見出し画像

あなたの「一生に一度」に選ばれた日

「このまま一生、母の奴隷として生きていくんだと諦めていた。母が亡くなって、すごく悲しかったしたくさん泣いたけど、やっと自分の人生が始められると思ったんだ」


頼れる身内が誰もいない彼は、中学の頃から鬱病の母とふたりで暮らしていた。

私と一緒に住みたがる彼に「私、家だとやばいですよ?まじで休日寝てばっかですよ?」と念を押して畳み掛けても、「大丈夫、もっとやばい奴がずっと家にいたから」と頑なに押し負けない。全く、今までどんな生活をしてきたのか。知りたいけれど、まだ尋ねるには一緒にいる時間が短いし、知ったところで過去の彼を救うことはできない。


彼の告白は、自分の人生を諦めてきた30年以上の重みと覚悟をはらんで私にのしかかってきた。私は今年で28歳、彼はその7つ上。手放しに「好き!付き合おう!」と言えるほど青くないことは、お互いわかっていた。





彼が現在の老人ホームの厨房の仕事を始めたのは、今から2年前。

「全然喋らないし、人に興味が無くて、仕事が終わったら速攻帰ってたよ」と、ベテランのパートさんは当時の彼について語った。「だからさ、ここ最近の変わりようにびっくりしているのよ。いつもニコニコしているし、楽しそう。彼って、好きな人ができるとああなるんだね」

確かにここ1、2ヶ月の彼はとても楽しそうだった。1ヶ月前に初めて食事に行ったときを境にそれはさらに増して、好意的な言動をたくさんいただくようになった。

楽しそうな彼とは裏腹に、私はその状況に悩んでいた。好かれていることに気付いていながら、それを意識しないように笑って受け流すのが、当時はとてもしんどかったし、私たちの関係性を確信づける言葉をいただけないことは、私のモヤモヤを加速させた。


「『可愛い』とか『一緒に居たい』とか、それらしい言葉は言ってくれますけど、それらしい言葉だけですよね」

お酒を全く飲まない彼と、お酒しか飲まない私。初めて一緒に下北沢に行った夜、2軒目の焼き鳥居酒屋で「これが最後の一杯」と決断して、えいっと言葉を滑らせた。彼は少し俯き、「俺も繊細なんだよ」と静かに前置きして、覚悟を決めてくれた。

ここから先は

716字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?