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私の人生すごろく

小6の長男はすごろくを作るのが好きで。

やらせてもらうと、設定は結構細かいし、やり進めるとちゃんとイベントがあって、喜怒哀楽の感情があふれる内容になってる。

これって全体像を見る練習になってるんじゃないかなぁって、好きなことで学べることってたくさんあるよなぁって思うよね。


私も自分の人生を、長男がつくるすごろくのように表現したら、一体どんな感じで、これからどんなことを夢見てるのか。

自由に考えて、言葉にしてみようと思う。


私の人生は人だらけ

私は常に人間関係に悩んできたと思うんだけど、それは意識が常に「人」にあったから。

多分、私が人生すごろくを作るとしたら、人との出会いがメインで、出会いがテーマになると思う。


出会いが好きなの。

だから、いろんな人と出会うすごろく。

影響されて違う道を歩んでみたくなったり、新しいやり方を試してみたり。

人と出会うと、人生の選択肢が広がっていく感じ。

すごろくのスタートはそんなふうに、人との出会いで始まると思うよね。


うん、そう。

私、きっと人に影響されたい人なのよ。

人に影響されて、いろんな自分と出会ってみたい、そんな感じ。


だから私ね、自分らしさが出てくるとちょっと邪魔だった。

今の私はそれ、求めてないからって感じで。

自分が出てくると、せっかくの人との出会いが楽しめないことが良くあったのよね。

風のように自由に動いて、私って存在は見えなくてよくて、行く先々でいろんな感情と経験をもらって次に進んでいく。

そういうのが好き。

私らしさよりも、いろんな人のその人らしさを楽しむのがいいの。

だからなんだね、私が自分らしさを好きになれないって。


私の人生すごろくには、お金とか、敵と戦うとか、そういうのはあんまり出てこなくて、きっと人との出会いでどう変化していくか、何が起こるのか、そんなテーマになりそうな気がする。


もちろん怖いこともあるよね。

信じたかったけど、だまされそうになることも、いいように使われそうになることも。

いろんな人がいる、それが実感できる日々がある、それが尊い。

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子育てには軸が必要?

今までの人生は、多分軸がないのが良かったの。

軸がないから、風のようにどんな場所にも馴染んで、とどまらずに自由に動いていく。


だけど、子育てってそういうスタンスではなんだかうまくいかなくてね。

地に足をつけて、自分の人生と子どもの人生は別モノよねって、しっかりと線引きした上で、必要な関わりをしていくのよ。

大人でも同じだけど、自分ひとりでは難しいことを一緒に考えたり、サポートしてもらったりする。

地に足をつけて、自分にできること、子どもにできること、一緒にワクワクするような人生を見つけて歩んでいくこと、安心して歩めるような心の土台をつくることって大事じゃない?

ん?

子育てが上手くいかない中で、自分なりに考えて、無意識にそう考えてきたけど、それって実は思い込み?

地に足をつけて土台をつくる、それって大切だと思うけど、それって絶対?

そんなことないのかも?


長男に聞いてみた。

私「ね、私みたいに地に足がついてなかったりしたらさ、やっぱり子育てには向かないのかな?

 子育てに向く向かないってあるよね?

 なんだろう?」


長男「ああ、向かない人はいるね。

 自分をコントロールできない人じゃない?

 自分をコントロールできないと、人を育てるのは厳しいでしょ?」


私「確かに、そうだよね。

 でも私もコントロール効かなくなるじゃんね?

 やっぱり向いてないの?」


長男「ママはさ、コントロール効かなくなるときもあるけど、基本的には子どもの気持ちになって考えてるし、子どものことを見てないわけじゃないから大丈夫なんじゃない?」


なるほど。

親なのに、何子どもに聞いてんじゃい!って思うけど、長男ってこういうことよくわかってる。

わかっちゃう人は、わかろうとしなくたって、理解できちゃうものなんだなぁって、長男見てて思う。

私はそういうの、めちゃくちゃ苦手だったんだなぁ、と長男見てて自覚したもんね。


子育てをそう考えると、まぁいいのか、こんな私でもって思える。

めちゃくちゃ頑張らなくても、一応最低限のことはこなせてるのかな。

ただ、やっぱり子ども云々の前に自分が自分の足でしっかりと立ち、自分をコントロールできなかったら人は見れないよね。

私、まだまだそれは苦手だ。

アレもコレもやりたいし、やらなきゃってバタバタしていて、まだまだ余裕がなさすぎる。

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すごろく続き

私はやっぱり、人とたくさん出会って影響されることって楽しい!

それがいちばん表れてるのは学生時代のサイン帳なんだよね。

めちゃくちゃたくさんの人から書いてもらったの、今でも宝物。

一期一会を大切にしてたし、ウマが合った人とは文通もしばらく続いてたかな。


そんな学生時代から就職と結婚、そして子育て。

いろいろ経験したり考えたりする中で、私は好きなことや求めることがだんだんとハッキリしてくるのよね。

そんなすごろくの中盤では、私はこうして生きていきたい!という軸をつくるステージにやってくる。

このステージでは、たくさんの選択を求められるのね。

たくさんの選択を通して、経験からいい!と思ってきたことのひとつひとつを削ぎ落とし、自分らしさを明確にしていくの。

きっと今の私はそんな時期。

だから人と比べたりしちゃうし、なんだか自分だけ軸が定まっていないような不安定な感じがあるんじゃないかなぁ。


そのステージを抜けると、自己実現のステージ。

年々老いていく体と心と向き合いつつ、自分の決めたことを叶えるために、一歩一歩進んでいく。

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自分は何を選びたいのか、心の声を聞く時間

私がなんでこんなに、noteで自分と向き合おうと思ってたのか、理由がやっとわかったよ。

今、私は自分の心の声を聞きたいのよね。

聞いて、自分の人生をちゃんと選択したいの。

今の私はね、ああしたい、こうしたい、っていうのはいっぱいあるんだけど、どれも一時的な感情であって、だから何?ってものも多いのよね。

もっと軸を持って、テーマをハッキリさせて、コレ!っていう目標に向かって…


ん!?

でも、そんなのいるかな?

子育ての軸の話のときも思ったけど、こうしなきゃいけないんじゃないかって、いつの間にか私、決め付けてない?

私、目標を見つけたいな、ハッキリさせたいなって思ってた。

見つけたら、そこに向けて一直線だ!って。

有り余るエネルギーを全て注ごうって。


だけど、すごろくみたいにゴールがなくったってイイよね。

なんかそのときそのときに、自分が感じたこと、思ったこと、考えたことを大切にするのでよくない?って自分に思っちゃった。

きっと、ブレない軸が欲しいんだと思うけど、それは周りに影響され過ぎないために持っておきたくて、だけど、軸がなくたってその都度ちゃんと選択できたらいいんじゃないかな。

それに、自分の進む先を決めて、そこに至るまでの計画を立てて、少しずつ努力してステップアップしていく、なんていうのもいいけれど、なんだかちょっと窮屈な気がする。

明確に「これを叶えたい!」という目標があるならまだしも、ないことをダメだと思って、必死で目標を探さなくてもいいかも。


こんなふうに自分の声を聞いてると、たくさんの思い込みがあることに気づくね。

思い込みで固めようとしちゃうのは、きっと不安だったり自分を信用しきれてないのよね。


でもきっと大丈夫。

目の前のことをよく見て、考えて、自分で選択したことにもっと自信を持とう。

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すごろくのゴールは?

すごろくのゴールって、きっとたくさんの選択の積み重ね。

何かを成し遂げるというよりも、きっと自分の最期の瞬間が満足感とか幸せ感とかでいっぱいになっていたらそれでいいんじゃないかな。

小さな「自分を満たす」「自分を大切にする」の積み重ねは、満ち足りた人生に向かっていきそうな気がする。

物質的な豊かさや他人の評価ではなくて、自分の中をただ満たすだけで十分なんじゃないかな。

幸せの形は人の数だけあると思う。

私は私の幸せの形を模索していきたいね。

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