見出し画像

愛される恐怖『ロスト・ドーター』

マギー・ギレンホールの監督デビュー作『ロスト・ドーター』は、不穏な空気で終始心をざわつかせてくる名作だった。
「よかった!!」と簡単に人にオススメできる映画ではない。人によってはひたすら気持ち悪いかもしれないし、「母親にならないとわからない感覚」という意見がある一方、逆に自分が母親になっている人で「こんな感覚になるなんてありえない」と思う人もいるかもしれない。娘の立場からもいろんな意見が出るだろう。
しかし、一筋縄ではいかない「母性」というものを、安易な女性解放ではない形で描き切っているこの映画、紛れもなく名作と思う。

大学で比較文学を教えているレダ(オリヴィア・コールマン)は、海辺の町でバカンスを楽しんでいる。ちょっとタチの悪そうな家族が牛耳っているこの町は何やら嫌なことが起こりそうなホラー映画調の雰囲気で、最初から落ち着かない。

レダが超美人で最高のお尻を持つニーナ(ダコタ・ジョンソン)と出会い、彼女の幼い娘がいなくなった事件をきっかけに自らの過去がフラッシュバックし、精神的に不安定になっていく…。

回想シーンで若き日のレダを演じるのがジェシー・バックリー。彼女の演技が最高! 自分でも掴めていないであろう複雑な心理が伝わってきて、観る者をさらに不安にさせる。 
母親との関係性に問題があり、語学堪能な新進気鋭の研究者だったけれど割と早く結婚して娘が二人。思うように研究ができない。娘たちを心から愛している幸せそうなシーンもありながら、年上の教授との不倫に走る。女として満たされている姿も、その衝動も美しい。「子供たちとの電話は嫌い」。夫との微妙なセックスシーンもリアルで良い。結局娘二人と夫を残して家を出るレダ。

一方、現在のレダはなぜかニーナの娘のお気に入りの人形を盗んでしまう。この行為が結局、自身も娘と恋人との間で揺れていたニーナがレダに寄せていた信頼を裏切ることになってしまう。

「女性に母性を押し付けること」を疑問視する動きは今や特に珍しいものでもないけれど、レダの行動の中には、「子供に自分(母)への絶大な愛をぶつけられる恐怖」を感じて、そこが斬新だなと思った。

「母から子供への大きすぎる愛」は割と共有しやすいというか、愛が諸刃の剣であることを体で理解している人は結構多いと思うのだけど、子供から母親への愛はもう理屈を超えて生き物としての生存本能としてそこにあるもので、それを拒否することは自分の人間性を拒否したにも等しい罪ということになる。その重すぎる責任に押しつぶされる、ということについては意外と考えられて来なかったことなのかもしれない。

「子供が生まれた後、この人はなぜこんなにも自分を愛してくれるのか不思議だった」と言っていた人のことを思い出す。その愛を自分も自然に返すことができれば幸せだけ、多かれ少なかれもう放り出したい、と思う瞬間はあるのではないか。
しかし、多くの人はそれを乗り越えてちゃんと責任を果たしているのに、それが自分にはできないとしたら? レダの「子育ての責任の重さが、人を押しつぶす」という言葉は重い。

ただ、泣きそうな笑顔で「私には母性がないの」とレダは言うけど、母性とは言わずとも娘への愛が完全に無かったら、別に苦しまないとも思うのだ。愛しているけど、あなたが私を愛しているほどには愛せない。あなたの愛は重すぎる。これが恋愛関係なら、そこから逃げることを「女性解放!」「自立した女性!」と堂々と言ったって良い。対等な大人の関係だから。でも相手が自分が生んだ子供となると、そんな「自由」を美化することは許されない。
この辺りがものすごく辛かった。

ま、ただ、これはあくまで「ロスト・ドーター」な母親目線なので、実際のところ娘たちがどう思ってるのかはわからないのだけど。意外と「昔はいろいろあったね」で笑ってすませてたりして。
実は考えすぎな母親の物語なのかもしれない…と、心を落ち着かせておこう。笑。

音楽の効果も相まって、誰も死なない心理サスペンス映画としてもとても面白い。個人的に今のところ上半期ベスト候補です。

★NANASE★


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?