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『跳躍するつくり手たち』展で、いまの日本が跳躍できない理由を考えた

『跳躍するつくり手たち』展レビューをTOKYO ART BEATに寄稿。
これね、けして悪い展覧会ではない。

というか、「悪い印象を持ちようのない」展示だった。
そこそこ知られているクリエイターをたくさん集めて「人と自然の未来を見つめる」と、良いも悪いも、誰にも、どこにも刺さらないタイトルが打たれている。

タイトルだが、そもそも「跳躍」って?
オリンピックくらいでしか使わない言葉だと感じた。
この日常見慣れない、勢いだけは感じる語感が、いまの日本が産業、経済、文化面でも停滞していることとの間に、深いギャップを描いているようで、気になった。
そして展示を見て、逆に日本が「跳躍できない」理由が、いろいろ心に浮かんでしまった。

本当にいろいろあるのだが、3つ、メモっておく。
文章は、直接にこの展示意図や作家のことを指していないこともあるので、その点、お断りしておく。(TOKYO ART BEATには、作品のポジティブな側面をレポートをしているので、合わせて読んでいただきたいと思う。)

1.クールジャパン病

本展の見どころ1「世界が感嘆! 日本のものづくりが示す先見的な「サバイバルと創造」のヒント と、リリースにはある。

「日本は世界に注目されている」、「日本のものづくりは先見的」、と、繰り返し垂れ流される日本バンザイな大本営発表、洗脳メッセージの悪影響が、このところいよいよ見える化してきた。

2022年の世界デジタル競争力ランキングは過去最低の29位(63位中)。「国際経験」(知識)と、「ビッグデータ活用・分析」「ビジネス上の俊敏性(Business Agility)」(未来への対応)の項目では、調査対象国・地域の中で最下位となっている。
つまりボロボロである。

「そんなことないんじゃない?」と思ったあなた。
クールジャパン病です。
感染すると、世界と現実が見えなくなる、日本の風土病だ。

「日本は注目されている」は、「世界に」とセットで語られる。
しかし、考えてほしい。この時いわれている世界=「日本に感嘆している国および地域」って、どこのことなんだろうか? 
ニューヨークパリ北欧?それと開発されたアジアの一部、親日オーラを出している一部外国人や団体。そんな、極端に恣意的に選択した国や地域、あるいは自分が注目されたい相手国のことを「世界」と言ってないか? 

このクールジャパン病は、日本旅行に来て「ファンタスティック」と言ってる外国人の声を「世界の人」たちの総意であるかのように誘導する、いじましい偏向報道から、じわじわ広がる。
気がつかないうちにリアルな世界を見る視野が失われ、精神的な鎖国がやってくる。競争相手が見えていないのだから、当然、競争からは脱落する。

「世界が感嘆する日本」は、日本を鼓舞するカンフル剤になるかもしれないが、副作用の方が強い有毒なフレーズだとおもう。
日本が大好きな人ほど、用法用量には注意してほしい。

2.国民的コミュ障〜言語バリアへの無関心

「内向き」「コミュ障」も、クールジャパン病の症状だ。この展覧会のポスタービジュアルには、それが露骨に感じられる。

黒バックにCMYに緑を足した5色で、「跳躍」の文字がカラーブロックで隠し文字ふうに構成されている。
私が美工の学生時代、色彩構成の課題で「黒バックを使ったら減点」というルールがあった。背景を黒にして色を引き立てる発想が安直すぎるからだ。まさしくその「減点デザイン」が、京都の誇りともいえる美術館での展覧会ヴィジュアルになっているのが、悲しいような、オモロいような。

視認できないうえに英字併記もなく、非日本語圏の人にはまずアクセスできない。子供にも無理だ。

デザインで大事なのは、機能や情報へのアクセス、人間へのやさしさだと思う。この例に限らず、日本のあちこちにみられる言語バリアに配慮しないデザインは、異言語圏の人とのコミュニケーションを閉ざしている。
「日本の文化を世界に発信!」と掛け声はいいが、美術館を含む文化施設に外国語サインやキャプションがないことも多く、観光地の外国語サインもわかりにくい。
ありがちなのが、限られたスペースに、お礼やへりくだりなど不要な「おもてなし」文言に文字数を費やして、伝えるべきメッセージが背面に隠れてしまっていることがある。

多様性の社会の心得は、言語や文化的背景の違う相手を想定し、その目線に立つことだ。相手への配慮よりも、自己満足的な「おもてなし」を押し出す。こういったことも、「国民的コミュ障」だと思う。

日本の多機能トイレを「世界が感嘆するデザイン」と誇る人もいるが、これがアメリカ(クールジャパンな人が「世界」というときに一番に頭に浮かぶ国)のコメディのネタにされているのを、私は何度も見た。「わかりにくい、無用に機能が多い、ひとりよがり」の例として、日本のコミュ障デザインは、世界に感嘆されている。

3.ジェンダーギャップ、エイジズム

この展覧会、監修者に女性が立っているのだが、20組もの出展作家に女性が2名しかいない。
ジェンダーギャップ指数の高さで「世界に感嘆」されている日本のありさまを、まあいちおう先進的かつ多様な視点を見せるという役割を担っている文化芸術の場がそのまま踏襲するような形になっているのがショッキングだ。

残念ながらこれでは「女に選ばせると、若い男ばっかりになる」という偏見を招きかねない。
一緒じゃん、、、、、(ちょっとしたイケズでした)

20組の出品作家には、そこそこメディア露出の多いつくり手、わかりやすい背景をもった作家が並んでおり、思い切った抜擢、つまり「跳躍するえらび手」の目線はなく、エッジの薄いラインアップになっている。
作品を見るに「優れた作品を選んだら、必然的に男だらけになった」とする根拠は伺えない。私には。

「監修者」というクレジットはあるのだが、誰がキュレーションを担い、人選をしたのかが明示されていないのも気になった。
「未来を思い描く力は、いつの時代もきらめきを放つ」というコピーは、いったい誰から誰に向けて発信された言葉なんだろう。発信元の意図や意識が見えない、役所の提言的なお花畑コピーだ。

さらに、跳躍するつくり手が「1970年代、1980年代生まれの若手」である必然も、あるのだろうか? 

若さに特別な価値を置くアートマーケット(村上隆はこれをアイドル産業と同じだと言っている)と、男の年寄りが優遇される政治の世界とは、全く違うようでおんなじだ。性別はもちろんのこと、年齢による待遇のギャップにも、アートの世界はいいかげん目を向けていいのではないかと思う。

アートは新しい価値観を示すためにある。そこには、性別や年齢にまつわる偏見や慣習を変えてゆくことも含まれてある。
古いアタマのまま、自らが跳躍せずに、既存の価値観をなぞっておいて、
「跳躍」なんか、あるんだろうか?

ついでに。
この展覧会のポスターよりもずっとわかりやすく、そしてクールなビジュアルで、「世界が感嘆する日本」を示したグラフが「エコノミスト」から発表されている。

https://www.economist.com/graphic-detail/glass-ceiling-index

世界29ヵ国の労働市場の中での「ガラスの天井」指数を表したグラフだ。
どん底の赤ライン、下から2番目が日本。
「仕事か家庭か」を選ばなければならない韓国や日本は、ガラスの天井どころか、土俵にも上がれない。

さらにそのうえに、女性にとって比較的リベラルで問題意識の高そうなアートの現場ですら、あからさまにジェンダーギャップを黙認するふるまいが横行するとしたら?

私はとてもがっかりしている。


 






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