写真は生徒が地学基礎にマークしていたから、0点にしたもの。
どういうミスでこういうことになるのかさっぱりわからない。
俺が10代の頃、よく畑の手伝いをさせられていた。
おばあちゃんが野菜を作るのが好きで、いつもどこかで野菜を作っていたからだ。
俺の仕事は耕すことだった(おばあちゃんが非力だから)。
次に何を植えるのか、それで耕し方が違っていた。
というか、おばあちゃんが「次は大根だから深く耕してくれとか、次は細いものだから細かく耕してくれ。」とか注文をつけてくる。
なんといっても一番きついのは、面積を広げるときだ。
なんでもない場所を畑にするのはすごく大変で、こういうのって普通は機械でやるものだと思うのだが、なぜか俺がやらされていた。
双子の弟がいるはずなのに、100.0%の確率で俺に言ってくる。
「弟にも言え。」というと「あの子は体が弱いから。」と謎のフレーズをぶち込んでくる。
いつから弟は虚弱体質になったんだろう?
一度畑にすると、土が柔らかくなるので格段に耕し易くなった。
それか前作がとうもろこしの畑もキツかった。
根っこが土に残ってるからだ、クワに根っこが刺さるのである。
その他にも耕した後の土はなるべく真ん中に盛ってくれとか、広めに耕せとか、いろいろ注文があった。
俺もおばあちゃんに少しの文句を言いながら、絶対に手伝っていた。
高校生や中学生で畑をしているのを見られるのはとても恥ずかしく、早朝か夜にやることが多かったが、昼にやって友達に見られて恥ずかしかったことも何度かある。
あの時なぜ、おばあちゃんは俺にばかり頼んでいたのだろうか?
ふと考えることがある。
今、思うのは「きっと頼みやすかったから。」である。
大事なことだと思う。
おばあちゃんは節約家だったから、料理では野菜がいつも多かった。
俺が野菜好きなのは、あの頃野菜ばっかり食ってたからなのかもしれない。
母親が早くからいなかったので、おばあちゃんが母親みたいな存在だった。
いいおばあちゃんだったな。
俺にとっては。
おばあちゃんとの年齢差がもう少し近かったら、もっと小遣いを渡せたのに。
俺が毎月小遣いを渡せるようになったのは数年間だったように思う。
ちなみに、社会人になっておばあちゃんと一緒に暮らしていたときは食事代という名目で毎月2万5000円徴収されたが(これもなぜか俺だけ。双子の弟は免除されていた)、おばあちゃんの小遣いじゃなかった。
今になってわかるけど、もう少し孝行しときゃあよかったかなあ。
まあ、それでも俺はおばあちゃんの自慢の孫だったと自負している。
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