自分ってどんな人か眺めて、自分を信じてみる
私はnoteを書き続けることで、
「自分ってこういう人」
というのを知りたいと思ってる。
自分は自分じゃん?って思う?
そう思える人はステキだな。
私は長いこと、
「きっとこうあるべき」
に当てはめて、自分の行動をコントロールしてきたんだ。
もちろん、持ち前のADHD気質が悪さして、人よりも大げさだったり、真っしぐらだったりはするのよ。
でも本来の自分を理解してあげるっていうよりは、「この社会ではこうあるべき」という自分を演じてたと思うんだよね。
この記事では、本来の自分らしさを眺めてみて、そこから自分を信じるための言葉を自分に投げてみようと思う。
noteで発見、私らしさ
自分で書いたnoteを振り返ってみる。
他人目線でね。
この人ってどんな人なんだろって思いながら。
それで感じたのは、
・ちょっと前のめりな感じ
・自分にすごく素直
・一生懸命に自分と向き合おうとしてる
・気づきに対する考察が深い
・軽くない
・いろいろあったからこそ?な雰囲気
・ワクワクを大事にしてる
・自分を大切にできてないって言うけど、ちゃんとできてるような感じがする
・内面の世界を自分でコントロールしようとしてる感じ
・自分軸がないわけじゃなくて、他人軸を無意識で作ることで自他のバランスをとってる感じ
・自分の中での葛藤がいっぱいある人
・気持ちの決着をつけたい人
・次に進みたい人
・あふれる愛を大切にしようとしている人
自分を他人のように見るって面白いね。
私は自分をこう捉えてみたけど、読んでくださってる方は私のこと、それぞれに感じることって違うだろうし。
でも似たようなものだったりするのかな。
でもってさ、これがリアルで会ったりしたら、そのギャップってどうなんだろうね。
あと、最近流行りのstand.fmとかで、うっかり喋っちゃったりしたら、えー?こんなキャラ?とか思われるんだろうなぁーって思うのよね。
あ、でもADHDっぽさは全開かもなぁ。
私は内面の世界とリアルとのギャップが結構ある人だと、自分では勝手に思ってるの。
割と誰にでもウェルカムな感じが前面に出ちゃうから、受け入れは悪くないし、その場でトーク大盛り上がりで楽しめちゃうんだけど、そうやっていい顔しながらも内面は誰も信じられてない、みたいな。
心ではどこか引いてしまうのは、自分らしさを良しと思えていないことからくる「怖さ」なのかな、なんて思ったりするんだけどね。
でも最近は少しその差が縮まったかなぁ。
自分を必要以上にセーブしないようにしてるからね。
出てきた自分を、そうしたい人なんだなって受け止められるようになってきたというか。
私を信じるってこと
昔はね、自分の想いや理想と、自分の現実のやらかしとのギャップがめちゃくちゃ許せなくて。
勝手に設定した、監視役の自分からの責め立てられ方が半端なかったの。
自分で自分を苦しめるタイプよ。
でもそれって、小さい頃の経験で体得した、自分を守るための攻略だったりしたんだけどね。
だって誰かに苦しめられるよりも、自分で苦しめてた方がマシだから。
だけど、そんな状態ってさ、自分で自分を信じてあげられてないわけだから、人との信頼関係なんてうまく築けるわけなくて。
だからね。
まずは自分を信じてあげよう。
自分の想いをわかってあげよう。
自分の本当のしたいを理解してあげよう。
それが大事なんだよね。
とりあえず、全部マルってことにする
私が自分を信じるためにまず決めたこと。
自分が考えて行動したことは全て「マル」にするの。
結果、上手くいかないときだってあるけれど、それでも自分が考えて行動した過程は「マル」。
ダメだったなーって思ったときも、頑張った自分に「マル」。
残念だったねって、ポンポンする。
疲れたら、そこまで頑張った自分に「マル」。
絶対に「マル」なの。
どんなことでも。
自分ダメーってなっても、いろんな理由を持ってきていいから、とにかく「マル」。
これはかなり効果があったかなぁ。
自分をつい責めちゃう人とか、なかなか大切にできない人には、ぜひ試してほしいなぁ。
自分は生きてるだけで「マル」。
生きてる意味とか理由なんてない。
私が私らしくここに存在しているだけで「マル」なんだよね。
失敗したって「マル」。
子育てや仕事をうまくこなせてなくても「マル」。
家事が苦手でも「マル」。
人とのコミュニケーションが苦手でも「マル」。
やらなきゃいけないことができなくても「マル」だぁ!
できることからひとつずつ。
それは自分がそう「決めた」らいいだけなんだよね。
サポートのお気持ちがとっても励みになります😊✨その幸せの気持ちを他のたくさんの方へつなげていきたいと思います🎶