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ニチアサの話がしたい vol,201


■今週のガッチャード

・カムバック!たっちゃん&ゴーレム剛力!

 ついに7月26日金曜日に公開された『仮面ライダー THE SUMMER MOVIE 2024/仮面ライダーガッチャード&爆上戦隊ブンブンジャー』。筆者は都内某映画館の初日初回上映を観に行ったのだが、「スーパー戦隊映画」の王道ド真ん中を突っ走ったブンブンジャーはもちろん、『ガッチャード』初の単独映画となる「仮面ライダーガッチャード ザ・フューチャー・デイブレイク」が本当に素晴らしかった。まだ公開から間もないので詳しい感想はここでは割愛するが、まさに『ガッチャード』という作品の「集大成」と呼ぶにふさわしい内容となっており、むしろ集大成すぎて「これだけの内容を劇場版でやっちゃったら、TV本編の残り5話は何やんの!?」と若干心配になったくらいだったのだが、今週46話「黒き占星、黒鋼の宣誓」を観て、それは全くの杞憂であったことを実感した。確かに夏映画ではデイブレイクの孤独な戦いの行方や、りんねが風雅に読んでもらった思い出の絵本「錬金術の大いなる道」に関するエピソード、そして宝太郎とりんねの関係性まで、様々なことが語られていたと思うが、唯一と言っていいほど触れていなかったのが「宝太郎とスパナとの決着」なのだ。

 ガエリヤの放った黒い粒子によって、ケミーに関する人々の記憶と記録が蘇った。「全ての人間が消された記憶と正しく向き合えるとは限らない」というのは先週45話のスパナの弁だが、彼の悪い予感は的中。街は混乱し、強い力を持つケミーを巡って争いや奪い合いが起こるようになってしまった。これに付随し、14話では嫌味なオカルト雑誌編集者、23話では結愛を弄ぶサイテーな元彼として登場した「たっちゃん」が、今度はオカルト系配信者としてカムバック。宝太郎とりんねの後をつけ、何と錬金アカデミーにも突撃取材をしてくる。更に、自らマルガムになることを望む悪人として、5話で道場破りならぬボクシングジム破りをしてきた凶悪レスラー、ゴレーム剛力も再登場。『ガッチャード』の特に前半を盛り立てたこのクセの強いサブキャラ達が最終盤にリポップしてくるというのは、宝太郎たちからすれば最悪な状況だと思うが、番組を続けて観てきた者としては懐かしい顔ぶれにまた再会できてちょっと嬉しい。たっちゃん役の乃上貴翔さんやゴーレム剛力役の納谷幸男さんのお芝居も非常にノリノリで、もうこうなってくると、スパナのライバルを自称しながら名前さえ覚えられていなかった鉛崎ボルトにも、サボスケと友達になった理玖くんにも、恐竜を探してた間辺親子にも、みんなとまた会いたくなってくる。

・錬金人形は家族の夢を見るか

 一方、騒動の最中にふと姿を現したアトロポスに声を掛けるりんね。「グリオンを信じちゃダメ。きっといつか傷つくことになる」アトロポスに改心をちらつかせられ、結果的にグリオン復活のために利用されてしまったりんねだが、そのことを責めるのではなく、そうまでしてグリオンに執着するアトロポスの心の弱さを気にかけ続けるりんね。(やさしい……)それに対し、「君に何が分かるの!?僕の心さえ読めなかった、君に……」と、少し悲しげに目を伏して去っていくアトロポス。図星を突かれそれ以上は追いかけられないりんねだが、アトロポスの言葉や演者の沖田絃乃さんの絶妙な表情を見るに、彼女の中には「りんねちゃんなら僕の心を読んでくれると思ったのに」といったようなわずかな期待があったようにも思え(そう言うことでりんねの罪悪感を掻き立てているだけかもしれないが……)もはや人間並みに複雑な情緒を抱えてしまったからこそのアトロポスの言動が切ない。

 そんなアトロポスをグリオンは「我が娘」と呼び、かつて風雅が幼いりんねに着せていたワンピースに召替えさせると、「錬金術の大いなる道」の絵本を膝の上に乗せて読んでやる。アトロポスのモデルとなった人物は今のことろまだ明かされておらず、筆者は「もしかして昔亡くなったグリオン様の娘さんとかがモデルだったりして……だとしたら切ないな」などと思っていたのだが、そうではなく、父親の風雅と仲睦まじく過ごす幼いりんねを見て抱いた、人形である自分も父親になって娘と幸せに暮らしたいという願望から作り上げた存在なのだとしたら、アトロポスはそんなグリオンの「掴めなかったガッチャ」の成れの果てのようでもあり、2人が本物の父娘のように穏やかに微笑み合えば微笑み合うほど、人形たちが夢見る空虚な「家族」の姿に何だか胸が苦しくなってくる。ライダーたちと敵対しているとは言え、グリオンもアトロポスもクロトーも、みんな根っこで願ってることは「誰かと一緒にいたい」というささやかな想いだったとしたら、彼らが「悪の手先」として滅びる以外の道は、本当に許されないのかとつい思い巡らせてしまう。

・がむしゃらな現実、スパナの覚悟

 ケミーの力を狙う悪人たちに襲われても、錬金術ではなく素手で対抗し(本島さんの素面アクションがカッコ良かった!)あくまで「ケミーの純粋な優しさが伝われば、人とケミーは一緒に生きていける」と、良く言えば前向きな、悪く言えば楽観的な姿勢を崩さない宝太郎。しかし、世の中の気運は次第にそうも言っていられない状況に。人々の記憶を消していた錬金術師として顔写真がネットに上げられてしまった鏡花を案じ、ラボへと急ぐ途中、スパナは泣きじゃくる1人の少女と何やら揉めている集団に出会う。話を聞けば、ケミーに会いたい気持ちで少女が作ったホッパー1のぬいぐるみを本物のケミーだと勘違いした女性が少女から強奪し、周りの大人たちもそれに群がって騒き始めたという。自分が握りしめるホッパー1が本物ではないと分かるや否や、ホッパー1のぬいぐるみを「人騒がせ」と忌々しげに地面に叩きつける女性。持ち主にとっては親友であり家族同然でもある大切なぬいぐるみが粗雑に扱われるシーンに、思わずカッと頭に血が昇ったのは決して筆者だけではあるまい。そんな私たちの怒りを代弁してくれるかのように、彼女らを鋭く睨みつけ「去れ……!」と一喝するスパナ。ほぱぬいをそっと拾い上げ、土埃を払ってから少女に手渡しで返してくれるスパナの優しさ、正義感が沁みる。困惑しながらも「ありがとう」と呟く少女。やっと泣き止んだ彼女に「良かったな」とばかりに微笑みを向けつつ、冷静に考えればどう見てもぬいぐるみなのに「何か話題になっているから」「すごい力があるらしいから」という表面的な情報だけで勝手にそれを本物のケミーだと決めつけ、子どもから一方的に物を奪うという、熱に浮かされた人間の加害性と浅はかさ、自分さえよければ例え子どもの心であっても踏み躙って構わないという非情で醜い感情は、もはや悪人だけではなく一般人の心にも広がり始めていることを悟るスパナ。

 もはや宝太郎の言うように「いつかみんな分かってくれる」という理想論だけではどうにもならない切迫した状況に危機感を募らせる中、彼にとって決定的なことが起こってしまう。たっちゃんの動画を観た人々が鏡花のラボに押し入り、その騒動で鏡花は頭から流血するほどの大怪我を負ってしまったのだ。自分が止めようとしても鏡花は人間相手に手出しすることを許さなかったと、ヴァルバラッシャーを握りしめたまま立ち尽くすラケシスの悲痛な声が荒れ果てたラボに響き渡る。「俺が……やるしかない!!」と傷ついた鏡花の肩を抱えながら覚悟を決めたスパナは、翌日、人々の電子機器をジャックし、ケミーを管理していた錬金連合という組織がいかにクソであるか、騒動の責任を取って今後は自分が錬金術を管理し、人々に危害を加えたケミーは全て廃棄すると宣言する。直後のスパナからの通話に「ちょっと待てよ……!俺の話も聞けって……!!と、いつもだったら「何があったんだよ」と、まず相手に寄り添おうとする宝太郎が、我を忘れて自分の主張をまず伝えようとするところに、宝太郎のマジの焦りを感じる。(この時の本島さんの「やばいやばいやばい」という感じのお芝居もリアルですごく良かった)しかし、一度「やる」と決めたスパナの意志は固く「ケミーを全て揃えて今から送るマップの位置に来い」「ケミーを渡さないのなら手段は選ばない」と冷たく言い放つと通信を切ってしまうのだった。

・「俺がやる」の正しさ

 さて、ここで読者貴兄に問おう。これはスパナの二度目の「闇堕ち」なのだろうか?筆者の考えはノーだ。これは決して「闇に堕ちる」つまり、「正しさとしての光」に背き、悪しき道へ堕落した人間の行いではない。彼がミナトと共に将来的には腐敗した連合を立て直すつもりだという随分前から出ており、それがこういう形で回収されたことに関しては「そう来るか!」と意外ではあったものの、スパナの決断はむしろ、黒鋼スパナという誰よりも「人間」を大切にしてきた男が出した、これ以上ないほど「正しい」答えだとすら思う。

 『ガッチャード』は宝太郎が主人公なので可視化されにくいが、そもそも本来モンスターであるケミーと人間の友達と同じように接し、仲良くなれる宝太郎こそがイレギュラーな存在なのであり、人の悪意によって殺傷能力の高い化物に変貌しまう存在をみすみす野放しにはできないと思うスパナの考えの方がどちらかと言えば一般的であると思う。また、スパナは最初からケミーを危険な存在だと考えているキャラとして描かれており、そこにしっかり一貫性があるところもスパナの行動に説得力を感じる要素のひとつだろう。途中でライダーとなり共に戦う仲間に加わるからと言って、宝太郎と同じ考えに容易にマインドチェンジしたり、ギャグキャラにして所謂「ポンコツ化」させず、硬派なキャラを貫いたのが功を奏していると言える。(ついでに錬金連合は有事になったらケツをまくって逃げ出してもおかしくないくさった組織だという描写を続けてきたことも)

 彼がケミーを廃棄しようとしているのは、例えば彼自身の復讐や成り上がりのためではなく、それによって力無き者の命や心が踏み躙られていくことに耐えられないからだというのは、42、43話で出会った亜琉美との交流や、今回ほぱぬいを獲られた少女とのやりとりの中などでも充分に伝わってくるし、両親を目の前で殺され、家族を失うことに大きなトラウマを持っている彼にとって、親代わりに自分を育ててくれた鏡花を傷つけられたことが「ケミー廃棄」の決意のトリガーになったのは当然と言えるだろう。

 それに加え、振り返ってみれば錆丸がドレッドに乗っ取られてしまった時やホッパー1がマルガムになってしまった時などもそうだったが、宝太郎たちの懸命な呼びかけの力を信じつつ、そんな彼らの「一生懸命な頑張り」や「眩しいほどの善性」だけではどうしようもできない厳しい現実が彼らを襲い、このままでは一網打尽にされると判断した瞬間、いつも我先に「俺がやる!」と汚れ役を買って出ようとしてきたものまたスパナだった。傷付くのは、嫌われるのは自分だけでいい。それで人の命が救えるのならと、自分ひとりでその全ての代償を払おうとする。黒鋼スパナがそういう不器用でとてつもなく愛情深い男だということは、ここまで放送を観てきた人なら痛いほどに理解できるのではないだろうか。

・ライダーバトル、満を持して!

 ついに直接対決することになった宝太郎とスパナだが、注目したいのは『ガッチャード』が「今」ここに来てついに「ライダーバトル」を描く点だ。公式サイトでも明かされていたとおり『ガッチャード』は企画構想時『アギト2』という方向性が提案されていたという経緯があり、主人公が特技が得意だったり、作中でキックソングが復活したりと、ちょこちょこ平成1期のオマージュかと思われるポイントがあるように感じていたが、ここに来て『龍騎』や『剣』、『555』を彷彿とさせる「戦士たちの正義と正義のぶつかり合い」を展開してくるのが本当にアツい。ライダー同士の戦いはお互いの立場や主張をきちんと積み重ねていかないと、観ていて「そもそも何でこいつら戦ってんだっけ?」となってしまうこともままあるが、『ガッチャード』の場合はこれだけスパナと宝太郎との関係値を築いた上でやるからこそ、感慨も重みもまたひとしおだ。『ガッチャード』は学園モノということもあり、メインキャラクターたちの周りには親や教師という立場の珠美やミナト、鏡花などきちんとフォローに回ってくれる年上の大人たちがしっかりとおり、宝太郎たちも基本的に利発で優しい「いい子」のため、そもそも仲間割れが起きづらい構造だったというのもあるが、ミナトが離反した時にしろ、ラケシスがアカデミー側に来ることになった時にしろ、『ガッチャード』はこれまでわりと徹底して、誰かにヘイトが溜まったり、観ているこちらの嫌な気分になってしまうような「無駄な内輪揉め」を避けてきた、「明るく楽しい」番組だと思う。その『ガッチャード』が「それでも殴り合わないと決着のつかない、ひとつの青春群像」を描くためにライダーバトルという最強のカードを切ってくるというのがもうずるいくらい上手い。たまらん。

 共に時間を過ごし、苦難を乗り越え一つのチームとして成長してきた宝太郎とスパナ。だが、肩を組んで同じ歩幅で歩くことだけが仲間の証ではない。相手の考えを慮るやさしさだけでは真の平和は訪れないのと同じように、時には互いの譲れないものを懸けて、真正面から向き合うこともまた何より大切な「他者との歩み寄り」ではないだろうか。異なる同士が出会い、ガッチャンコすることで奇跡が起きる。『ガッチャード』がこの一年間かけてひたむきに取り組んできたこのコンセプトが、宝太郎とスパナの中で、きっと再び輝き出すと信じている。

■今週のスーアクさん

・強く、気高く、美しく!マジェード&ガエリヤ!

 その繊細なお芝居が夏映画全体を通しても印象深かった下園愛弓さん演じる仮面ライダーマジェード。今週のアクションパートも、ケミーを巡る混乱に巻き込まれながらも大切なものを守るため凛々しく戦う下園マジェードさんが大変素敵であった。ガエリヤに謎の文様を手の甲に埋め込まれ、「何をしたの!?」と戸惑うシーンは、戦いの最中でありながら、驚きのあまりちょっと素に戻っているりんねのリアルな不安が直に伝わってくるようだったし、ゴリラマルガムが放つ必殺の風車式バックブリーカーに、かつて宝太郎が行った同じカウンターで回避するところなんかは、くるりとゴリラマルガムの上で回転する技自体もしなやかで美しかったが、そればかりでなく「一ノ瀬にできたんだから私にもできるはず」と、いつのまにか攻略法をマスターしていたりんねの勉強熱心な背景が見え、「おおっ!やるな九堂!」という宝太郎の反応を含めて、彼女たちの切磋琢磨する、ある種のライバル的な関係性まで感じられてアツかった。さらに、宝太郎からエクスガッチャリバーを受け取り、マジェードの得意とする膝立ちのスピンに合わせ、本作初となる下園マジェードさんの華麗な剣撃アクションが見られたことも大変うれしかった。Bパートではムーンケロベロスになってポイゾナスマッシュルームマルガムと対戦。パワフルな連続パンチを叩き混み、鮮やかな宙返りで毒液をかわし、そのまま両足でマルガムの足首を掴んで捻り倒す(!)というトリッキーな技も舞うようにこなすマジェードが本当にカッコよかった。

 また、暗躍が続くガエリヤ役酒井菜々子さんのお芝居も回を重ねるごとに素晴らしい仕上がりを見せている。スラリとした長身の酒井さんはスーツの大きいマルガムの傍に立っても埋もれてしまわない存在感があり、カードを奪ったり魔法陣を描いたりする手指の艶っぽい動きや「私は星々の声を聞くことができる」と常に余裕綽々な態度、時折見せる冷酷さからは怪人らしい恐ろしさも感じられ、グリオンやギギストとも違う強者感がまた良い。Aパートの終わりで電灯の上に座りガッチャードとマジェードを見下ろす場面は、おそらく電灯に座っている酒井ガエリヤさんの映像を合成しているのだと思うが、(違ったらすいません)神であるガエリヤの上位存在感が際立ってとても美しく今週特にお気に入りのシーンのひとつでもある。この悠然としたガエリヤがいつ、どんな形で、本性を見せてくるのか、今後の酒井さんのお芝居にも注目したい。

■今週のブンブンジャー

・夢のパワーアップフォーム

 前回、ズンズンショウカブラスターを手に入れ「119」にパワーアップを果たしたブンレッド。今週22話「炎の獅子奮迅」は、そのブンレッド119の相棒とも言えるブンブンレオレスキュー / ブンブンレオンのお披露目回だ。冒頭、大也のパワーアップを見て「自分たちも」と想像を(妄想を?)膨らませる錠と射士郎の下りがまず楽しい。錠はプロテクターやアーマーなどカッコいい装備と頭上に生えるパトライトのギャップが可愛い「ブンレッド110」、射士郎はジェームズ・ボンドさながら白タキシードを纏った「ブンブルー007」をそれぞれ思い描く。警察の戦隊がパワーアップすると特殊部隊風の装備になるのは『デカレンジャー』でもお馴染みだし、射士郎の「007」も、数字3つという縛りと彼の本業であるスパイ要素の両方を掛け合わせた「巧い」フォームで、もうこのまま本採用でもいいのでは!?などと思ってしまうのだが、これを序盤のちょっとした夢想ネタとして使ってしまうところがまた贅沢である。

・子どもには、悲鳴より笑顔

 その頃、大也は内藤に頼まれ、キャンプを楽しむ甥の千二に花火を届けに山へ向かうが、キャンプ教室の子どもたちは既にサンシーターとテントグルマーに襲われ、テントの中に閉じ込められてしまっていた。1人逃げ出すことに成功した千二は危ういところを野宿中の先斗とビュンディーに助けられ、駆けつけた大也と共に山を下ることになる。

 16話で約20年ぶりに地球へ戻ってきた先斗は、普段ビュンディーとどこを拠点にしているのだろう?とは常々思っていたが、まさかずっと野営していたとは思わず笑ってしまった。宇宙から来たばかりの彼らのこと、ろくに地球で使えるお金も持っていないだろう2人がいきなり家を借りたりするのはそりゃハードルが高いと思うが、大富豪の大也に頼んで何とかしてもらうとかではなく、「キャンプみたいで楽しいだろ」と半ば自分に言い聞かせるように外で寝泊まりしていたのかと思うと、先斗のささやかな強がりが可愛らしい。それでいて、千二のかすかな悲鳴を聞き、今まさに食べようとしていたカップラーメンにも手をつけず、彼の元に急行する先斗の姿はとてもヒロイックで、その心意気が変身後のブンバイオレットのスーツアクトを務める蔦宗正人さんによるヤンキーみ溢れるダイナミックなアクションに映えまくる。(決して足場が良くはなさそうな山道で、豪快な足技、投げ技を繰り出す蔦宗さんの機動力の高さが凄まじい……!)Cパートでは「子どもには悲鳴より笑顔がお似合いってな」と自分は負傷しながらも満足気に呟く先斗。かつて悲鳴を誰にも聞いてもらえなかった自身の辛い経験を乗り越え、だからこそ今の地球の子どもたちには自分と同じ思いはさせたくないと笑顔を守ろうとする彼、もしかしたら本人としてはあまり自覚は無いのかもしれないが確実にヒーローらしくなってきており、その成長が何とも眩しい。

・レスキューヒーロー、出動!

 人々をテントに閉じ込めるテントグルマーのソロキャン波は、テントキャンプに顔が出ているだけというユルい見た目のものだが(しかも後半で先斗が脱出してきた通り、気合があれば自分1人でもテントから出てるらしい……先斗どうやったんだ!?)まず簡単に助けを呼ぶことができない山中にいる子どもたちを狙うというサンシーターたちもかなりワルだし、今回は何と言ってもキャノンボーグの冷酷さが印象的だ。大也を誘き出すためにキャンプ教室の友達や先生を囮にし、ネジレッタに彼らを痛めつけるよう指示。映像ではテントの周りで子どもたちを脅かすような仕草をしていたが、大也の「何てことを……!」という怒り具合から見るに、敢えて描かれてはいないが手を上げるなどの行為が行われていたとしてもおかしくはない。その後、「わくしめにも立場というものがありますからねェ!」と言って巨大化させたネジレッタたちに、子どもたちが中にいる建物でキャンプファイヤーをさせるなど、超えてはいけない一線を超えた悪行を見せてくるキャノンボーグ。そもそもハシリヤンたちが求めているのはエネルギー源となる「人間の叫び声」であり、あまりに消耗させすぎたり、それこそ殺してしまっては悲鳴が出ないため、サンシーターたちも命までは狙うようなことはしてこなかったわけだが、キャノンボーグに関しては悲鳴を頂く過程で人間がどうなろうと構わないというスタンスなのだというのがよく分かる。 

 逆に言えば、キャノンボーグがここまでしっかりと残虐な振る舞いをしてくれるからこそ、後半のブンレッド119とブンブンレオンの「救命」パートに緊張感が増し、よりクライマックスが盛り上がったとも言える。ブンブン消防車に乗り込むブンレッド119。かつて全国の消防署に実在していた(今は安全面の問題でほとんどの消防車が撤去しているらしい)滑り棒を使って滑り降りてくるブンレッド119の出動シーンは消防士ならではの演出でテンションが上がったし、ブンブンレオレスキューから分離した梯子車で建物内に残された子どもたちのところに向かい、「今行くぞ!!」と実際の炎を飛び越えて走っていくカットは、まさに私の愛する『救急戦隊ゴーゴーファイブ』のOP映像そのものではないか!!と1人で大興奮していたら、制作サイドでもこのような映像は「ゴーゴーファイブカット」と呼ばれていると知りビックリだった。と、同時に『ゴーゴーファイブ』の救命シーンのカッコ良さは、カットの呼び名になるくらい代表的な存在として認知されているんだなあと、ファンとしてとても嬉しい気持ちになる。炎をかいくぐり、助けを呼ぶ人々のところへ「待ってろよ、生きてろよ。絶対そこに辿り着く!」と真っ直ぐひた走る。そんなレスキューヒーローの勇姿は、時代が移ろえど変わらずアツくカッコいい。いつだって、人の命は地球の未来なのだ。

 そして巨大戦の目玉は何と言ってもブンブンレオレスキューが変形する、ライオン型のロボット「ブンブンレオン」の登場だろう。ブンブンジャーのロボはこれまで素体となるブンブンジャーロボの各種パーツが入れ替わる形で展開されていたが、ブンブンレオンは玄蕃が調達してきた自律型AIを搭載しており、単体でも戦うことができるのが最大の特徴だ。消防車、ハシゴ車、ポンプ車と人気の車が多数登場した後、更にこの車がライオンになるだなんて、子どもだけでなく大人の心も踊るワクワクな設定だ。咆哮を上げながらパワフルに駆け回り、強力なパンチをお見舞いするブンブンレオン。極め付けはブンブンジャーたちが乗り込んだ他のブンブンカーと合体し、バクアゲスクランブルでフィニッシュ!頑張って戦った後はガレージでうたた寝をするなど、さしもの獅子も大也たちの前ではネコ科っぽい一面を見せるところもカワイイ。頼もしい仲間が増え、ますます勢いを増すブンブンジャーたちを待ち受けるものは何と……野球!?昭和のスーパー戦隊ではお馴染みでありつつ、近年では『キュウレンジャー』でやって以降、7年間やられてこなかった野球回がついに令和に復活とのことで、「野球は一切分からないが、クソ野球回は大好き」こと筆者は今から来週が楽しみで仕方ない。打て!走れ!負けるなチーム・ブンブンジャー!

▲「ミートザヒーロー」でダイナに見せるんだ!と、ウルトラマンダイナの絵を一生懸命描く甥っ子。
当日はダイナにすごく喜んでもらえて私も嬉しかったな〜。大好きなダイナ!!

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