードを作るのに会員登録をさせてくる手合いがいる。
 これ、非常に不愉快である。
 会計後にレジにあるQRコードを読み取って、会員登録をしてくださいとか宣われるが、私の後ろに客が並んでいるのが見えていないのだろうか?
 私が今設定し始めたら、彼らは怒り狂いたぶん私に殴りかかってくるだろう。
 私がその立場なら右フックである。
 アカウントの設定をしている時間、レジの列のどこにあるのだろうか?
 しかも会員登録をしてまでポイントカードを作り、少しだけ特典を得る。  
 この作業、費用対効果悪すぎないか?
 私はそう言いたい。
 店側は少し損をし、店員と私と私後ろの人は時間を失う。
 全員が損をしていないか?
 この工程、全体として人類の時間をいたずらに無駄にしている。
 国益の損失なので、今すぐ国を挙げて辞めさせるべきである。

 そのような店は、田舎にあるどう経営を成り立たせているのか分からないパン屋とかを見習ってほしいものだ。
 彼らは勝手にポイントカードを作り、何も言わず渡してくれる。さながらラジオ体操のスタンプカードのようだ。
 しかも、特に有効期限とかが設定されていない。
 この謙虚さ見習うべきものがあるとみていいだろう。

 少々脱線したが、このような苦難としか言いようのない経験をした私。
 今この文章を書いている瞬間。
 それは先述の喩えを持ち出せば仕事の残り1割の部分に該当する。
 こう、すらすらと文章を書き、時には訂正し、文体を整える作業。
 大きな決断をした私へのご褒美かのような、甘美な瞬間を体験している。

 以上人間に与えられた咎シリーズの第一弾
「物事に取り掛かるまでの障壁」である。
 慌てている人間を形容して「腰が浮いている」と言うそうだ。
 果たして、慌てている人間=物事に取り掛かることが容易な人間
と言えるのだろうか?
 慌てずに生きていきましょう。
 読んでいただきありがとうございました。
 次回もお楽しみに。

 余談だが、この記事のタイトル決めも難航したのは言うまでもない。
 なんのタイトルにするか4、5分は考えた。
 そして決まった仮題が
「お誂え向きの言葉」である。
 こいつ、何様である。
 十数分前の私が調子に乗っていたことは言うまでもない。
 誰に対して、何に対してお誂え向きなのか。
 そもそもそのタイトルからどう話を膨らませるのか、全く見えてこない。
 一つ目の記事にして、早くもバズる気概が失われている。

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