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音楽とのこれまで

幼少期をいくつかの土地で過ごしたわたしは、岩手県出身の両親のもと、岩手県で生まれました。転勤のある家庭だったので残念ながら住んだことはないのですが、心の帰る場所の一つとして、岩手はわたしの大切な場所です。

わたしの音楽との初めての出会いは幼稚園の年中の頃、数ヵ月通ったヤマハ音楽教室でした。少しだけ弾かせてもらえたエレクトーンは、たくさんボタンがあって、数字が光るし、最高にクールでした。
残念ながらヤマハの教室が通いにくい場所だったので継続を断念し、自宅の近くにあった個人のピアノ教室に通うことになりました。

当時住んでいた大阪の町は、立派なホールがあり、子どもが聞きに来れるフルオーケストラのコンサートやバレエの公演がありました。野外のイベントの日では韓国の舞踏を間近で見たり、アフリカの国のフェアがあったり、小学校に上がると毎年文楽の劇場に観劇に行く行事があったりと、今思えば文化的に素晴らしい環境で育ちました。
自分が出演する方はというと、当時はピアノの練習が嫌いで毎回嫌々ながら年1回の発表会を何とかやっていた感じでしたが、市民劇団に所属し、ミュージカルに出演していました。舞台でみんなで歌うのが大好きでした。
学校の音楽の授業が大好きで、ピアニカもリコーダーも大好き。当時から音楽楽しい!舞台好き!は根底にあったように思います。

そんなわたしの恵まれた環境は更に加速します。
小学校5年生の時に、父の転勤でドイツのデュッセルドルフに引っ越し、日本人学校に通うことになったのです。登校初日、何か習っていた?と聞かれたので、ピアノ習っていたよーとエリーゼのためにを弾いてみたら鼻で笑われました。
エリーゼなんて、いつ弾いたか覚えてないよ、とあっさりショパンのワルツとかエチュードをみんなバンバン弾きはじめるのです。『ピアノ弾ける』のレベルが違いすぎる...。当時からヨーロッパのコンクールに出場している猛者が多数いたのでした。のっけからドイツ在住組の洗礼を受け、二度とピアノ弾けるなんて言わんとこ、と心に決めたのでした。(今日でも。)

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デュッセルドルフテレビ塔の風景。ライン川を越えて学校に行きました。
毎日見ていた景色。贅沢だー。


そんな音楽的教養の高いクラスメイトに恵まれると、音楽の授業もやっぱりハイレベル!渡した楽譜はみんなすぐに歌えるし、伴奏も上手だし、ドイツに赴任して情熱に燃えている音楽の先生の指導にもどんどん応えてあっという間に合唱一曲完成!音楽の授業が更に好きになりました。
クラシックの他にも音楽の出会いがありました。ドイツ語があまり得意ではなかったので、テレビを見るときはいつもMTV。移動も、親の運転する車が基本だったので、カーラジオから流れるスパイスガールズやTLC、シェール、マイケルジャクソン、ローリンヒル、エターナル...高校生からはロック嗜好が強まるのですが、この頃は特にR&Bやポップスを浴びるように聞きました。後にミュージシャンとして演奏する側になった際、広いジャンルを聞いてきた経験はとても助けになりました。
在独中、個人的にピアノなどのレッスンに通うことはなかったのですが、(良い先生たくさんいらしただろうに何故やらなかったんだ、と今では一生の後悔。)学校の音楽の先生が選抜した合唱団に所属し、ヨーロッパの国際コンクールに出場。合唱に燃えた時代でした。
観光で訪れる先々でクラシックのコンサートがあり、路上で演奏してる音楽家も多く、楽器を目にする、生の音楽を聞くということは日常といっても良いぐらいでした。

全然フルート出てこないですね。(笑)
その2に続きます。


人首 美佳子(ひとかべ  みかこ)
武蔵野音楽大学音楽学部器楽学科卒業。フルート専攻。
在学中よりポップス、クロスオーヴァー、ジャズの楽曲を演奏するユニットにて活動。関東全県でコンサート、ライブを行う。ユニットの楽曲がローカル局紀行番組テーマ曲として採用される。東京芸術協会主催、レ・スプレンデル音楽コンクール室内楽部門 奨励賞受賞 (デュオフルート、ピアノトリオ)
フルートを故 中野富雄、中野久美子各師に指示。ヴァンサン・リュカマスタークラス受講。現在は横浜在住、二児の母。

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