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寒の戻りと忘れ霜をドイツ語で考える

5月はすがすがしいいい季節ですが、私には少々苦々しい思い出があります。以前、大家さんが同居する3世帯住宅に間借りして、庭の一角を家庭菜園として使わせてもらったことがあります。大家さんは70代の老父婦でしたが、庭でいろんなものを精力的に栽培していました。そして、私にも「種まきは冷たいゾフィー Kalte Sophie が過ぎてから」と教えてくれたのですが、自家栽培の経験がない私はそれを言葉通りに取って、結局種まきの時期を逃してしまったことがあります。何を育てようとしたのかもう覚えていませんが、種の袋には種まきはすでに3月~4月となっていたました。つまり室内で苗床に種をまき、冷たいゾフィー(5月15日)が過ぎてから外の地面に苗を植えるべきだったんですね。生半可な知識は役に立たないという教訓になりました。


この「冷たいゾフィー Kalte Sophie」というのは、日本でいう「寒の戻り」に相当します。

「寒の戻り」とは、暖かくなった晩春に急に大陸性高気圧の勢いがもり返して、一時異常に寒くなることを指します。それで霜が降りると「晩霜」「忘れ霜」などと言われます。

「忘れ霜」は和語だけの柔らかい風流な表現ですね。被害にあう農家の方々には申し訳ない感じがしますが。

さて、キリスト教圏では特定の日が特定の聖人を讃える日になっていることが多いですが、5月の中旬に割り当てられた「氷聖人 Eisheilige」が5人います。ゾフィーことギリシャ・ラテン語名ソフィアはこの氷聖人の最後の1人です。

 5/11 マメルトゥス Mamertus(ビエンヌ司教)
 5/12 パンクラティイウス Pankratius(初期キリスト教の殉教者)
 5/13 ゼルヴァティウス Servatius(トンヘレン司教)
 5/14 ボニファティウス Bonifatius(初期キリスト教の殉教者)
 5/15 ソフィア Sophia(初期キリスト教の殉教者、3人の聖処女の母)

北ドイツではマメルトゥスが最初の氷聖人ですが、南ドイツやスイス・オーストリアではパンクラティイウスが最初の氷聖人と位置付けられ、ゼルヴァティウスとボニファティウスと合わせて「氷の男たち Eismänner」と呼ばれ、最後に「冷たいゾフィー Kalte Sophie」で締めくくられます。

このずれは、寒冷前線が北から訪れ、南部に達するまでに1日かかるという気象現象で説明可能です。

この「氷聖人」の期間に高い確率で起こるとされる特異な気象現象は、北極からの冷気が中央ヨーロッパに流入し、晴れ渡っている場合は、暖められた地面の夜間の熱放射によって地面の凍結 Bodenfrost が引き起こされることです。これが「忘れ霜」同様、育ち始めた 草木の葉や芽を傷め、作物に被害を与えることになるため、農家にとっては死活問題となります。このため、「冷たいゾフィー Kalte Sophie が過ぎるまでは種まきをしてはいけない(羊の毛も剃ってはいけない)」という農事金言 Bauernregel で注意を促すわけなのですが、1582年に改暦があったため、現代では聖人記念日よりも10日後ろにずらして適用する必要があります。

とはいえ、実はこの金言が作られたのはいわゆる小さな氷河期(15世紀初頭~19世紀)に打ち立てられたものなので、気象学的に見ると今日ではもはや何ら有効性を持たないらしいです。

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