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スポーツ選手のセカンドキャリアについて考える

僕自身、離職してから2か月が経ちます。そしてスポーツ選手とは状況が異なりますが、キャリアについてよく考えるようになりました。その中で思うことは「これまでの自分」「これからの自分」の2視点からの視線です。

業界を問わずに、幅広くキャリアを選択するという点から自分を見ると、「これまでの自分」をとにかくよく見られます。いわゆる実績と呼ばれるものです。そこに「これからの自分」という角度の見方はほとんど存在しないようにさえ思います。

一方でアスリートの場合はどうでしょうか?まずはこの記事をご覧ください。

「引退後に『元Jリーガーです』と言っても、ほとんどの人が『あ、そうですか』で終わる世界」で、多くのことを学んでいった。

僕も実際にそうだと思います。Jリーガーたちの場合は、一般サラリーマンでキャリアを積んでいる人が「これまでの自分」を見られるのに対して、社会から「これからの自分」という視点から見られるのです。

そしてセカンドキャリアを考えるうえで、ここが最も認識としてズレているのではないかと考えています。つまり引退したアスリート側が提示している「これまでの自分」というキャリアに対して、社会が求めているのは、その上で何ができるのか「これからの自分」というプランです。

武井壮さんの「オトナの育て方」を見たことがある方も多いと思いますが、まずこれを見てください。

例えば、「サッカーができる」という能力は一般社会ではまったく意味を成しません。でも「個性派の多いチームをまとめる」「辛い逆境の中でも自分のできることを見つける」こういった能力は役に立ちます。

いわゆるファーストキャリアという、今のフィールドで自分が何の能力を鍛えているのかを見つめてみるのはどうでしょうか?自分がスポーツ選手であることの何が価値になっていて、何にお金を支払われているのかを考えることが全てのスタートだ思います。

改めて、お伝えしますが、

試合に勝つ、負けるの軸でしか生きていなかった選手ほど、「スポーツしかできない若者」になってしまうのです。スポーツ選手の社会的価値はなんだろうか。そこに対しての自問自答が常に求められています。

そして、あえてストレートな物言いをすると、一般社会において「スポーツしかできない若者」の需要はほとんどないに近いと思います。

スポーツの世界に来て、多くの魅力的なスポーツ選手に出会ってきました。人間的な魅力にあふれ、とても優しいスポーツ選手たちが素敵な人生を歩み、色々な舞台で活躍するために、まずすべきことがあります。

それは、認識を変えることです。

僕の聞いている感覚だと、多くのJリーガーたちのセカンドキャリアへの感覚は、時間的拘束が選手時代と変わらず、収入は選手時代よりも多少下がってもいいかな、程度の仕事があればいい、というものです。

しかし、スポーツ選手時代の収入は、人数が少ないという希少価値と自分たちの秀でたアスリートとしての能力をクラブやフロントスタッフを通して、収入に変えていた。ことで得られていたものです。

引退し、スポーツ選手という希少価値・アスリートの能力を失った先に、問われるのはビジネスマンとしての価値であり、「これからの自分」です。

アスリート採用について、こんな話を聞きました。
「これまでのアスリート採用は課題が多く、なかなか採用に踏み切れなかった企業様が多くいらっしゃいました。 」

これの根本的な問題になるのは、「これまでの自分」で勝負するスポーツ選手に対し、「これからの自分」を求める企業側のギャップから来るものなのではないでしょうか。

ただスポーツ選手たちは、常に「選ばれる」「選ばれない」という特異な世界に身を置き、来年の自分が想像もできない世界で生き抜いてきました。かわいがっていた後輩、お世話になった先輩、共に汗を流した仲間たちが1年後も同じメンバーでいることなんてありえない究極の世界です。

そんなスポーツ選手が持つ自らの価値に気づかせ、人生を逞しく切り開く力を育む。これができれば鬼に金棒なのではないでしょうか。

先の見えない、経験したことのない、変化の激しい時代を生きていくことになります。「想い」により駆動する、社会にイノベーションを起こす人材が必要になってきます。これにうってつけな人材はスポーツ選手です。そう信じてやみません。


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