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痛みについて思うこと

人の痛みは分からない


人にはいろんな苦悩がある。
身体の不具合について思う。

年齢とともに、ちょっとずつその類の悩みが増えてきた。慢性的な痛みなどはやっぱりキツイ。
同じような傷病でも、人によって症状や痛みは全然違ったりするから、分かってもらえなかったり、分からなかったりで。

数年前、とある心身機能を失った。どんな医療技術を以てしても改善不能という宣言を受けたのだった。

いくつも医療機関を渡り歩き、結局原因解明には至らなかったが、治療開始が早ければ可能性はあったかもしれないということだった。

子供のころから健康そのもので、学生時代はバリバリのスポーツマンだった自分がまさかという感じだった。

それまでは傷病に限らず、頑張ればある程度なんとかなったり、お金をかければ手に入ったり。絶望的な経験がまったくなかった訳ではないけど、それらが本当の絶望ではなかったことを知った瞬間だった。

幸い命に関わることではない。けれども、これによって思い描いていた将来を完全に諦めなくてはならなかった。

だから、身体の不調などで悩んでいる人に伝えたい。

無症状だったとは良く聞く話だか、振り返ると何かしらのサインがあったりする。自身の身体の声によく耳を傾けて欲しい。

一筋でも希望や方法があることならば、諦めないで欲しい。それを最優先に考えて、なるべく早く行動して欲しいと思うのだ。

大事な仕事があるからとか、自分には責任があるからとか、一筋を後回しにしないで欲しい。手遅れになる可能性もゼロではない。

「今」が大切なのはよく分かる。でも、例えばその大事な仕事に穴を開けたとしても、これまで積み上げてきたものが全部なくなる訳ではない。回復後にいくらでも取り戻せる。こういう場面で頑張ろうとする人は、それができる人だと思っている。周囲の人たちのことも信じて欲しい。必ず力になってくれる人、待っていてくれる人がいるはずだ。

命を失わなくとも例えば、身体・心身機能の一部を失えば、それでもそれは自分だけの損失ではない。

積み上げてきたものすべて、リベンジのチャンスを失う可能性があるだけでなく、周囲の大切な人たちにも辛い思いをさせてしまう。その罪悪感を抱えたまま、一生生きていかなければならないとしたらどうだろう。(第三者として言えば、傷病を抱える人に対し罪悪感をもつ必要などないと言い切れるが、当事者としては正直な気持ちだ。)

将来のために、大切な人たちのためにも、自分を大切にして欲しい。それが本当の「今」を大切にすることではないだろうか。

naobimによるPixabayからの画像

一方で、身体の調子が悪いとき、自分は一人になりたいと思ってしまう。結局一人でじっと耐えて淡々と長い時間を乗り切るしかなかったから。

心の問題は恐らく個人差がある。でも身体の痛みや症状は時間が解決してくれることも多いのではないか。(すごく長い場合もあるが)人の身体ってすごいなと思う。だからそこはしつこく希望を持って捨てないで欲しい。

身近な人がしんどい思いをしていたら、もちろん心配だし、途方もないような辛い持ちも分かるから、力になりたいという思いはあるけれど、
人の痛みの本当のところは、やっぱり分からないと思う。

ひたすたに見守り、信じて願うしかないのだ。

(世の中には様々な傷病を抱える人がいる。そのすべてに当てはまる話ではなく、ある傷病による個人的な経験からの一例と思いである。)

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