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フランス・アンティークの旅〜ストラスブール

ロンドンからパリに引っ越して通ったのは、オークション会社クリスティーズChristie’sの学校。フランス語だから、クリスティーズ・エデュカシオン パリ Cristie’s Education Paris. フランスの美術について、建築、絵画、彫刻、装飾工芸、などすべての分野についてだけど、フランスのことだけ!いかにもフランス🇫🇷らしいフランス中心主義な学校でした。サザビーズの学校と同様、さまざまな場所へのヴィジットやプチ旅行など全部込みの授業料。私立大学なら、授業料100万円ぐらいな日本人にとっては、年間授業料が100万円程度なのは、とても普通だけど、パリ大学のように公立の大学なら年間数万円の授業料であるフランスでは、かなりお高い授業料❗️
しかも、なんらかの学位がとれるわけでもない。限りなくお高いお稽古事状態です。
生徒は、もうすでに結婚している奥様から、結婚までの花嫁修行がわりに来ているお嬢さま系、すでに大学は出ていて、さらなる学問追究で来ている私同様真面目真剣派。キャリアチェンジを考えてるビミョウな年齢の女性達。などなど、さまざまなレベルでした。年齢もバラバラ、出身階級もバラバラ。特に、日本人は、普通の大学が高いので、ここの授業料を、高いという認識なく入ってきてしまいます。バブルは弾けていたけれど、まだまだ円が強い、ユーロ導入前のフランの時代ギリギリぐらいでした。
学校の授業料には、さまざま場所への入場料的なものや、宿泊を伴うスタディートリップの料金も全部込み。パリを出て、遠くの地方に行くスタディトリップは、2回ありました。今回は、その2回目のスタディトリップ🟰ボヤージュ・デ・ゼチュッド voyage des études について。
私にとっては、ちょっと新しい時代のお話すぎるアール・ヌーヴォーの街、ナンシー。ドイツとの国境に近いナンシー。ナンシーのスタニスラス広場は、ユネスコ登録の世界遺産です。

今でも覚えているのは、パリでは、「道」というrue(リュ)というフランス🇫🇷語で表記されている道の名前が、ストラス
Straße というドイツ🇩🇪語だったこと。
パリジェンヌなクラスメイトは、大爆笑していました。都会のお嬢ちゃまが、田舎者をバカにしてる感じの笑い💦 あまり良いことではないけれど。


当時の校長先生は、ストラスブールの貴族出身マダム。クリスティーズというオークション会社の附属学校なので、上流階級の人が校長になるのは、当たり前と言えば、当たり前だったのです。
ご実家に数十名の生徒を全員ご招待してくださったのですが、そこは当然のように「お屋敷」でした💦
市内では、ドイツっぽいアルザス料理をいただき、パリとの違いを肌で感じたのでした。


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