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【感覚の言語化】被害者意識からの脱却

「被害者意識からの脱却」という言葉が合ってるのかはわからないけれど、そういうことなんじゃないかと思う。

私の言葉で言えば、「自分の人生なのに自分で舵を切れてない感覚からの脱却」かな。

ずっとずっと、私にあった感覚。

自分で決めて行動してるのにも関わらず、自分の人生の舵は自分で切れてないっていう感覚。

いろんな経験からの「こうすべき」で固められていて、それ以外の選択や行動をしたときの罪悪感がハンパなくて。

それがね、最近ではそういったものから少しずつ解放されてきていて、今日、大きく感覚が変化したから、その言語化。


そのままを感じて受けとめる

「こうすべき」と考えたり、「これが求められている」と感じることは悪くない。

だけど、必要以上にそれで自分を縛り付けてしまうとシンドイなーと感じてしまう。


私は、今まで「こうすべき」と考えたり「求められている」と感じることで、自分の行動を計画してきたと思うのね。

それは、そう考えないと自分の行動計画が立てられなかったから。

どう動いたらいいのかわからないとき、私は人に聞いたり、状況を見ていく上で


「こうしておけば、まぁあらかた問題なくいくだろう」


と思われる行動の計画を立てて、行動してきた。

そして、やりながら修正していく。


そのやりながらの修正の過程の中で、情報の取捨選択が苦手で、何をどう捉えたらいいかとか、何を優先すべきかとか、いろんなものの整理がうまくいかなくて、混乱しやすかったのかなぁ、と思う。

いちばん混乱しやすかったのは、「こうすべき」と考えていることと「求められている」と感じることというのと、「私ができること」を分けて考えること。

「こうすべき」と「求められている」を100%にしてしまうから、自分の能力以上のことを頑張ろうとして、状況がわかればわかるほど苦しくなっていく。

そんなに全部が全部できなくてもいいはずなのに、私がやらなくちゃとか、やらなきゃダメなのにできてないとか、そんな気持ちになりがちで。


それって情報の整理が下手だったんだ。

これに尽きるのかもしれない。


最近、情報の整理を意識するようにしてた。

複雑な内容のときは、noteに書いてゆっくりと見つめたりして。

「私がダメ」に持っていかず、淡々と情報や感情を羅列して、見つめ直して理解するようにして。

そこにジャッジはせず、ただただ自分が感じてきたことを可視化していくだけ。


可視化したことを解釈するのはオッケーね。

でも絶対にジャッジはしないの。

こういう気持ちだったからなのかな、って理解してあげる感じ。

そうやって私の気持ちを解放してきた。


そんなことを繰り返していったら、仕事に出たときの自分に変化が起きてきたの。

最初はネガティブな感情が整理されて、フラットになるからだと思ってた。

それもあると思うけど、もっと高次の部分が関係してるかもしれないと、今日は思った。

それが、

「自分の人生なのに自分で舵を切れてない感覚からの脱却」

という感覚。


乗っ取られ感の言語化

夫がよくいう言葉があってね。

「魂を受け渡したくない」
「自分を乗っ取られたくない」

最初に聞いたとき、全然わからなかったのね、意味が。


それをよく聞いた場面はね、例えば私の両親が来たときの夫の態度について話したときかな。

私にはこういう場面ではこういう行動をすべき、みたいなものが、結構しっかりとあるのね。

人が多くなったら、周りを見て自分はどう動くべきか考えて行動するとか、人の気持ちを考えて行動するとか。

私の両親がきたら、気を遣ってそれなりに話しかけるとか、何か困ってないか気にかけるとか、話し始めたら対応するとか。

ところが夫は私の両親が苦手なのもあって、来ると居場所をなくしてどこかに行っちゃうのね。

私だって苦手なのに(自分の親だけど)、私が全部対応しなきゃならなくなって、めちゃくちゃしんどくて。

夫は自分の親に対してもそうで、私が気を遣って話したり、行動するしかなかったのね。

もう少し周りを見て動いてほしいとか、私の気持ちも考えてほしいとか、話したときによく出てくる言葉が上の言葉だった。


初めて聞いたときは、だから何?って思ったのよね。

誰かがやらなきゃいけないと思うのに、できないから避けるってダメでしょって。

せめて半分は請け負ってよねって。


だけどね、今ならわかる。

私がそうやって気を遣って対応するから、それが当たり前になる。

それでいいんだって相手に思われる。

これがこの子なんだって認定されちゃうの。

夫は気が利かないとかって最初は思われるかもしれないけど、そのうちにそういう人認定されて、それが当たり前になる。

誰も期待しなくなるのよね。


私はどんどん自分を苦しめてるんだっていうことが、夫を見ていてわかってきたの。

自分を偽る=魂を受け渡す

ってことなんだなって、やっと理解できるようになってきた。


「女性はこうあるべき」からの解放

昭和の時代までは、女性にはこうあるべきがある程度あったように思う。

結婚して世継ぎを産む、夫や子どもたちの世話をする、自分のことは後回しで夫や長男を立てて家の繁栄を第一に考える、みたいな。

母親はそれを娘に伝え、娘も自分の人生はそうあるべきなんだと納得して生きていく、みたいな。

そういうもの、それが当たり前、そういう洗脳みたいな感じ。

でも周りもみんなそうだし、それで成り立っている世の中だから、そこに疑問を持たずに生涯を送る人だって多かったと思う。


私も母からそういうことをコンコンと聞かされ、そういうものだと思っていたから、自分のキャリアなんて気がつくと後回しで、まずは結婚して子どもを産んで…なんて考えてた。

そこに自分の考え(キャリア形成)なんてなかった。

子育て中心の生活をして生きていくものだと思い込んでたからね。


でもさ、実際には今の世の中、生涯一馬力で安定した生活なんてできないでしょ。

してる方はたくさんいると思うのだけど、実際、郊外の一戸建てを購入し、男の子3人育ててるのに、一馬力でなんてやっていけないよ、私は。

みんなどうしてるんだろう?

子どもが手を離れたら、教育費や老後のために働かないとってなるよね。

どうなんだろ。

そうしないためには、工夫が必要よね。

収入を増やす工夫か、支出を減らす工夫か。

そんなことないのかな。


でもさ、女性の社会進出が増えてきて、それは自分のキャリアを持ちたいって人や生活のために必要だからって人たちで、だけど女性らしく働く場っていうのは限られてるよね。

男性と同じように働くことを求められる。

男女平等ってそういうこと?

男女関係なくいろんな働き方があっていいと思うのに、まだまだ家事や育児は女性の役目っていう感覚が抜けない感じ。

今の20〜30代前半くらいの人たちの方が柔軟よね、きっと。

40代で、周りの考えや意見を素直に聞いて育ってきた女性は、植え付けられた感覚が抜けないってないかなぁ。

私がそうなんだけどさ。


だけどね、母であり妻である私が何でもやれなきゃいけない、なんて思ってやってると、それで周りも当たり前になっちゃって、私ばっかり苦しくて。

自分が選択して行動してるはずなのに、どんどん苦しい方向に向かっていく。

誰もやらないから自分がやるしかないじゃないって、どんどん追い詰められていく。

それは仕事でも家庭でも、気がつくとそのモードで走ってしまってたよね。


でももういいよね。

「自分にできることをやる」

そして、

「自分にしかやれないことや優先順位の高いことをやる」

「自分を楽しませたり、喜ばせたりするためにやる」

それ以外は手放すと決めた。

そうやって過ごしてきた数日で、世界がどんどん変わり、自分の感覚も変わっていくのがわかったんだ。


どれだけ人のために動いてたの?


人のために動くことは最低限、もしくは優先順位を下げた。

そして、私がやると決めたことは淡々とやる。

余計なことに気を回さない。

それでも気づいてしまうから、そこは状況をみて判断することにした。


そうしていたらね、世の中が本当の意味でフラットに見えるようになったのを感じたよね。

私はいろいろ気を回さず、そのままで全然問題なかった。


そしてビックリしたのがね、良かれと思ってされることの窮屈なこと!

別にやらなくて良かったのか、と思ったよ。


自分が生きていることに罪悪感を感じなくていい生活は、とても楽だと思った。

こんな日々だったら、生きてる意味なんてないって思わなくて済む。


同時に、今まで窮屈と思わなかったことがとても窮屈に感じられるようになってきた。

ああ、この感覚を持ってると、確かに社会では生きにくいかもしれない。

だけどその感覚を持っている上で、適度に社会や人と線を引いて、自分らしく生きていけばいいんじゃないって思えば、とても楽。

「自分らしく=自分のやり方で生きていく」

だと、周りとの軋轢でしんどいけど、

「自分らしく=魂を売らないで生きる」

なら、気が楽。

自分で自分を守る、自分の心までは明け渡さない。

私は私だけのもの。

その上で、社会では表面上上手くやっていけばいいだけ。

ただそれだけでは心がさみしいから、心を置いておける場所も作っておく。


そういうバランスよね。

それを上手く作ってこられなかったのね、私は。

自分の魂を社会のため、誰かのために売り飛ばしてたのね。


私の人生は私のものなのに、自分で決めた選択で生きてこなかったんだなぁ。

表向きだけ上手くやれば良かったのにね。

それをいろんなものを背負いすぎちゃってたんだなぁって、やっとわかって。


気が楽になったら、わかったよね。

苦しくても何とか頑張ってやっていくにはさ、

「いろんなものを背負って苦しくなったのは親の育て方が悪かったから」

って被害者意識で生きるしかなかったんだって。

そういうことにしないと生きていけなかった。


だけど、自分の人生なんだから、自分で決めていいのよ。

次の瞬間、自分が笑っていられるように、明日の自分も、さらに一ヶ月後の自分も、笑っていられるように。

悲しくても苦しくても、生きてる証拠、いい学びの機会って割り切れるように。

自分の責任で生きていく。

怖いけど、不安だけど、そう決めたら心が軽いよ。


被害者意識が強い方が、どうにかしたいパワーをたくさん持っていて強かった部分もあったけどね、被害者でいなくなったら心が穏やか。


必要以上に頑張らなくていい。

自分の人生、自分で決めていい。

社会では程よく自分の役割をこなせばいい。

魂だけは乗っ取られないように。


ここへきて急に進む、心の整理。

現実変化が著しくて、ややついていけてない感覚はあるけれど、確実に前に進んでいる気がする。

自分の心は自分のものだよね。

もう振り回されなくていいんだ。

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