幼少期を振り返って思うASD女児的やってよかったこと

簡単な自己紹介
ちゃろです。未診断ですが、ASD傾向(コミュニケーションの不得意さ、聴覚過敏、こだわり)があります。知的障害はおそらくありません。ギフテッドとか言われるほどの突出した能力もありません。いつもぼんやり生きています。

今回は自分の幼少期を振り返って、やっててよかったなと思ったことを書いていきます。


① 英会話

英語力というより、コミュニケーションの経験値をつけるという点でよかった。人に質問をするとか、人の前でスピーチをするとか、苦手な場面に小さい頃からたくさん慣れておけたのはありがたかった。

それでも苦手だけどね。

② エレクトーン

ピアノより絶対エレクトーンをおすすめしたい!というのも、足の鍵盤が協調運動の練習にとっても役立つから。
手足をバラバラに動かすのって、結構難しい。スポーツでは結構必要になってくる能力です。代表的なのは、ダンス、水泳、ボルダリングとか。

発達凹凸な子には、身体の使い方が苦手で不器用な子が少なくない。私も例に漏れず、運動音痴な発達キッズでした。運動は嫌いでやりたくないと拒否。
でも、音楽なら好きだからエレクトーンは練習できる。
ただでさえ疲れやすい発達民。筋力や不器用さは疲れやすさに直結しているので、これなら続けられるという習い事で運動の発達をフォローできると後々いいかも。別にエレクトーンである必要はなかった。

③ 祖父母との同居、というか大家族ぐらし

私の育った環境はMAX8人の大家族。家の中にちゃんと人間関係があったこと、いろんな価値観、世代のなかで育てたことがよかった。

ママの言ってることとおばあちゃんの言ってることが違うとか、ママはこれを気にしないけどおばあちゃんは嫌がるとか。わかりやすい正解不正解に縋りたいASDっ子的に、当然ストレスにはなる。
でも、世に出たら様々な価値観を持った人の中でやっていかなきゃいけないわけで。幼い頃から「いろんな大人がいるんやなあ」「絶対的な正しさってないんやなあ」と考えられるようになったのはよかった。

幼少期に深く関わった大人の数は、きっと多いに越したことはない。子どもなりに観察していろいろ吸収してます。 
ちなみに私の社会人しぐさのサンプルは、祖母や叔母と話す時の母親のふるまいかたです。

④ 図書館通い
 
言語力が育てばコミュニケーションをとりやすくなる。本を読もう。

あと、自分の感情に気づきにくい場合。物語のなかの人物に感情移入しながら物語を追っていくなかで、初めて自分の感情に気づくことなんかもあったりする。

感情のコントロールのためには、まず自分の心をちゃんと捉えられるようになる必要がある。癇癪を起こしたり塞ぎ込んだりしている本人が、どうしてこんな事をしてるのか自分でもわかってないなんてことは往々にしてある。というか、身に覚えがある。

自分の気持ちにきちんと気づけるようになるための手助けを本や映画はしてくれた。


逆に、もっとやっておけばよかったと思うことは同世代の集団との関わりかな。部活は入っておいてもよかったかもしれない。
いや、多分失敗してコミュニケーションへの苦手意識を強めておわっただろうからこれでよかったんだ。

対人への苦手意識そのものは一生変わらない(気がする)ので、いかに他者に興味をもてるように育てるかと、いかに人への信頼感をもてるように育てるかが大事。なんだろうなとこれを書きつつ考える。

私はなかなか恵まれたなと思う一方で、それでもこれだけしんどいのだからASDのハンディキャップでかすぎるだろと思ってしまう。

普通に生きていけない、
せめて二次障害拗らせないように、わがままにマイペースでやっていこう。

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