母の死② 赤ちゃん連れでの葬儀

前回記事の続きです。

母が亡くなり、赤ちゃん連れでの参列となりました。


葬儀の手配は父がほぼすべてしてくれていたため、子どもを抱えて急いで駆けつける、といった形ではなく、ある程度準備するだけの時間は確保できました。が、今思えば、準備を済ませて早めに発ち、葬儀の打ち合わせ等手伝うべきだった、と、後から思いました。一人でするのは本当に大変だったと思います。

葬儀は、父、兄家族、自分家族、妹のみで行いました。コロナ禍ということで、父の意向により内々で、という形となりました。(親戚が少ないということもありますが)


訃報を聞いた当日

連絡をもらった当日は夕方だったのですが、母は自宅で亡くなったということで、一度警察にて検死を行う必要があるとのこと。すぐに葬儀にはならないということで、当日は自宅待機となりました。当日は何も手につかずでしたが、子どもを連れていくかどうかについてを考えていました。下の子kabosuについては授乳のために連れて行かなければならないと、最初から父に話をしていました。上の子sudachiについては、コロナ禍ということもあり、夫に預けて置いていく、という対応も考えましたし、父からもコロナ禍での移動の懸念は強く訴えられたのですが(この時点で、兄は家族を連れて行かず、一人で来ると聞いていた)、sudachiは帰省の際に祖母にかわいがってもらった記憶もあり、また、夫の実家で墓参りをしたり、保育園の行き帰りに通る道にあるお墓について話をしたりと少しではありますが理解できているところもあるため、祖母との最後のお別れをするべきかと判断しました。最終的には、子どもと話をし、一緒に行くと本人が言ったこともあり、連れていく判断をしました。

私自身は、自分の祖父母の時には、遠方だったことで葬儀に参列できなかったので(決定権もなかった)、できることであれば、自分の子どもたちはなるべく連れて行ってあげたい、という気持ちがありました。

遠方だったので飛行機の便や、兄妹も実家に宿泊するだろうことを考えてホテルの予約が必要かと考え、いろいろ調べてはみましたが、葬儀日程・移動日程が決まらないと予約自体は取れないので、調べるだけで終了となりました。一つ難しいなと思ったのは、普段実家に泊まるわけなので、地元の宿泊施設情報というものはあまり知らないものだなと思いました。赤ちゃん連れとなると宿泊施設は限られるので、日ごろから情報収集しておかなければなと思います。結果として実家宿泊となりましたが。

訃報を聞いた当日の時点では、実家はマンションで、兄妹皆で泊まれるほどはスペースもないため、家族で行くことにあるであろううちがホテル泊とするのがベストかな、と考えていました。この時点では兄の家は本人のみであると父から聞いており、葬儀が終わった後も父と兄でゆっくり話をしてもらえたらと考えていました。父も、娘よりも息子の方がいろいろと話をしやすいでしょう、という気持ちもありました。

夜になって兄・妹と電話連絡を取りましたが、兄の家は、子どもたちを連れていくか迷っているようでした。妹の方は、当日はかなり落ち込んでいたようで、様子だけ聞いた、という状況でした。


翌日~出発日前日

翌日は父・兄妹と電話のやりとりが続きました。

自宅で亡くなったため、遺体が一度警察に行っているので、葬儀の日程は確定はできないとのことでしたが、父から想定される葬儀予定を確認し、移動日を決定。実家は雪国なので、飛行機が遅れることも想定し、通夜の前日に行くこととしました。

兄妹で確認したことは、

・移動日(自分の家族と妹は前日入り、兄家族は当日入り)

・滞在日程、宿泊先調整(兄が家族を連れていくことになったため、自分家族が実家泊、兄家族はホテル泊)

・香典、お花代について(自分たち兄妹の分の他、兄と自分の義実家からの件も含め)

・兄妹の持っている遺影写真候補を父に送付

・通夜の際の泊先分担(葬儀場&実家)

→当初は、父・兄・自分と下の子kabosu・妹が葬儀場泊、兄の妻と子供たち2人、自分の夫と上の子sudachiが実家泊、と考えていましたが、・・・実家の状況がわかる人がいないと問題があるため、結局自分と妹は実家に戻り、代わりに夫が葬儀場泊へ。父のお酒に付き合うことに。。。

・当日合流後のスケジュール確認

最初は電話でやり取りしていましたが、3拠点通話はできないので電話連絡が面倒になり、途中からZoomをセッティング&議事録メール作成。兄妹会議がなんだかビジネスミーティング的になってきます。


その他、移動のための荷物準備、飛行機チケット予約、葬儀用の洋服の購入、職場への連絡等。子供の世話もあり、昼間は悲しむ暇もなく過ごしていました。

赤ちゃん用の洋服は近所では手に入らなかったので、購入せず。あとで考えたら、赤ちゃん用品店に行ったらあったのかもしれませんが、手元にあるなるべく地味目の色合いの普段着で、カーディガンを羽織らせることにしました。

sudachiの洋服はしまむらで、白のブラウスと黒のジャンパースカートを購入。あまり選択肢はありませんでしたが、サイズが合うのがあってよかったです。たまたま夫とsudachiで以前買い物に行ったときに購入した黒い靴があったので、少しサイズが大きい来年用のものでしたが、靴はそれを使うことにしました。

自分の分も、授乳できるような喪服がなかったので、しまむらにて黒ブラウスを調達。


移動日

移動日は、結果として妹と同じ飛行機便となったため、空港で妹と一度合流し昼食。飛行機の座席は別なので、搭乗時に分かれて、飛行機を降りてから再合流。

コロナ禍の空港はガラガラでしたが、飲食店は営業しているところも多くありました。飛行機は、予約時点で欠航便が多くなっており、一つの便あたりは混雑していました。航空会社もコロナ禍で売り上げが落ちて大変なのでしょうが、ここ最近で一番混雑している環境と感じました。

空港からはバス→夕食調達&sudachiの冬靴購入→タクシー。雪国のため、雪仕様の靴が必要なためです。葬儀が終わって落ち着いたら、1日か2日、公園で雪遊びをさせてあげようかな、と考えての購入です。

(余談ですが、昔、会社の同僚に「冬靴」という話をしたときに、雪国以外の人にはぴんと来ないみたいで、きょとんとされました。若干田舎者扱いか。。。自分は子どもの頃から冬靴必須な地域に住んでいたので、靴が違うのが当たり前だったのですが・・・)


気落ちしているだろう父に、少しでもおいしいものを食べさせてあげたいと思い、お寿司を買って帰りましたが、生きている間に、母にもしてあげればよかったなと思いました。コロナ影響でアプリを使ってテイクアウトがしやすくなったので買ったということもあるのですが、お寿司屋さんなら以前からもお持ち帰りはあったのでしょうし。


通夜~告別式~初七日繰り上げ法要

翌日、朝のうちにまず一度葬儀場に行き、母の顔を見て、父と葬儀場との打ち合わせに少し参加し、その後昼ご飯の買い出し。兄家族とも合流し、昼間のうちはのんびりと過ごしました。兄家族、子どもたちは二人男の子で、特に弟の方はかなりやんちゃで、ふすまを外したり、洗濯物の室内干しを倒しかけたり。危うくうちの子に被害が出るところでした。。。親戚の集まるところでは赤ちゃんは常に抱っこの方が良いですね、反省です。

午後、通夜の前に兄たちと一度葬儀場に行くかなと思っていましたが、それは行かず、家で時間を持て余した子供たちを連れ、兄・自分の夫が散歩に出かけました。兄の子供たちは冬靴がなかったので長靴です。兄の家は、滞在期間も短いので、子どもたちは冬靴購入せず長靴で来ておりました、が、30分程度の散歩から帰ってくると、靴は買うべきだったんじゃないかと思うくらいべちょべちょに濡らして帰ってきて、通夜の前までずっとストーブで乾かしていました。子どもには短期間でも雪用の靴は必要ですね。長靴も、普通のものだと雪道では滑りやすいですし、履き口も大きいので、雪が入り込みやすいです。


通夜の時間になり、皆で実家を出発。雪道なので皆ブーツで行って、会場についてから靴履き替えです。時間までは親族控室で待機。家族葬なので、親族のみですが。通夜を行う部屋には出入り自由でしたが、入ってびっくり、自分の勤め先からの花が。。。家族葬には大きいサイズでびっくりしましたが(ちょっと恥ずかしいくらいのサイズ)、お花をいただけるの心遣いはありがたかったです。

通夜のお経の時に、兄の家の下の子(3歳)が会場内をうろうろ。兄家族は気にも留めない様子。ちょっと気にはなりましたが、小さい子はそういうもんなのでしょうか。親族控室でも、兄夫婦は下の子から目を離していて、妹がシッター代わりになっているような状況。。。あとでチクリと話したら、兄曰く「男の子はしょうがない」、だそうですが。コロナ禍のため家族は留守番の選択肢もあった中、連れてくるならば、それなりに対応してほしいもんだと思いました。。。

sudachiは、通夜のお経は時間的にも内容的にもしんどかったらしく、後半は夫の膝の上で寝てました。。。

通夜の後は、親族控室でお弁当を食べ、その後父を葬儀場に残して一度実家へ。兄と夫は、実家に子どもたちを送った後、葬儀場に戻って宿泊です。

通夜の後、実家に戻る時間が遅くなったため、実家でのんびりする時間もなく、シャワーを済ませ、子どもたちを寝かしつけ。少しはお茶を飲みながら妹と語らう時間もあればよかった、と思うのですが、そんな時間はなく。sudachiは私の妹と仲良くなり(というか、一方的に絡んでいる)、一緒に寝ようとご機嫌でした。娘が寝た後、自分は(たぶん妹も)、この日の夜はうまく眠れませんでした。


翌朝もあわただしく準備。告別式開始は10時ですが、準備もあるので9時に葬儀場、その前に皆で朝ご飯、となると朝はいつもより早めに起きないと間に合わないです。大人は先に起きてご飯を済ませて、子どもたちの目覚め待ち。

兄の家の子どもたちは別で朝ご飯を購入しているとの話だったので、自分とsudachiと妹の分の朝ごはんを作っていると、途中で兄の子どもがこちらの朝ご飯を欲しがったり、朝の準備はあわただしかったのですが、夫と兄は一度葬儀場から戻ってきたこともあり、sudachiを任せて、私とkabosuは先に葬儀場へ。父が一人で葬儀場で待っていたので。

自分は8時半ごろ葬儀場に入り、他の皆は9時過ぎに葬儀場入り。告別式は10時からなので、kabosuに授乳を済ませて、告別式へ。時間帯が早かったのでsudachiもうとうとすることはなくお経を聞いていました。

棺をあけてお花を入れるときには、兄の家の上の子が大泣きをして、その後sudachiもつられて大泣き。『死』というものをどこまで理解しているのかはわかりませんが、娘が泣いてくれたことで、自分の中の感情を代わりに表現してくれたような気持ちになりました。


その後葬儀場のバスで火葬場へ。赤ちゃん連れの場合、授乳のタイミングが難しく・・・火葬場に到着後、火葬を始めるまでは、授乳することができなかったので、バス車内ではおなかが空いたようでkabosuは大泣きです。

火葬場でどのくらい時間がかかるのか把握していなかったのでほとんど荷物を持って行かなかったところ、おむつの手持ちが少ない&授乳ケープなしという状況に(汗)。ケープは、防寒用のストールで代用、おむつは夫に持っていてもらった1枚を使用。事前に予定確認すべきでした。親族として葬儀参列した経験がないため、告別式以降の流れを知らなかったのです。。。葬儀の内容を事前に調べるのは精神的につらく、できなかったのですが・・・赤ちゃん連れていくと決めた以上は、最低限の情報は知っておくべきでした。

骨上げの時には、兄の家の下の子がちょろちょろ動き回るのをとどめておくために、兄は子どもにスマホ動画を渡し・・・sudachiものぞき見してました。葬儀の場なので、娘には見るのをやめさせましたが、不服そうでした。

兄の下の子はその後脱走を図り、夫が捕まえに行く場面も。赤ちゃん連れより、2~3歳くらいの子を連れていく方が大変そうです。。。


ちなみに、この時の火葬の流れは、

移動(バス30分)→火葬→親族控室で昼食&待機(1時間30分)→骨上げ→移動(30分)→初七日繰り上げ法要

初七日繰り上げ法要は、間に休憩なしでしたので、法要中に抜けて授乳となりました。赤ちゃん連れでの葬儀では、どこかでは抜けないと難しいですね。なお、sudachiは、午後のお経ではやはりウトウトでした。


葬儀が終わると、皆で一度実家へ。葬儀場の人が実家に祭壇を作っている間、子どもたちは大騒ぎ、兄夫婦はホテル移動の前に荷造りです。雪遊びする時間もないので、家の中で走り回ったり、スマホで動画を見たり。少し早めに兄夫婦が夕食を食べ、その後兄家族がホテルへ移動、残りが夕食をとりました。夕食は葬儀場に頼んでお弁当としていましたが、・・・お弁当が続いていましたので、夕食はお弁当ではなかった方がよかったかもしれません。。。


葬儀終了翌日~帰宅まで

週末をはさんだこともあり、葬儀後すぐ帰宅するのではなく、数日滞在しました。これから一人になる父が心配だったのもあって。

翌日は、sudachiが前日までの葬儀で頑張ってくれたので、ご褒美の雪遊び。とはいえコロナ禍なので遠出はできないため、近所の公園です。

夫と、私の妹と一緒に、雪山を作ったり、小さな山でそり滑りをしたり、雪でおままごとをしたり(おままごとの食材は全部大根、白いので)、昼前まで遊んでいました。

午後は室内での遊び、プリキュアのシールブックや、お絵かき、手作りのすごろく遊び(ほぼすごろく作りで、すごろくとしてはあまり遊んでないですが)。

次の日は夫へのねぎらいということでランチとバレンタインチョコ購入、夫の実家へのお土産の送付。・・・ついでにsudachiにたかられてカニ買わされました。。。美味しかったけどね。

帰宅日は空港でランチをして、自分たちのお土産を少々購入して、飛行機で帰宅。葬儀後であまり買う気になれなかった自分とは違い、夫はお土産いろいろ買っていたようで、あとで荷物をあけてびっくり。スーパーでも地域限定品をいろいろ買いこんでいたらしい。。。


帰宅後~現在

母が亡くなって2週間、葬儀後から1週間くらいは、何もする気が起きず、かろうじて家事とkabosuの世話はしつつ、昼間は時間をつぶすためだけに、テレビを見たり、スマホゲームをしたり。緊張のような、ひどく不安なような、ずーんと重い気持ちで過ごしていました。

遺影の周りに飾るお花とおりんをネットで購入したのも、少し時間が経ってからです。


母が亡くなって3週間くらいで、ようやく少し動きだせるかな、といったところで、こちらの本を読み始めました。

家族を亡くしたあなたに―死別の悲しみを癒すアドバイスブック (ちくま文庫)


上の書籍から引用。

「ほとんどの人は実際に会いするものを失うまで、死別の悲しみがどんなものか、本当にはわかっていません。」


親の死というものは、いつか来るものなのではあるけれども・・・いざ亡くなってみると、いかに心の準備ができていないものであるのか思い知らされました。


1か月経過して、やっと日常に戻ってきた感じがします。この1か月は、本当に何もかもがおっくうで、何もしたくない感じがしました。育休中で助かったと思ってしまいます。


母の死を経て、生きている今を大切にしないとな、と改めて思います。それとともに、家族がいてくれたことに本当に感謝しました。結婚して、出産して、救われたなと感じました。


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