見出し画像

【京のブログ】(11)「〇〇な仕事がしたいと言う若者」

 このブログに出会ってくださって、ありがとうございます。

 今日は、「ラクな仕事がしたいという若者」について書きたいと思います。(あえてここでは若者といいます。)

 私が出会った若手社員で「ラクな仕事がしたい」と宣言する20代がいました。なぜかと聞くと「コスパが良いから」でした。

 そもそも、昭和の人間の私には、「ラクな仕事とは何なのか」意味がわかりませんでした。

 なぜなら、私自身の仕事の定義に「仕事がラク」という考え自体がなかったからです。

 その若者の態度から〝他人と比べてラクで簡単な仕事をして、高い給料をもらって得がしたい〟と言っている気がしてならないのです。

 その若者の考え方に、違和感しかなったのを記憶しています。

 もしかしたら、そういう若者が水面下で増えているのではないでしょうか。

 確かに最近は「コスパ」や「タイパ」などの略語を、若者がよく使っているのを耳にします。
 
 例えば、便利な商品が安価で手に入ったときに「コスパが良い」というのはわかります。

 しかし〝ラクな仕事をして高い給料を貰うこと〟を指しての「コスパが良い」は、果たして使い方としては正しいのでしょうか?

 そして、傍から見たら「ラクな仕事」に見えたとしても、仕事はやってみて初めて、大変さに気づくものだと私は思うのです。

 ただ「ラクそうに見える」だけでは、もしかしたら「ラクそうに見えるけど大変な仕事」である可能性は十分あります。

 それに、その「ラクそうな仕事をラクそうにこなしている人」が、もしかしたら「相当仕事の出来る能力の高い人」で、〝大変さを1ミリも表に出さずに、軽々しくこなしているように見せている〟かもしれないのです。

 よく「人は見かけにはよらない」といいますが、言い方は違うにしても、ラクそうに仕事をこなしている人が、本当にラクに仕事をしているとは限らないと思うのです。

 表向きは軽々とこなしているように見えたとしても、日々の努力の上に成り立つ仕事の出来ばえなのかもしれません。

 そもそも仕事というものは、ラクだと思った時点で、自分の能力を向上させる機会を自分自身で奪っていると私は思います。

 どんな仕事にも、大変さはあるはずです。

 例えば、仕事が単純作業で、作業自体は簡単に覚えられる仕事があったとします。

 しかし、その単純作業を、勤務時間中、ひたすら繰り返すとなれば、どうでしょう?

 食品工場などのライン作業がこれにあたります。

 ここで働いている方たちは、担当する一つひとつの作業は簡単に見えるかもしれません。

 現在は機械化が進んでいるのかもしれませんが、美味しそうに盛り付けなければならなかったり、わかりづらい不良品を、瞬時に取り出さなければならなかったりして、見た目よりも相当神経を使って仕事をされていると思うのです。同じことを続けるという根気も必要だと思います。

 その上、休憩時間はあるにせよ、ずっと立ちっぱなしで、業務によっては、防護服のような服装で仕事をしなければならず、体にかかる負担が大きいかもしれません。

 それは、実際に仕事をしてみなければ、その大変さは到底わかり得ないと思うのです。

 ですから、傍目からは「ラクそうに見える仕事」でも「自分がラクに出来るかは別の問題」なのだと私は思うのです。

 仮に「自分がラクに出来る仕事」であったとしても、その現状で良いと判断するのではなく、「向上心をもって、他に何か改善できる点はないのか、もっと効率的に出来る方法はないかなど、取り組むべきものはたくさんある」のだと思うのです。

 もしかしたら、ラクそうにこなしている能力のある人は、常にそう考えて仕事をしていたのかもしれない、と思えば「ラクな仕事なんてひとつもない」ことに気がつくことが出来るのではないでしょうか。

 私が若い頃は、親や上司、先輩にも「若いうちの苦労は買ってでもしろ」と言われた時代でした。

 もしかしたら、今はそんな時代ではなくなってしまっているのかもれないと思う時もあります。

 しかし、人生半分過ぎた今になって思うことは、「苦労して試行錯誤した時代があったからこそ、今の自分がある」と、心から思います。

 その苦労があったからこそ、仕事を深く理解することが出来て、応用力が身についたし、人に教えることもできた。いろんな意見を取り入れる柔軟性や、様々な選択肢の中から一番良い方法を選び取る能力も身についた。

 その全てが、「その苦労の上に成り立つ結果であり、自分自身の財産になったものだ」と、本当に思うのです。

 20代という年齢では、人生の経験値としては少ないのは仕方のないことです。

 しかし、初めからラクさを求めて仕事をすることは、自分自身の可能性を初めから潰してはいませんか?

 逆に、「若いからこそ出来る、どんな仕事でも貪欲に吸収する強さを、今を生きる若者に気づいて学び取り、未来にいかしてほしい」のです。

 きっと、おそらく近い将来、ラクな仕事は機械やAIが、それこそラクにこなしてくれるはずです。

 そうした未来が現実になったとき、ラクな仕事ばかりしていた若者に、出来る仕事はあるのでしょうか。

 その時、気づいても遅いのです。

 現状ある仕事が「コスバが良い」のは、今だけかもしれません。

 だからこそ、「吸収力のある若さがあるうちに、たとえ失敗したとしても、様々なことに挑戦して、自分自身の目に見えない財産を、増やしていって欲しい」と私は思っています。

 きっとそれこそが、「タイパに優れなくても、コスバの良い人生」なのではないかと私は思うのです。

 皆様の周りにも「ラクな仕事ばかり探して仕事を選んでいる人」はいませんか?

 今一度、自分自身を振り返り「仕事に対する向き合い方次第で、どんな仕事からも学ぶべきことがたくさんある事」に気づき、仕事に取り組んでみませんか。

 もしかしたら、知らず知らずのうちに「自分自身の可能性を自ら潰してしまっている」かも知れませんよ。

 皆様の毎日が充実した日々でありますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?