41歳になった自分に
気がついたら、誕生日になってた。
あ、私、またひとつ歳をとったのね。
その余韻に浸る間もなく、仕事へ。
今日はすごくプレッシャーの大きい仕事があって、誕生日どころではなくて。
それでも、仕事から帰ってきたら家族でイタリアンのお店に行くことにして、特別感を味わえるように。
そんな1日の言語化。
*書いてて寝落ちしたので、誕生日は昨日。
去年の今日は
noteを続けていると、カンタンに去年の今日の自分に会える。
去年はちょうど40歳で節目の歳だったから、いろんな想いがあったんだよね。
読み返してみると、うん、その想いをちゃんと実現してきたように思うな。
そうやって、自分との約束を守っていけること、これが何よりも自分として生きていく自信につながる。
この1年、いろいろと取り組んだり、考えたり、大切にしてきたりしたこと、すごく良かったな。
そう言えることが嬉しい。
言葉にして残してきたからこそ、実感できるよね。
イタリアンのレストランで
家族でイタリアンに行くのは初めて…かなぁ。
息子たちの好みのメニューが少ないというのもあるし、せっかくの外食で選ぶ優先順位の上位にイタリアンは上がらなかったのね。
夫と長男は肉と白ごはんの人たちだし、次男と三男は好んで食べられるものが極端に少ない。
そんな家族に合わせると、我が家の外食はかごの屋、フォルクス、くら寿司、とんでん、あたりをグルグルするしかなかった。
以前は毎月の外食・レジャー費1万円で、1回のディナーと残りを昼マックやお出かけに使えるくらいの余裕はあったのよ。
それが子どもが大きくなってきたら、簡単に1回のディナーで1万を超えるようになってしまった。
いっつも家族の好みに合わせてきた私。
年に一度の誕生日くらい、好きなものを食べても良くない?なんて、最近ちょっと図々しさが出てきてね。
夫が背中を押してくれたこともあって、初めてのイタリアンよ。
リーズナブルなところを選び、食べたいものをジャンジャン注文しようって思った。
それで、私はいろんなものを頼んでみんなでシェアする食べ方が好きなの。
長男も次男も、シェアして食べる食べ方を好まないのね。
だから、普段は気を遣って家の食事はプレートで全て個人用に分けて出すし、外食も一人分がハッキリしている注文の仕方だったり、お店を選んできたの。
でもね、今日だけは私の好きにさせて。
誕生日だから。
そう言って、ちょっとワガママさせてもらった。
それぞれが嫌いなものがあまり含まれていないようなものや食べられそうなものは考慮するけれど、シェアするときに取り除けるものは取り除く感じであまり厳密に考えずに注文。
私が好きなものをたくさん注文できて、久しぶりに嬉しくなった。
思い出すと涙が出るほど。
親になると、なかなか自分の好みを優先ってできなくなるものよね。
好みがそれぞれ全然違う息子3人いると、余計に。
もちろんね、子どもたちの喜ぶ顔が見たくてそうしてるし、それが前提なのだけど、そればかりになっちゃうとバランス悪いのよね。
サラダや前菜、アラカルト、パスタ、ピザ、ドリア、スイーツ。
こんなに好きなものをたくさん頼んだことってないかも!
美味しい、嬉しい、サイコー!!
そんな私の目の前で、次男はほとんど手をつけなかった。
お腹が空いてないとか、食べたくないから、と頑なに拒否。
その姿を見ていて、そう、私はコレが見たくなかったから今まで子どもたちの好みや意見を優先してきたんだって思い出したよ。
夫は、そんな次男を見て放っておけってひとこと言うだけで。
今までは、だけど…っていろんな想いがグルグルしたんだけど、今日はその通りだって思ったから、私は私で楽しんだ。
確かに、私は次男のコレに振り回されてきすぎたかもしれないって思って。
優先してあげる時があっていいのだけど、そうじゃない時があってもいいよね。
そして、こうやって態度にあからさまに表されてしまうことに罪悪感とか悲しさとかの感情があふれてきても、動揺しなくていいの。
そのままでいいのよ、うん。
その事実をそのまま受けとめる。
そういうときがあっていい。
何かがダメってことはないよね。
そうなったっていう事実があるだけなのよ。
41歳の1年をどう過ごしたいか
40歳の1年は、今までなかなか大切にしてこられなかった自分を大切にする!と心に決めて行動したの。
すごく良かった。
今までしたことのない選択もたくさんした。
自分を優先して考えるなんてことも、最初は怖くてたまらなかったけど、その積み重ねが今日のイタリアンの選択につながったんだと思うのよね。
自分を優先する時があっていいのよ。
そういう時だってあっていい。
今日はその集大成だったって気がした。
良かった。
そういう経験も必要だったし、叶えてあげられたって思ったよ。
今日からの1年では、それを受けてどうしたいかな?と自分に聞いてみたのね。
そしたら、込み上げてきた気持ちは
「そのままを生きていきたい」
だった。
それはどういう感覚かというと、目の前で起こることをそのまま受けとめて生活するということ。
いい悪いのジャッジをせず、もっとこうだといいのにという想いもそのまま受けとめて、淡々と現実を生きるような感覚。
なるようになるのだから。
こうならなきゃいけない、なんて何かはないのよね。
ただただそのままを受けとめて、流れに逆らわずに生きていく。
そんなふうにしてみたい。
今までは結構抵抗してたと思うのよ、私は。
どうにもならない現実にも、必死で抵抗してた。
苦しかったもんね。
それが悪かったわけじゃないんだけど、努力が現実を変える!なんて思わずに、起きている現実の方をしっかりと見つめよう、そんな感覚でもあるね。
流れに過剰に適応しようと頑張らずに、いちいちこんなじゃダメだ!と過剰反応せずに、ただの現実とだけ捉えて前に進んでいく。
そんな自然なスタイルで過ごしてみたい。
肩の力が抜けるような感じね。
追い詰められるような、プレッシャーを感じるような、そんなこともない。
私らしくいることに罪悪感とか否定的な気持ちを抱くこともない。
そんなふうに私が私でいていいって、感覚的に落とし込めたらいいな。
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