母の死について

先日、母の葬儀がありました。

突然の訃報でした。お風呂に入っていて亡くなったとのことでした。

葬儀の前後で父に聞いた話だと、最近は腰を悪くして、余り起き上がれなかったようだったのですが。ここ数日、調子が良くなってきていたので、父の外出中にお風呂に入り、亡くなったとのことでした。


高齢になると、お風呂で、ヒートショックで亡くなることがある、というのは知識としては知っていましたが・・・、親の年齢がまだ70前だったこともあり、漠然と、親の死は、介護や闘病を経験してからになるのかな、と考えていたので、今でも実感が湧かない、というのが正直なところです。葬儀の時にも、あまり涙は出ませんでした。


浴室での死、というとヒートショックが思い浮かびますが、浴室内で熱中症となり意識を失い、そのまま、ということもあるようです。健康であっても、お風呂というのは十分注意する必要があるということ、特に高齢の場合は他に人がいて異変があった時に気付いてもらえる時間帯に入浴をすべきなのだということ、・・・育休が明けたらになりますが、会社の同僚など、身近な人達にも伝えていけたらと思います。


コロナ禍であったために、良かれと思って帰省を控えていたことが悔やまれます。電話嫌いの母でしたので、あまり電話をかけることもしなかったのですが、この一年は、妊娠・出産の報告、上の子が話したいと言い出して(夫の方の実家には用事がありたまに電話するので、私の方の実家にも電話したいと言い出した)、比較的電話をする機会はあったので、そこはまだ良かったのかなと思います。生まれたばかりの二人目は、結局会えなかったけれども、写真は見せられたですし。

母にとっての心残りは、私の妹の結婚を見られなかったこと、かなと思います。(妹の方に、結婚予定はないようですが。。。)兄弟が家を出てから、おそらく妹が一番母と仲良くやっていたかと思うので。


母の死を経験して、自分は家族がいてよかったなと思いました。下の子はまだ赤ちゃんですし、悲しんでいる余裕もないくらいです。上の子は祖母の死を少しは理解しているようですが、年1回会うくらいの関係ですし、落ち込む様子はありませんし、下の子は理解する年齢ではないので、いつも通りの日常を過ごしています。


母の思い出

母についての思い出を語ると、私が実家にいたころから、父とはあまり仲が良いといえる関係ではなく、二人で話をしているところをあまり見た記憶がありません。子どもの頃に一度大ゲンカをして、母が一晩家を出たことは記憶に残っています。子どもたちが家を出て、夫婦二人になったら、少しは関係が改善するかな?と思ったりもしましたが、そういうわけでもありませんでした。とはいえ、離婚するわけでもなく(離婚が経済的に難しいのは、結婚した今なら理解できますが)、食事は作るものの家庭内別居に近いような状態で、家にいたころは離婚しないのかと考えた時期もありました。

子どもが何を言っても、父と母の関係は変わらなかったので、自分はあきらめていましたが、兄は家を出てからも父と母の関係を回復しようと話をしたりしていた時期もありました。兄は、父と母が仲が良かったころの記憶もあるのかもしれませんし、大学進学で家を出たので、実家に住んでいた期間が私や妹より短かったので、私ほどあきらめていなかったのでしょう。結果、兄が帰ってくるときだけは少しだけ関係が改善しているようにふるまったりしていたようには記憶しています。

父と母の夫婦の関係がこじれた最初の原因はわかりませんが、こじれたままになっていたのは、父と和解をしようとしない母の意固地な態度かと思っています。父と話そうとはせず、母は子どもを通じて父と話すようになっていました。ですが、経済的には母は父に依存した状態で、専業主婦を続けていました。子どもの進学費用のためとして一時期パートに出ていた時期もありますが、子供の進学費用の目途がついたらパートを辞めたので、離婚する意思はなかったのでしょうね。

パートについては、「あんなに働いて、これだけしか稼げないなんて(時間が)もったいない」というようなことを言っていた記憶があります。「働くと、余計にお金をつかうし」とも。その割には父との関係を修復しない母ですが、離婚を突き付けられたらどうするつもりだったのでしょうね、と今になって思います。

子どもの頃は、そんな親をみて、結婚したいと思わなかったですし、実際父も今回の葬儀の後、子どもたちは結婚しないんじゃないかと思っていた、と話していました。

父と母の関係については、もう一つ、経済的に父は結構苦しい状況だったと話してくれました。昔、出張に行く手持ち資金がなく、家計費から出してもらうよう母に相談しようとしたら突き返されてしまったと。結局、勤め先の方で出張費用の前払い(概算)対応してもらえて事なきを得たようですが、下手をするとそのために借金をしなければならなかった可能性もあったと話していました。

母について、良かったことは、子どもたちの大学進学費用を惜しまなかったことかなと思います。兄は大学進学で家を出たので、仕送り等もそれなりに費用が掛かっていますし、兄と私は理系進学で、大学院修士まで行かせてもらいました。自分は、「女の子だから勉強はそこそこでいい」といったことを言われたこともなかったですし(父母の関係を見ていたから、子どもたちが皆、結婚しないのではないかと思われたからかもしれませんが)、修士進学も当たり前のように行かせてもらいました。そもそも大学が自分の学力レベルぎりぎりのところで、今思えば浪人の可能性も高かったとも思うのですが、そこも覚悟してよく挑戦させてくれたなと思います。・・・母は昔から、勉強ができる人が好きだったようで(だから父のことが気に入ったらしい)子どもたちも勉強さえできればとやかくいわなかったところもありました。


自分の結婚については、父母を反面教師にして、長く仲良くやっていけそうな人と一緒になりたいと思いましたし、今のところはそれなりに仲良くやっていけているのかな、と思います。・・・夫はどう思っているか、本心はわかりませんが。。。あと、経済的に問題があると夫婦仲が険悪になる、と思ったので、共働きの継続は必須かなと思いました。うちは夫がお金かかる趣味を持っているので(車、カメラ、サッカー応援遠征、外食など)、自分が働かないと子どもたちの大学進学費用出せなくなるかな~と思いますし。


生前にしておいてよかったこと、後悔していること

母は電話嫌いな人でしたので、帰省した時におしゃべりをする以外、電話ではそれほど話をすることはありませんでした。それでも、上の子が産まれてから、特に上の子が電話で上手に話をできるようになってからは、電話の回数が増えたことは良かったと思いました。また、二人目を妊娠したことで電話をする用事ができたことも、良かったのかなと思います。

帰省の時に、朝晩おしゃべりに付き合ったのは、父に言わせると良い息抜きでよかったのではないかとのことでした。父と母の関係はあまり良いものではありませんでしたので、普段夫婦での会話は少なく、私か妹が帰ってきたときにしかあまりおしゃべりをすることはなかったようですが、会えばそれなりに話好きなところもあり、母にとっては楽しかったのかなと思います。

後悔していることは、コロナ禍ということでこの一年兄妹含めて誰も帰省することができなかったことです。高齢ということもあり、感染リスクを考えて兄妹皆帰省しないようにしていたのですが、一度くらい帰ればよかったのかなと思いました。自分の状況としては、妊娠・出産で帰省できたタイミングは今思っても難しいなとは思うのですが、せめて誰か一人でも帰れる状況であればな、と思いました。高齢の親のいる実家への帰省は、コロナ禍といえ不急ではないのだと痛感しました。


父はこの先も当分は実家で暮らすことになるため、コロナウイルスのワクチンが普及してからにはなりますが、この先は定期的に帰省するようにしたいと思います。

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