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写真はドイツ、ライン川の周りの景色。

なんかラオスのルアンパバーンにもちょっと似てる気が...


俺が会社を辞めようと、何度も何度も思ったときの景色がある。

研究室のベランダから、外を見てると高校生が自転車に乗って帰っている。

この子たちは今、勉強しているんだろう。

俺もすごく苦しい勉強を乗り越えたから、勉強を教える仕事がしたいなあ。と漠然と思うことがあった。

ただ、研究職に不満があったわけではないので、「できたらいいなあ。」の程度だった。

ある日たまたまなのだが、宗教関係者の講演会を聞きに来て欲しいと頼まれたことがある。

いわゆる人数集めだ。

俺は無宗教だし、講演会なんか全く気が進まなかったのだが、その人との人間関係もあって参加することにした。

なんと予備校の国語の先生の話だった。

俺はその先生の話術に痺れた。

と同時に、終わったあと高校生がサインを求めるために並んでいた。

サイン?

予備校の先生って高校生からサインを求められるのか、いいなあ。


これが俺が研究時代に育んだ夢だった。

別に文部科学大臣と話したいわけでもないし、教育界を変えたいわけでもない。

ただ、高校生や中学生に頑張ることを伝えたい。

そして楽しい職場で働きたい。

あわよくば、サインしてみたいし、受験生からすごいと思われたい。

夢を整理すると、これがまさに俺の夢。

人から見るとちっぽけに見えるかもしれないが、これが俺の究極の夢だった。

よく考えたら、全部叶ってる。


自分の塾をきれいにしたい人は、きれいな職場で働きたかったんじゃないかな?

見た目が重要なんだよね、きっと。


教え方にこだわってる人は、きっと知的な自分が好きなのかもしれない。

人から賢いことを認めてもらいたいのかもしれない。


一人でやり続けている人は、自分だけのワールドが大切なのかもしれない。


要するにみんな自分がそうありたいと思う方向に自然に努力して今の自分があるんだと思うのだ。


俺の場合は、きっと生徒からグレートと思われたいんだと思う。

だから、ベンツに乗ったり、海外にいっぱい行ったりしてきたんだと思う。

よく考えたら、俺は知らないうちに自分がなりたい先生になる努力をしてきた。


もしかしたら、みんなそうなりたいと思うように、自分を知らないうちに運んでいるのではないか?


いいママになることが夢だった人は、自然にいいママのポジションに向かっているだろう。

きれいな家で暮らし買った人は、ローンでいい家を買って掃除をしているかもしれない。

公私を分けたかった人は、家の自分と外の自分で二重人格のような生活をしているかもしれない。


自分の欲望をよくよく考えてみて欲しい。


お前ももしかしたら、本当になりたかった自分になってるんじゃないか?

一見、まだ不完全に見えルけど、本当は自分の望んだいちばんの幸せだけは手に入れていないか?


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