7年間の「当たり前」を手放した話
耐え難い別れをするときに、その人と初めて会った日のことを、何度も何度も脳内再生してしまうのは、私だけでしょうか。
それはきっと、「もう別れる」事実が決まっていてもなお、別れない方法を必死でかき集めてる過程なんだと思います。
あるいは、初めて会った日のことを思い出して、あのころに戻れるなら、と、1人で後悔をする過程なのかもしれません。
昨晩、7年間寄り添ってくれた彼氏と別れました。
私が決断しました。
最後まで「今も昔もずっと好き」と言ってくれた彼氏の言葉がこびりついて離れません。
自分で決めたことなのに、心がひどくつらいです。
たくさん泣きました。
別れなければいけなかった悲しさと、関係を守りきれなかった不甲斐なさと、本当にこれでよかったのかという不安と、やっと終わった安堵と。
感情が混ぜこぜになり、自室にこもって紙に全部書き出し、それでもはみ出た感情を友人にLINEして、でも文字を打つ途中涙で画面が見えなくなり、結局電話に切り替えて。
「本当に頑張ったね」
そう言ってもらえるだけでたやすく救われて、また新たな涙が溢れる。
そうか、私は頑張っていたのか。
7年間も一緒にいたのに昨晩思い出せたのは、上野駅のホームまでの階段で告白されたときのこと。
そればかり。何度も何度も。
あのときから始まった。そして今、終わった。
私は昨日までずっと、どうやって相手を傷つけずに別れられるか、そんなことを考え、悩んでいました。
でも、一方に意志がある限り、どちらかは傷つかなくちゃいけない。傷つける覚悟を持たなくちゃいけない。
穏便に済ませられるなんて、人生ぬるいもんじゃなかった。
もう、こんなつらい思いはしたくありません。
自分の愛する相手を傷つけたくありません。
でもきっとまた懲りずに、誰かとの別れは経験するでしょう。
誰かを傷つけ、自分もまた傷つくでしょう。
人生は思ったより、厳しい。
それでも生きなきゃいけない。
だから人は、生きているだけで偉いんです。
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