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自由への鍵

私は精神科病院の閉鎖病棟で看護助手として働いている。その前は介護施設で働いていたのだけど、体も心もきつくて長く働く未来が描けなかった。元々カウンセラーの資格を取っていたこともあり精神疾患には抵抗がなく、身体介助も少ないということで早々に転職した。時間も休みも不規則なシフトに加え夜勤もある。それでも、長い社会人人生の中で今の仕事が一番楽しい。私の選択は大正解だった。

職場見学に行った時に閉鎖病棟の患者を初めて見て、私の精神疾患の知識など何の役にも立たない、想像を遥かに超えている様子に正直驚いた。なんで床に座り込んでるの?なんでウロウロ歩き回ってるの?なんで首を振り続けてるの?なんで普通の顔をして働いているの?そんな疑問が頭を埋め尽くした。

案内をしてくれた看護部長に「あの……自殺する人っているんですか?」と恐る恐る聞いてみる。するとさらりと「いましたよ」と言う。ニュースで見聞きする「自殺」はどこか遠くで起きていることだったけど、ここでは身近に存在するのだと知った。

「あの子は幻聴が聞こえて飛び降りちゃったんだよね」「タオルで首を絞めたりするから気を付けて」「あの人は電車に飛び込んで助かったの」「シャンプー飲んだり洗剤飲んだりするから目を離さないで」

病棟内ではそんな会話が普通にされている。入職したばかりの頃はそんな話にいちいち驚いていた。だって今までの人生で身近に電車に飛び込んだりシャンプーを飲んだことのある人などいなかったから。でも、これだけは言える。人間は置かれた環境に慣れる。驚かなくなっていく。

ある朝、早番で出勤すると夜勤者が慌ただしく動いていた。「◯◯さんが電気のコードで首絞めちゃって」と聞いても、平然と「分かりましたー」と言い、淡々と朝の業務をこなしている自分にびっくりした。ああ、と思う。私もすっかり閉鎖病棟に慣れたのだな。

今日は水の入ったペットボトルを投げられたし、以前は手で殴られ足で蹴られたこともある。バカヤローという暴言も何度となく言われた。こちらのペースなどおかまいなしに要求を通そうとする。やれやれと思うこともしばしばなのだが、それでも楽しいと思えるから不思議である。

患者である前に人間なので、会話が成り立つ人もいるし、心の交流が生まれることもある。それぞれがそれぞれのバックグラウンドを持ち、望んで病気になったわけではない。色々な境遇の人がいるのだなと、社会の闇を見ている中で自分が恵まれていることを再認識する。

休日に出かけてランチで美味しいものを食べている時、私って自由なんだなと強く思う。好きな時に好きな場所に行くことができて好きなものを食べられる。それは自由であると同時に健康であるということだ。体の健康はもちろん、心も健康であることは自由ってことなんだ。何もないって幸せなことなんだな。普通ってありがたいことなんだな。そんなことは、事務職をしている時は思いもしなかったことだ。

閉鎖病棟は離院を防ぐために全てのドアに鍵をかける。鉄扉は電子錠で、閉まるとカチャリと冷たい音がする。外の世界と隔てる音だ。人がいる場所以外はスタッフ一人ひとりが持つ鍵で開け閉めする。私の鍵がポケットから出ているのを見つけて師長はこう言った。

鍵は自由の象徴。ここでは鍵は見せてはいけないのよ。