49・50話感想

【追記あり】
推しの欲目です。ほぼ百目鬼視点・百目鬼擁護のため、閲覧は自己責任でお願いします。なお、苦情は受け付けません。

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つくづく不器用な男だ。百目鬼が戻るまで塩らしく待っていたかと思えば、部屋に着くと一転して身構える。

かねてより唱えていたのだが、百目鬼と差し向かいの時、矢代はほぼタバコを口にしない。それだけ研ぎ澄ませているか、はたまた極度の緊張からか。ともあれ、刺々しい物言いにも心なしか怯えが見られる。ほんのひととき、和んだ場面を除いては──

百目鬼のとぼけた反応に、知らず笑みを零す。

『お前、変わってねぇんだな。そういうとこは』

『──あなたも、そうやって笑うところは変わってません』

ささやかな不変に縋ろうというのか。まるで互いを慰めるかのようで、他愛ない会話でさえ痛々しい。

寝しなの矢代を、有無を言わさず抱き上げる。ベッドに横たえ、シャツの隙に指を入れ、そのまま事に及ぶ……とはならなかった。

相変わらずもどかしい。とりわけ矢代は輪をかけて意固地だ。でありながら、間合いも掴めず攻めあぐね、守りあぐね、ただひたすらに翻弄される。結局鎧の下は青臭いまま、恋路の前には切れ者も形無しである。縺れた愛憎はいつほどけるのか。持て余す感情の行く先は?

ひとえに矢代次第ではないだろうか。幸も不幸も相手任せでは埒が明かない。拗ねていじけてばかりでは、いずれ人も離れよう。 (むしろ望むところか)

百目鬼の振る舞いを一言で表せば『荒療治』、少なくとも私はそう感じた。

『男とヤるのはタバコみてぇなもん』

『やめたくてもやめらんねぇ』

七原は矢代の色事をこう評した。凄惨な幼児体験まで把握しているかは別として、半分くらいは的を射ているだろう。百目鬼が果たしてそれをどう捉え、咀嚼したかは未だ測りかねるが、正攻法で繋ぎ止められないなら、その逆を考えても不思議はない。短絡的と言われようが、百目鬼は保護者でもカウンセラーでもないのだ。

遺恨はやがて後悔に変わる。立場を違えた今、敢えて無慈悲に突き放すことで糸口は掴めるだろうか。

と、これだけなら単に独りよがりな雪辱でしかない。だが一方では、やり場のない悲壮感も漂うのだ。土台にあるのがひたむきな恋慕だとすれば、百目鬼はただ救いたい一心なのかも知れない。今の矢代は糸の切れた凧、壊れゆく焦燥から自我を失い彷徨う。百目鬼にはそれが、酷く惨めで虚しく映るのだろう。だからこそ止まない迷走に苛立ち、辛辣に詰る。それは同時に、不甲斐ない自分への叱責にも思える。

本来袂を分かった二人だ。そしてそれは矢代自身の選択。ならば堕ちるも爛れるも、死ぬも生きるも自由、“捨てた” 男に期待すべきではない。そもそも彼の人生は “誰かのせいであってはならない” 筈ではないか。百目鬼にしても、愛想が尽きたら見限れば良い。それでも追い続けるのは、揺るぎない覚悟があるからだ。今回ばかりは執着、嫉妬といった身勝手な狂気は感じない。上手く言い表せないが、憐れみ、庇護欲、僅かばかりの父性……が芽生えただろうか。

『どうにかして欲しい(ように見える)』男の、真の願いとは?何が正しくて、何が間違いか。百目鬼は百目鬼で懸命に踠いているのだ。

あの人を守りたい
大事にしたい
傷つけたくない

なのに汚したい

昔より多少こなれたとは言え、一皮剥けばあの時と同じ苦渋ジレンマが燻る。

『俺からは何もしない』

と自らを律し、手荒な “奉仕” に徹する。それでも状況は一進一退、否、却って後退しているかも知れない。矢代はますます心を閉ざし、百目鬼の鬱積は溜まるばかり。やはり隔たりの代償は小さくなかった。

悲しいかな本能には逆らえず、秘部という秘部は不本意なカウパーにまみれてゆく。片や蛮行とは裏腹に、時折覗く物憂げな眼差し。

『あなたの体は本当に
どうしようもない』

冷ややかな皮肉がうら寂しい。然もあろう。奇しくも

『俺しか欲しくなくなるように』

の暗示が叶ったのを、百目鬼は知る由もないのだ。が──

『今は “お前が” そうしてんだろ……が』

瞬間、微かに瞼が動く。矢代にしてみれば売り言葉に買い言葉だろうが、それが古傷に触れた可能性はないか。

『──親父と同じで……クズなんだよ』

“抵抗されたのに 抑えつけた”

『お前は綺麗だから──』

井波の心ない謗りが過った、或いは己の凶暴性に戦慄した……様々思いつくが、手首に残る生々しい痣は、そんな迷いをも残酷に打ち消す。

『何故俺だと拒むんですか』

答えは分かり切っている。“どうでもいい奴” ではないからだ。ところが百目鬼は、向けられる好意を信じていない。その点では矢代と似たり寄ったり、二人が両片想いと言われる由縁だろう。

『こうされるのが好きなんですよね』

『それとも優しくされたいんですか』

容赦ない追及の先に、矢代が見たものは──

“そうか……これはかつて俺が望んだ──”

嬲られたい、犯されたい、虐められたい……ではなく、ただ静かに寄り添う刹那の安らぎ。それは再会直後の百目鬼と同じだった。

強かに手淫を受け、矢代は気絶するように眠っただろうか。脱力した痩身を百目鬼が丁寧に浄めていたとしたら?乱れ髪を愛おしげに梳いていたとしたら?膝枕の温もりが、単なる追憶でなかったら?そんな想像を掻き立てるのが、作品の『余白』なのかも知れない。それを二次的に埋め尽くし、あまつさえ鼻高々に発表するなど愚の骨頂だ。

時間にしてどのくらいか。七原が来訪し、修羅場は一旦休戦となった。密室の顛末を訝しみつつ、新たな火種は詮索する余裕を与えない。

さてここでクラブママの正体だが、もしかすると百目鬼とは旧知の仲ではないだろうか。『力』という呼びかけからは、情人というより昔馴染みの気安さを感じるのだ。

トモ(黒羽根の姪)……であれば聡い矢代が気づかぬのは不自然、曰くつきの保健医……にしては百目鬼の警戒心が足りない。逞しい妄想を働かせれば、『高校の時2人』のどちらか、意外なところでは親戚……だろうか。

被害に遭った女性はさすがに狼狽を滲ませるが、証言自体はどことなく疑わしい。内通者の存在はほぼ確定としても、問題はそれが誰かだ。

百目鬼が敢えて当人に伏せたのは、暫く泳がせる算段からか。任務遂行にあたっては、恐らく彼女の動向が鍵になる。以前も述べたが、情報源として利用するなら肉体関係も厭わないだろう。下世話にも性処理相手とみなすのはあまりに浅薄で尚早だ。

それにしても桜一家の幹部は揃いも揃って情けない。連は言わずもがな、綱川に至っては神谷にすら丸め込まれる有り様だ。極道の道理だ報復だと息巻いても所詮は与し易いお人好し、そのせいか、奥山との怨恨劇も子供のいがみ合い程度に見えてしまうのだ。

余談はさておき、目の当たりにした女性の存在は、矢代の混迷をますます深めた。

『女にはお優しいことで……』

『神谷さんにも優しいつもりですが』

他者に向ける “優しさ” 、自分はどうして欲しい?軽口を余所に、いたたまれず会食の席を立つ。

『便所』

『しょんべん』

それは良からぬ方へ進む合図だ。幾度となく辛酸を舐めただけに、百目鬼はすぐに勘づいた。

案の定、行き着いたのは井波……ではなく、城戸修也の潜伏先だった。躍起になって “黄金時代” に帰ろうとする矢代。下半身はピクリとも疼かないが、狂ったように口淫を続ける。錯乱ここに極まれり、どう足掻こうと散った欠片は戻らないのに──。

とその時、城戸の襟首に黒い指先が伸びた。破落戸を軽々と投げ飛ばし、すかさず矢代の手首を引く。

見えない顔
あり得ないほどの力
食い込む指
怒りを隠さない声

鮮明な描写は、矢代が偽りを脱しようとする兆しか。百目鬼の首にはくっきりと青筋が立っていた。凄まじい形相は、実父を半殺しにし、葵を救った時と重なる。憤りの理由わけがまるで違うとしてもだ。

『俺が犯せば満足ですか?』

遂に禁忌は破られた。これこそ矛盾の最たるものではないか。四年の間、百目鬼はいつかの答えを待っていたかも知れないのだ。

『欲しいと言ってください』

壊してしまえば永久に終わる。ならいっそ、この手で終わらせても──。

それは瀬戸際の賭けであり、自身への引導でもあった。

【追記】
ちなみに、百目鬼は『犯せ』ないだろう。そこまで非情にはなれないと信じたい。ただ、一度『何もかも壊して』しまうのも手段の一つ。それで見えてくる道があるなら。